| 初めて路線バスからの鶴峠に下車. 奈良倉山から葛野川左岸尾根を下り三ノ森北峰から鋸尾根を下る。 ・・松姫峠から市界尾根-権現山稜Top. 葛野川と鶴川に挟まれた山域図Top 過って大菩薩嶺.牛ノ寝通り松姫峠に奈良倉山.に登り.小寺山と大寺山の間の背稜だけは欠けた形で縦走もしているが. 今回は出来るだけ繋ぐ形での入山を試みている。奈良倉山から佐野山.西原峠へと繋げ林道を分けてからは小寺山.大寺山と三ッ森北峰の山々へ 小菅鶴峠から鶴川右岸の市村界(大月.小菅)尾根の林道を綴り.佐野峠からは市界(大月.八王子)尾根へと繋ぎ三ッ森北峰へ 北峰からは鋸尾根を選び.七久保町瀬戸へと下り.小姓の県道杉平入口バス停にでる。 2025年05月04日.松村 小菅鶴峠bsから葛野川左岸尾根.奈良倉山と佐野峠・・バス時刻を勘違い 佐野山.西原峠から小寺山と大寺山 大寺山から大ダルミと三ノ森北峰 落葉深い鋸尾根を下る.カワパッバタ窪ノ頭から小姓の里 jr上野原駅南口バスターミナル.7:435月03日.曇後晴.晴れて猛暑で夏日.夕方曇勝ち jr御徒町5:55=6:00東京.快速6:13=7:21高尾.河口湖行.:24=7:40上野原.富士急行¥1200. 8:45=9:55鶴川峠.日の出.自宅 下調べしてきた筈が上野原駅8時15分発が30分遅れて鶴川峠には9時52分着と。普通行程でも松平バス停16時2分発には全く間に合わず。 コースは変更せずとも前半の西原峠までは歩いたことにある林道だったので為ペースを取り戻し後半の山道に余裕を持たせることにした。 後半の大寺山までは初めてのコースで時間を取るだろう。下山の鋸尾根も名の如く時間を費やすか分らない。要は後半に気を抜かぬこと。 2つの西原峠 17年前.2008年の師走に高校時代以後初めて寒暖激しい師走に雪積る大菩薩峠を越え.牛ノ寝通りを下り.猛暑となった百蔵山を登り返している。 その折.宿った松姫旅館の主人から.この周辺に2つの西原峠があるのを知らされた。 当時.前年に三頭山笹尾根を縦走している。その折近くに2つの同名の峠があることに気が付き.気になっていた。 笹尾根の「西原峠」とその西側にある中風呂から北東に登り坪山へ抜ける所に佐野の「西原峠」がある。 共に鶴川西原の集落を挟んだ峠路で.武州数馬から西原経由で甲州七保へ抜ける2つの峠路にあたり.同名の峠で不便はないのだろうか? 松姫旅館の主人は国土地理院に昔の峠名に戻すよう進言したと語っていた。 今の佐野峠が「旧松姫峠」.「小菅峠」で.後者の西原峠が「旧佐野峠」「小佐野峠」になる。旧佐野峠道の古道も残されていた。 今の松姫峠はR139が開通した折.山梨県知事が命名した経緯があり.又もや混乱を起こしている。 本来は佐野峠「旧松姫峠」から旧佐野峠道を下り.笹尾根西原峠を越え武州に逃避したと思われる。 又笹尾根西原峠も上野原町(現上野原市)が峠名を改名した経緯もあり.周辺の混乱は更に増している。 現佐野峠を挟んで2つの佐野山(1.260m峰と1.254m峰)があるのも可笑しかった。 松姫旅館の主人の話は筋を通せばガテンゆくと思えるが。「山と高原地図」発行元の昭文社にも談判したがなしのつぶせだと怒っていた。 地名の改名は昔からその当時の権力者により変えられてきた。今回も市長による改名となれば生かしではない。ただ丁寧な判断を求められていた。 佐野峠 峠道のコースは奈良倉沢の途中から奈良倉沢右岸の尾根に登り.