| 奥多摩湖西詰の小菅川左岸尾根にある大寺山と鹿倉山 ・・奥多摩湖畔道ToP 多摩川小菅川流域Top 留浦の浮橋から一度丹波川右岸の湖畔道口の出合までは徒歩で戻り. 改めて深山橋の尾根末端から大寺山東尾根.二又北側の枝尾根に取付く。 鹿倉山を擁する南東尾根を綴り大丹波峠まで縦走. タナグチ山・大ヤマト山・鹿倉山・シロヨシと綴り.大丹波峠にでて.北面のマリコ川イチ沢から丹波の里 2021年11月15日.松村 留浦浮橋→深山橋から大寺山・・仏舎利塔 鹿倉山の尾根から大丹波峠 北面のマリコ川の支流から丹波役場前 奥多摩湖の西端の湖畔には丹波川と小菅川とが二俣の形で奥多摩湖の西端に流れ込み.丹波川は大菩薩連嶺の北側を流れ.柳沢峠までに突き上げている。 又戻ってからは旧大菩薩峠に突き上げているのが小菅川. その長大な左岸尾根の末端を今回は留浦浮橋から南岸の湖畔道伝いの深山橋まで戻ってから挑む。 初めが大事と湖畔の尾根末端から取り付き大寺山に立ち.主尾根伝いに大丹波峠まで綴る。 南東尾根を登り詰めると大らかな尾根台地に変わり.起伏の緩やかな尾根通しで林道が並行し或いは交わり先々へと綴っている。 風のない暖かい日差しの小春日和に恵まれている。行動はシャツ姿。何処までも続く枯葉原の道を蹴りながら大丹波峠へとピクニッ気分の味わいで歩む。 石尾根から或いは登り尾根.赤杭尾根からは幾度となく眺めていたものの.この山並みは今までの想像とは異にする長閑な気分に浸り. 大丹波峠からは川久保へと素直に下りず.北面のイチ沢沿いを下ったのも1つのポイントになっている。 大寺山 鹿倉山大山戸川左岸尾根と大寺山都県境北尾根 月夜見山第一Pより・・2023.11.02/11:402年前に小河内ダムから月夜見山に跨る眞光寺尾根を詰め.大ムゾ尾根へと頂をV字に結び.再び湖畔道から峰谷橋に下りていた。 その折.奥多摩周遊道路を横断し撮影する。北西方面の丹波川と小菅川を挟み.奥多摩湖西岸に落ちる中央尾根群。遥か奥は大菩薩嶺. 下の写真と共に白亜の奥多摩仏舎利塔が目立ち望まれる。 北面から覗き込む大寺山 七ッ石山登り尾根の小袖川のツメより・・2008.02.11/13:12赤指尾根と登り尾根に挟まれた小袖川と小菅川左岸尾根。左肩に建つ白亜の奥多摩仏舎利塔は大寺山.タナグチ山とオオヤマト2500m圏峰が望まれる。 背は三頭山から向山へ繋がる尾根。三頭山の谷間は玉川で小菅川に流れ込み.奥多摩湖最上部に落ちている。 留浦 西側のドラム缶橋がある留浦バス停から歩みだす.540mこの時間帯の路線バスは留浦経由の小菅ノ湯行. ここでピストンし.再び深山橋まで戻り.旧甲州街道に入る。 左奥の建物は昔.高校の幼馴染みと雲取山に向った登り尾根で.上の写真を撮っている。その折下山して寄った食堂。冬期で営業していなかった。 11月15日(月).快晴 jr御徒町5:11=5:15神田:19=6:05立川:10=青梅.切り離し=7:30奥多摩.小菅ノ行:40=8:12留浦530m・・日の出.中神駅 青梅線御嶽駅前の伐採地 紅葉のシーズンに入るも平日で電車も路線バスも座れる程度の混み合い。青梅線に入ると電車は久し振りに扉の開閉は手動に変わっていた。 単線で御嶽駅で時間待ち.高峰(払沢ノ峰)北側正面の築瀬尾根の斜面に掛かる杉の植林地は.もはや成長し中木林になりかけている。 もう十数年前になると思う.伐採され荒れた斜面に苗木が植えられていた。 そして通う都度.気にしていると.土色の斜面は草色混ざりになり.濃さを増すと緑色が目立つようなる。 植えた時期により.パッチワーク模様に飾られていた。ジッと見詰めると木幹が望めるようなり.1本の木にとして成長した。 植林されたのが忘れてしまったよう確り独立した木々として.ホームから見られるようなった。 それが林として眺められ,面で見るなら森とでも云えるようだ。まだまだ先のことだが間伐される日を期待し.今朝もその育つ姿を眺めている。 奥多摩駅発.小菅行の路線バスはほぼ2/3強がハイカー.今日は峰谷.小河内神社.深山橋のバス停に下車する者もいず. 留浦バス停では私を含め4人が降りている。彼等は境界尾根から直接.