晩秋の槍ヶ岳4へ
       飛騨乗越から千丈沢を下り.湯俣から高瀬川を下りる・・湯俣.晴嵐荘・高瀬川電源開発工事・七倉・大町

      梓川横尾谷本谷右俣
      頂稜から槍ケ岳
      一夜の槍ケ岳と大展望
      千丈沢.水俣川.高瀬川・・槍ケ岳の猿軍団と高瀬川ダム工事

     10月28日.一時重い雲に覆われる。槍ケ岳肩ノ小屋一湯俣
        10:30槍ケ岳肩ノ小屋(冬期小屋)h:45一10:30千丈出沢.大一千天出合一17:30湯俣.晴嵐荘hc3.
    千丈乗越
   裏銀.鷲羽岳と朝陽に映る槍の穂 

     西鎌尾根に乗り
    陽を受け刻一刻と変わる薬師岳と鷲羽岳     小槍を背に見城先輩と鈴木

    西鎌尾根
   大槍.小槍に大喰岳を望む千丈乗越

      千丈乗越
   飛騨乗越から広がるガレ.ゴーロも.槍への山稜も,今まで頂で望んだ展望も.今回の山行全てをこの4人のメンバーで独り占めしてきた。
     寂峰になった槍ケ岳でゆっくり体を休め.ここまで3日を費やし訪れたが人影もなく.嬉しい誤算の静けさを味わってきた。

   アルプスの真中で秋嵐を体験してきた。以前は夏合宿で立山から後立と縦走し.やはり大喰岳で天幕のハリスを何本も切られる夏嵐に出遭っている。
     穂高岳まで行けず.戻りここ千丈乗越から穂高平へ下りていた。その時も下山を決意した日は快晴だった。

   今回もあわやと思われたが.ブロッケン後の天候回復は目覚ましく.今朝は遥か彼方までの遠望にも恵まれた。
     気圧配置からみて.次の気圧の谷が訪れば降雪になろう。間違いなく根雪になる。無雪期.今年最後の登山者になるかも知れない。
     大気は旨い! 腹一杯吸いながら周りの展望を楽しみ山を降りる。


    槍ヶ岳千丈沢
   暗い明るさとガスに霞む1本

      川俣川千丈沢
   樹林は失われ沢底はガラ場.硫黄尾根とに挟まれ岩稜沿いに下る千丈沢は何かを待ち構え.静かにじっと我慢しているような雰囲気を持つ。
     荒れた岩場のガレ沢は山陰にガスを湧かせ.自然の間々の千丈沢を映し出していた。

   今度こそ降雪に遇えば根雪となろう。この広大な大地は来年の春まで地底に埋ってしまうだろう。
     静か過ぎる沢. 靴の摺れる音が響き.コダマするよう落石の乾いた音が響く谷。

   ガスが舞う。漂う白霧は悠著するかのよう.飛悠したかと思えば又被い.その間をぬい北鎌尾根の岩壁が見え隠れしていた。
     振り返り千丈乗越を見上げるとガスの切れ目から望む壁肌は茶渇色に染まり.その額の隙間からは蒼空が鮮やかに映しだされていた。

   河原で昼食

      昼食
   千丈沢の涸れた河原で昼食を摂る。広いゴーロ帯で大休止した。
     焚火をし.まず鈴木が川魚のように餅を串に刺し焼きだした。茹でるでもなく焦げるぞと云うも.主食までまだ時間が掛かると。

   先輩に中沢君も真似するものの.強い炎は焦げるのみだった。
     私は「醤油もあるぞ!」と美味く味を付け食べるようビンを差しだした。

   沢底に流心の音色はない。周りはドンな音も聞こえてぬ無の世界。思えば我々の話す言葉だけが素直に戻ってきた。
     薪枝が割れる音.燃え響く音だけが耳に付く.周りは無言の静けさを動かしている。

   雪山では何度か雪粒が吸収するのか? 沈黙の世界を経験したことがあるが.ここでも恐ろしい程の静けさが漂っていた。
     余りにも雑音のない.聞こえぬ世界からは伝わりの不安が何故か体の何処かで起きてくる。
     積雪に吸収される訳でもなく.無鎮の世界が広がり.忘れ掛けたように時折岩屑の落下する澄んで音が聞こえてきた。

   「カーン!」と金属性の乾いた音が遠くから響いてくる。こう云う時こそ.誰も余分な言葉を掛け喋る者はいなかった。
     被っていた霞は薄れるも.層雲はもっと深くなる。秋霖の侘しい無音の音だけが伝わっている。