奈良倉山にでて東尾根を十文字峠で横切ると市町界稜線の東面を殆ど 水平に巻いて「佐野峠」にでる。三角点峰(1.234.7m峰)から南へ派生するアシ沢右岸の尾根を下れば中風呂にでられる。 これが本来の佐野峠道であるがアシ沢右岸の道が急峻のため,いつの頃からか「佐野峠」から更に稜線を辿り,前述の西原峠にでていた。 アシ沢左岸の尾根を下るのがメーンルートになったらしい。そのため「西原峠」を「小佐野峠」と呼んでいたようだ。 中風呂の県道から葛野川の渓谷を渡ると民家が一軒あり.その左側に「左ちちぶこすげ道.右さいはら道」と刻まれた道しるべがある。 二つの佐野峠への分岐点を示している。どちらも地形図に破線が記されているが.左のこすげ道(アシ沢右岸の尾根道)の上部は 篤志家も音をあげる猛烈なバラヤブである。・・新ハイキング社.平成4年 葛野川と鶴川とを分ける分水山脈一帯を佐野山と言ったことから名付けられた名前だと聞いている。 同様の記述は「山岳第15年代号」の「多摩川相模川の分水山脈」・武田久吉・大正9年8月)にも見られた。 この辺の山を佐野山と概称することから起こったもらしい。 s54年に畑で仕事をしていた老人に「西原峠」のことを聞いてみた。「西原峠とはいわない。佐野峠だと。 昔は左の旧登山道を登った所が佐野峠だったが今は右の道を登った峠を佐野峠という」との返事だった。 「西原峠」という名は七保側の峠の呼称である。長作あるいは西原では何と呼んでいるか.なお調査する必要があるかも。 ・・新ハイキング社昭和58年.小林経雄氏及びHP「峠のむこうへ」氏より 奈良倉山.旧佐野峠道・・十文字峠.佐野峠.西原峠.小佐野峠からの旧登山道を2009年11月に歩む。 鶴川上流右岸の2つの支尾根・・奈良倉山東尾根と坪山手前の1175m点西尾根(小佐野峠からの佐野古道) 満悦に飾り立てられた華麗なる紅葉の裾野を抜け.十文字峠から冬木の佐野古道の尾根に乗り.寒風の声を聞いている。 長作観音堂から艶やか紅葉美に飾られた奈良倉山東尾根を詰め十文字峠・佐野峠・西原峠と綴り.北風吹くの坪山へ旧佐野道を歩んでいた。 その後.今まで小寺山.大寺山.三ノ森北峰.麻生山.と下部の権現山稜は途切れ途切れで支尾根を繋ぎ横断なり.縦断していた。 今回は全てとは云わなくとも.鶴峠から下る林道.山道を縦走と云う形で繋ぐことで.背陵として.通ってみることにした。 鶴川峠 奈良倉山への登山口.10:00バス停「鶴峠」? は無視. 鶴川バス停.873mに下車。ここにはバス停名と時刻表のスタンドが立つも.路線バスは停車せず。1つ手前のカーブ地点で鶴峠で降りる乗客は降ろされている。 そこには立派なトイレが設けられているが.それ以外は何もない所だった。車掌の説明もなく.降りたハイカーは私以外.皆知っているようだった。 不思議に思いウロウロしていると登山道を見付け.歩くこと1分ほどで.この峠上のバス停にでた。 右下へ峠越し白沢沿いに下り.笹畑沢と合わさると旧青梅街道の余沢にでて.上流の田元橋を渡れば小菅村役場にでる。 旧古道 鶴峠付近は小菅村の長作地区とその地区を結ぶ道として.古くから丹波山村.小菅村と上野原方面とを連絡する要所として歩かれていた。 同じく山梨県内の連絡に歩かれていた松姫峠に比べると.標高が低く川に沿っているため傾斜も比較的緩くなってをり.途中の個所には集落も開かれている。 現在は山梨県道18号線が通っている。古来からの鶴峠には.