大寺山を目指すのだろう。ここからは一人旅が始まる。 バスに留まっているハイカーは恐らく小菅川渓谷に入り.爛漫の紅葉美を満喫し大菩薩連嶺を抜けるのかも。 まだ中高年の女性群の団体は少ないが.それでも乗客は女性の方が多く占めるようなった。単独行も以外と多い。 留浦浮橋・・右岸歩道から奥多摩湖西岸の深山橋へ 雪に埋もれそうだった留浦の浮橋に.今回は晩秋訪れる.8:14留浦浮橋は過って再び山へ登りだした頃.まだ私が雲取山に登っていないと驚いた幼馴染が「雪が降った行こう!」と誘われ登っている。 その下山の折.荒れ模様で登り尾根を下り里にでて.鴨沢から食堂を求めて街道を下り.留浦で漸く見付けたものの店は閉ざされていた。 途中で缶ビールは買ったものの空腹と長いバス待ちの時間を留浦の浮橋に留まり待っていた。周りは一昨日の降雪に溢れ.寒かった覚えがある。 することがなく雪積もる浮橋で寒釣りを見舞っているも.待つ身は辛かった。それが何故か.今はよい思い出になっていた。 彼に会えば今でも互いにお前の決断が悪いとごねている。改めて今回.留浦浮橋を渡り.麦山浮橋と共に渡ることになった。 対岸の南岸湖畔道より・・今日は素晴らしい秋晴れに恵まれた。8:21南岸の取付きには「橋節5mの間隔に10名が乗らぬよう!」注意書きの看板を見ている。麦山浮橋に比べ見るからに頑丈に造られていた。 ドラム缶橋の幅は5m・距離最長220m. 登り尾根の末端 左景・・浮橋より鴨沢地区を眺める彼と往復した登り尾根. 同年秋にはOB会で再び登る運命になっていた。その後数年先にも新人を含めた現役と雲取山に登り. 石尾根を末端のjr奥多摩駅へと下りている。現役とは40歳以上の差がある。私は空身で出掛け.幕営生活を楽しんできた。 赤指山と赤指山尾根 右景・・青梅街道.小袖川出合と鴨沢橋都県界線(山梨県丹波村.東京都奥多摩町)は雲取山から石尾根を綴り.七ッ石山から小袖川を下って奥多摩湖にでて湖畔を横切っている。 そして南湖畔からは大寺山に突き上げ.小菅川.金風呂付近の境ノ尾根を詰めて三頭山を越え.小菅村からも離れ笹尾根に乗っている。 奥多摩湖の南岸遊歩道にでて.下流側を臨む,8:2319号台風の影響で通行止めにだった遊歩道は解除され.看板も取り外された。私は左に折れ深山橋に戻る形で遊歩道に踏み込む。 右手の遊歩道に入れば直ぐ尾根が突き出し.都県境北尾根から直接詰めると大寺山にでられる。 南岸遊歩道 小さなガラ場を横切る.8:35 湖面の浮遊物留めのロープの固定地点.8:42湖畔遊歩道には下流側の蕎麦屋「陣屋」裏で登山道を分け.遊歩道の起点からはコンクリートポールが点々と立てられていた。 上流側から遊歩道を歩みだすと「1.8」.「1.6km」窪溝.「T25R」.「2km」林班界標柱「奥多摩区分「 /86」とある。 その200m先が大寺の尾根末端の登山口。 確り護岸された遊歩道.8:46この直ぐ先に林班界標柱「奥多摩区分-/86」ある 鹿倉山・大マトイ山・大寺山 境ノ尾根の伐採跡地から小菅川を隔て・・2011.02.02/9:27登山口の反対側からの眺め.左下は余沢の集落と林道棚沢大成線 改めて尾根末端から大寺山へ 蕎麦屋「陣屋」裏側の大寺山登山口.8:50取付きは珍しいタイヤの階段 奥多摩湖,深山橋から徒歩5分ほどの所にある大寺山登山口。取付は珍しいタイヤの階段から始まっている。 過って三頭山入小沢ノ峰北西尾根の末端から取付きバンガロからタイヤ階段を登っている。又先月半ばには神楽入尾根からヌカザス・ムロクボ尾根を下り. ここ深山橋に下りている。深山橋バス停から振り返ると大寺山の末端尾根が大きく目立ち望まれた。今.その末端から詰めている。 尾根の高みにでて.「陣屋」・深山橋を見下ろす.8:55対岸の奥多摩湖北岸を通るのが青梅街道. 深山橋の北詰角が深山橋バス停。そこを前回は下り.大寺山の末端尾根を見上げていた。 左側に街道を直進すれば留浦浮橋にでる。路線バスは小菅ノ湯行. ピストンし留浦からここ深山橋に戻り.橋を渡って奥多摩周遊道路を左に分け. 小菅川沿いの旧青梅街道に入る。その間に起き上がっている尾根が.