以前から小菅川.大室川から大菩薩に抜けるアプローチとして峠越をしていた。 或いは三頭山西尾根から笹尾根に連なる主稜の南側の支尾根に各々登るためには.鶴峠手前の県道で何度となく降ろして貰っていた。 今回初めて鶴峠に下車した。そして奈良倉山を越る林道に入り.佐野峠.西原峠から.私にとっては未知の山道に分かれ三ッ森三山にでることにした。 時の流れと共に林道周辺の樹林は大きく成長し.展望は望み薄だが.今回も恵まれた珍道中を綴っている。 過っては西原峠から佐野道に戻ったが.今回その先へ初めて踏む込む。林道伝いが良いか.如何なるかは歩まねば分からぬものの. 大月=小菅ノ湯間に路線バスが開通してからは初めての山行になった。大月線の開通.1ケ月前に小菅川の分水嶺にあるノーメダワを訪れていた。 終便が延期されることを聞き.山中に留まる時間が長くなれば.行動が更に延び助かると運転手に語った覚えがある。 今回.西原峠から南下して藪絡みで時間的なものが全く分かららず.最終便が新たに増便されれ助かったのは確か。 歳と共に自分の持ち時間が無くなってきたことを最近つくづく感じるようなった。まずは今回の山行を大事に歩みたい。 ただ最初から挫いている。バスの発車時刻を何故か勘違いし.8時45分発と。誰もいない上野原駅のターミナルに待つことから山登りは始まっている。 日程だけは変らぬもの行動時間は更に狭められ.日没を考えると着実にある歩かねば。増発ではなく.最終便の時間がが延び助かっている。 連休の半ばで混雑すると思われていたが.乗客は数人が立つに留まる混雑振りだった。初戸と八田で殆どのハイカーが下車. 鶴峠では私を含め5人のハイカーが降りている。峠越をした残りの乗客はハイカー2名と丹波の祭りを見物に来た老夫婦2名だけだった。 先月熊倉林道から熊倉沢右俣の右沢を目指し.熊倉山南西尾根の末端まで下っている。その折.県道で草刈りをしていた地元の方と 一年振りにお会いした。それが縁で今年は彼が私にボランテァすると草刈りを止め.新井バス停まで送って頂いた。路線バスにない県道。 歩めば2時間の距離.尾続ではなく.鶴川左岸の里道の入り.新井バス停まで送って頂く.何とも云えぬ志に感謝していた。 そのバス停を今.車窓から鶴峠への道で見下ろしていた。年の功で徳をしていたのかも。彼に言わせると偶に互いに良いことだそうだ。 ・・大型バスで運行は4〜6月.9〜12月の土.日曜日. 県道18号線.上野原丹波山線 県道を渡った対岸に側壁階段があり.三頭山の取付き.877mハイマゼ尾根.西尾根から三頭山西峰へ 「JTの森小菅」の案内板を通過.10:10多摩川水系・相模川水系の分水嶺 「JTの森」の分岐を分け.10:12 奈良倉山方面へ.10:19 伐採地を横切る.10:21西北方面の遠望 北西方面の遠望・・雲取山.10:22三頭山 北東方面は.三頭山西尾根の展望1031m.0.9km. 作業道分岐.10:26林道と交差 099m圏で林道を横切り山道へ.10:34 一度植林帯に入る.10:40 奈良倉山東尾根までトラバースの山腹道に入る.10:45 10:54 10:55 11:00 「←奈良倉山.松姫峠→」の分岐.10:01 奈良倉山東尾根1238m圏と合流し.尾根右上へ直登.11:05鶴峠から登ってきた山道は.以前登ってきた十文字峠からの尾根と合わさる。過って登った峠道は薄暗い藪絡みの中.朽ちて横たわる古木. かすれた木片に峠名が記されていた。鶴峠からのトラバースの道と合わさり.当時は驚くほど立派な道に思えた。尾根通しに刻まれた灌木帯を潜る。 ナラ.クヌギ主体の雑木林からカラマツの林に変わり.ほどなく奈良倉山頂の一角にでる。 奈良倉山 甲州百山.甲斐百山・坊主山11:13カラマツ.それとアカマツの林に包まれた広い平頂の中央には大きな山名標に三等三角点標石が立つ。 点名「佐野峠」.標高1348.9mの山.山梨県大月市と北都留郡小菅村の境にある。昭和の初め頃の山頂は一面カヤトの原で.坊主山と呼ばれていた。 夕方下山した.小姓の集落でも.この名を聞いていた。 再び訪れた頂 当時は晩秋と春まった中の違いはあるものの下草の藪絡みもなく.根も残されていないようなすっ切りした台地の頂だけが残されていた。 目には見えぬが人工の手が加えられているようで.自然の姿ではなかった。これが16年振りに訪れた奈良倉山の第一印象だった。 何とも言いようのない風景が広がり.乾ききった砂地に立っている感じを受けている。 それにしてももう少し.周りに草色が目立つ樹葉で覆われていても良い筈。過っては葦が茂り放だいの坊主山と地元の人に聞いた覚えがある。 そして今回も聞いている。鶴峠からの道中の色合いから見ても可笑しい風景。鹿害があるのも確かだろうが.寂し過ぎる思いに更けていた。 朝方から霞む秀麗富嶽 秀麗たる富嶽十二景の眺め.11:16以前は足元に「富士山天望台」とあったと思う。 朝方から季節外れの猛暑.今日は夏日を迎えると云う。それでも薄く全体的に掛かる雲は黄砂か? 朧じみた展望はここ富士見展望台の切り開かれた場所からでも霞みは強い。富嶽の肩が三ッ峠.手前に連なるのが楢ノ木尾根だろう。 蒼み掛かった天空は更に色合いを薄めていた。その前で擦れ違ったハイカーに見晴らしはよいが尋ねると.「何か朧と!」と返事が返ってきた。 大峰と泣坂ノ頭 右方は大菩薩連嶺の楢ノ木尾根の瀬戸境頂の南側に少し入るとは富嶽の展望に優れた場所にでる。 手前は雁ケ腹摺山から東に延び楢ノ木尾根を綴り.ぐるりと南側に大峰から回り込み瀬戸境に至っる角の大峰と水無山。 大峰から手前の北尾根は小金沢公園に落ち.登山口がある。葛野川沿いの富士急行.上和田バス停からのアプローチは長い。 奈良倉山の南側を回り込む林道林道 頂から南東へ延びる小尾根の林道へ.11:24左れが佐野峠方面.右は松姫峠から牛ノ寝通りへ続く. バスでお会いした方々と何となく挨拶を交わし.私一人.佐野峠方面へ歩む。南東側へ少し藪絡みの踏み跡下れば南側の山腹を 回り込んできた林道にでる。右先は松姫峠から鶴寝山へと林道から防火帯へと続く。彼ら彼女達は鶴寝山から「小菅の湯」方面に向うらしい。 私は一歩.逆側の佐野方面へと林道を歩む。 林道手前の道標.11:22右下の林道に降り.奈良倉から三ッ森の背稜に乗る。 又大菩薩連嶺から東側をツメから続く葛野川左岸尾根.牛寝通りの松姫峠を越えた.ほぼ中央に奈良倉山が聳える。 この付近は南側が葛野川の相模川水系.北側が鶴川流域になり.北側は上流を含めて多摩川水系の分水嶺となっている。 木洩れ日の林道.は続く.11:23新たな林道群と失われた展望 葛野川左岸沿いの尾根上を綴る林道. 一種の山上の林道を進むと以前に比べて里の林道の如く斑な変化がなくなったようにも想える。 以前と云っても15年以上の昔頂.幅員は大分狭く.なり.路面は凸凹ながら.場所側を考えると平坦過ぎるほど改修されていた。