今登り詰めている小菅川左岸尾根。 赤いセメント柱と多くの都水道局の赤い標石あり.9:05この後.大寺山を越せば都境界線を越え山梨県内に入る。県境と水利権は異なり.分水稜の境までは東京都が管轄することになる。 それ故都水道局は管理の各種の標石・標杭を立て.誰もが分かるよう数多く立てられていた。 尾根に乗る。道標「奥多摩湖へ」の裏面.9:09 再び急登に.9:17 赤松がある馬場浅間844m.9:34780m圏で急登を終え.尾根筋が右に回り込むと林班界標柱「奥多摩区分-/87」に赤帽白柱「用地境界」と 都水道局の赤杭.黄色い杭のある馬場浅間にでる。大寺山が真近に迫ったせいか.頂が近ずくにつれ.赤い標石.「東京都水道局地境界」が多く. 目に付くようなった。そして痩せ尾根は左縁を綴りだす。 奥多摩湖々畔を見下ろが?9:46白亜の奥多摩仏舎利塔 大寺山の頂に建つ.別名は「帝都仏舎利塔」.10:02釈迦の誕生. 天上下唯我独尊・・正面の軽トラは作業用.丁度10時で4人作業員が脇のベンチで休憩を取っている。 大寺山の山頂は東京都奥多摩町と山梨県丹波山村および小菅村との都県界線に位置し.南北は村村界尾根(丹波村.小菅村)の境になる。 仏舎利塔を参拝してから大寺山の林道の交差する穏やかな山稜をタナグチ山・大マイト山・鹿倉山・ヒロヨシへと綴り.大丹波峠に下りて丹波村へでることにした。 ![]() 四面にそれぞれの仏像が鎮座する。右回りに北側は涅 西側は初転法輪 南側は転法輪印(説法)織田信長の時代にはここ大寺山の頂に大きな寺があったのだが焼失したと伝えられている。 昭和42年の調査では他所から運び込まれた配石遺構があったとされ.近くには帝都仏舎利塔と刻まれた石碑と日本山妙法寺の掲示板がある。 大岡実建築研究所のHPによると「世界平和と核廃」を願い.藤井白遠上人が創設した日蓮系の信仰宗教日本山妙法寺が昭和49年に建立。 日本国各地のみならず海外にも建立している。掲示板には更に落慶式典法要の際の挨拶文に.設計は大岡實であること,この土地は東京都のもので. 昔のお寺があった場所であること,そして4〜5人の信者の方々が自力で造り上げたことなどが書かれていた。 寺山の仏舎利塔は印度のオリッサ州にあるダウリの仏舎利塔と同形を模写して建てられた。高さ36m. 又設立のために作られた工事用運搬道路は既に自然に近い感じに戻されているらしい写真が一枚載せられていた。 尚その以前にあったお寺に関しては「奥多摩山里歩き絵図・留浦」に.「大寺から吊鐘を二俣尾の海禅寺に送るので枝付きの木を束ねた上に載せ. 運んだところで吊鐘は転げ出して小菅川に落ち.今でもそこを吊鐘渕と呼んでいる。また松姫が一時ここに身を隠していた話もある。」 横切る都県界尾根の分岐.10:09大寺山は今まで巨大な白亜の仏舎利塔のイメージが強く.奥多摩の様々の場所から目立ち過ぎる存在で見られ.却って遠避けていた。 街道のバス路線からも見上げられ.自然溢れる所から突然.白亜に煌く建物が異質に望まれていた。建立すた前後にも色々な諸事があったらしい。 建物の裏側に入ると整理されていぬ残骸類が多くあるとも聞いている。 道標の先.裏側には壊れた古いトイレがあり.北側に降りる都県界尾根が湖畔へ延びてる。 「自粛要請」の尾根. 湖畔から右に折れ南岸道に入れば直ぐ.留浦浮橋を渡り青梅街道にでられる。私は朝方更に深山橋まで辿ってか登っている。 裏側の腕木は「小菅村金風呂・余沢を示し.南方の尾根を下ると2つの支尾根に分かれ.左尾根が境界尾根。右は小菅金風呂に降りている。 又金風呂からは小菅川右岸に渡る橋があり.渡れば境界線は三頭山の境界尾根が突き上げていた。 前回も可笑しかったカメラ(フジフイルム)は今回は撮影最初から画像がでず.何回か試し.「充電口の完全に密閉されたいない」と表示され原因が分かる。 ただ現地では如何することもできず。間を開け電源を入れ復帰するも.回復方法は分らず。故今回もスマホとの混合撮りになる。 左方の少し高みから大寺山を越え.尾根伝いに鹿倉山へ至る。 留浦浮橋→深山橋から大寺山・・仏舎利塔 鹿倉山の尾根から大丹波峠 北面のマリコ川から丹波役場前 |