松姫峠が近い関係もあるのだろう。 何度も改修され.ている。そして葛野川左岸の尾根上に平坦地と思わす素晴らしい林道がが出来上がる。 ただ以前の大展望と共に真近な所から見定める先への眺めは余りにも少なくなっていた。ここからは見えていた1238m峰へのアプローチも漠然とだが見せていた。 例えば「手前に見える丘の先に左脇にコースがあるようだ。」とか。16年の歳月が改修工事とは別に.周りの樹林が育ち.今まで見えた足元の地形を閉ざせさせていた。 その時は長作観音堂から奈良倉山東尾根を登っている。十文字峠路からの眺め0.と云うより密林だった。尾根筋に乗って背に三頭山3峰をちらっと望んだだけ。 当時は落ち終える最後の紅葉期で.佐野山に向う樹間から目指す方向だけは如何にか分かり西原峠にでている。その間右側に時眺める遠望は素晴らしかった。 又坪山手前の尾根角に小さな伐採地があり.背稜からは坪山西尾根に東尾根が並び遠望され.その手前の支尾根に旧登山道があった。 今回はその当時の逸話をも拾い集めた内容の山行にもなっている。少しくどいかも。 林道の左脇に落ちていた「火気に注意」の看板.11:29余りにも綺麗に整頓された路面に轍の姿は既に完全に失われている。そして波打つ林道の両側は平坦に切れ落とされる。 と云うより土堤と云える方が多かった。それ故.強風に煽られれば.直接体に当らず.風は唸なるが如く上空を横切っていた。 以前訪れた時も風は強かった。不思議な現象に独り.関心し林道中央を歩んだ覚えがある。 又昼食も炊事から食事まで佐野の分岐付近の中央に胡坐を組み取っていた。佐野峠から佐野山.西原峠へと林道を綴っている。 この辺は両側はすっきりし鹿柵を連ねていたようだ。それ故.南方.大月方面の展望はちょっとした見応えのある風景だった。 西原峠からは戻り.佐野道の旧登山道を見付け.旧道から逆側の鶴川へ下りていた。 尾根上の小広場.1:29幅員の広さと云う以前に.尾根巾一杯に切り開かれた台地. 絵になり過ぎて.見るまでは想像もできぬ姿。 これ又.長大な尾根筋に.ここまで開拓できるか? 見応えのある風景がある。 1238m点峰の左脇を抜ける林道.11:47尾根伝いに林道が続くがここだけは右上に直登. 背稜の標高1238m点峰 尾根上の林道から山道に入る.11:49又南北に繋がる林道の1238m点峰東尾根は上野原市と小菅村との町村界尾根に当たる。尾根末端の牛飼から鶴川対岸の大長作沢沿いに遡り. 三頭山の西尾根へと繋がれ結ばれている。.東尾根沿いは多摩川水系になり.1238m点峰の西側には葛野川が流れ.相模川水系と分水されている。 穏やかな尾根伝い.11:56 12:031238m点峰先の鞍部と林道 鞍部1200m圏で林道に降りる.12:04この後は時間の関係から西原峠までは林道伝いに先ずは1260m点コブと1220m圏コブの東を巻き. 西原峠までは山道を分け.南下することにした。 佐野峠 南に下る破遠路.中風呂へ下る分岐.12:19中風呂へは西原峠経由の方が無難.破線路から末端の標高503m点を過ぎると葛野川を臨む一軒家にたどり着く。 「左ちちぶこすげ道.右さいはら道」と刻まれた石標がある。上和田bs〜富岡bsまで歩いて小一時間. 小菅鶴峠bsから葛野川左岸尾根.奈良倉山と佐野峠・・バス時刻を勘違い 佐野山.西原峠から小寺山と大寺山 大寺山から大ダルミと三ノ森北峰 落葉深い鋸尾根を下る.カワパッバタ窪ノ頭から小姓の里 |