   千丈沢の谷間に仲間の声だけが大きく響く。
     先輩の声は特に大きいが鈴木.中沢も山を終える賛歌に酔い始めていた。もう湯俣は近い。


   川俣川千丈沢出合へ

   千天出合の吊り橋

   川俣川出合の吊り橋
     湯俣川
   焦るわけでもなく遅い出発が湯俣まで以外と時間を費やした。
     沢沿いの樹葉も殆ど落した裸林の群がる湯俣川。岩ゴロ混ざりの荒れた大地。少し感傷的になっている。
     のんびり北鎌の袖を楽しみ下る。早ければ湯俣で釣りをする予定でいた。

   釣り雑誌が切っ掛けだと思う。渓流での釣りを開きページで見る。学生時代.幾らでも竿を出せば源流で釣れる場所の写真が綴られていた。
     それが目に留まり.釣行を試みる。

   竿を持ち山を越え.最後の日は岩魚を釣ることが今回の目的の一つになっている。
     だが湯俣に着いた時.薄暗く帳が落ち始めていた。広い河原でも山蔭での日没は早い。炊事する間もなく陽は落ちている。

      晴嵐荘の湯
   エレキを頼りに探した露天風呂は山荘からそう離れていなかった。ただ新月の闇夜は見定めるものがなく.真暗闇に包まれていた。
     明るい内に確認もせず.昔を想いタオル一枚持ち.裸で露天風呂を探し回っていた。それも全員で.
     素足に乗る石コロが痛い。数年前.濁より北鎌への径。風呂の脇を通った記憶がある。

   熱過ぎる湯槽に水を引くが砂底から湧く地熱は熱い。引いてきた温泉ではない,湯殿から直接湧きだしている。
     一苦労も二苦労もし.我慢しながら漸く浸かっている。

      星空
   馬力のいた縦走も,今では適当な疲労感となり.体に伝わっていた。
     闇に包まれた谷間で.中沢が星が見えないと問えば被っていた雲が切れ.星が1つ.2つと現れだした。

   ローソクの炎を消し星を見上げると湯気を透し.星がキラメキだしている。流れ星が落ちてくる。
     そして再び雲に閉ざされると僕等はローソクの炎に照らされ.届く限りの怒声を放し.山の賛歌を唄い体を温める。

   ここには私達だけの山が.まだ残されていた。
     炎は闇深まる中.湯面に広がる波紋を明るく照らしだしていた。


       下山.高瀬川を下る・・野猿と高瀬川ダム工事・・高瀬川流域
餓鬼ケ岳から延びる唐沢岳の西面    , 
    10月29日快晴. 湯俣小屋―七倉
       湯俣h3 7:55一9:10濁:25一11:50七倉ト=12:30信濃大町=新宿.

   昨夜の痛烈な寒波は北ア全山の頂稜を根雪に変えた模様。
     僕等は昨夜風呂にゆっくり浸かり.暖かい畳の寝床で.寝袋とは云えぐっすり眠っつている。

      快晴
   太い釘で打ち留められた山荘の明かり戸は木戸も棚戸も冬篭りの為閉ざされていた。
     1ケ所開けられていた木戸を開けると薄暗い山荘の外はすっきり晴れ渡らしている。

   眩い陽差しに照りだされ.川面はギラギラ光る流芯が波紋を反射させ眩ばゆい。
     そして雲1つない蒼空が高瀬川の渓相を一層明るく浮き出させていた。
     素晴らしく晴れ渡った朝.僕等は濁へと高瀬川を下りだす。

   何を勘違いしたのか.先輩も鈴木も葛温泉まで正味1時間半の行程と思っている。
     それが歩きに歩き.湯俣から10数キロの道延りが待っていた。

   気分を一新するかのような晴天だった。
     右岸沿いの落葉の径.樹葉に漏れ込む陽光と紅や黄色く染まる落葉.その光景を映し出す山径が延々と続いている。

      野猿の軍団
   中沢が急に立ち止まり猿だと指を指す。僕等の歩む数歩.前方に山猿が悠々と僕等を先導していた。
     山猿だと目を見張る僕。

   それは僕等を意識しているのか.していないのか.悠然とした態度でどっしり構えている割に身軽な動作で体をを動かしている。
     涸沢を越え幾らか尾根の張り出した所まで.野猿に導かれるよう歩む。河原に何か黒々したものが点々と疼いていた。

   よく見ると野猿の集団だった。冬走りに備え.里に下りる猿の大移動と云ったところかも知れない。
     河原を下り気味に中洲にも.川の倒木の上にも.左岸の樹葉混じりの崖縁にも.黒々とした猿がいる。

   それも観察するよう見詰めると日向ぼっこするかのように動かぬものも居れば.常に動き回っているものもいた。
     まだ可愛い子猿の傍には必ず親猿がいる。

   先頭にはガッチリした頭のよさそうな猿が3頭.群とは少し離れ.先鋭として川下に向かっている。
     規則正しく群れをなし.初めて見る者でも分かるほど統率力に満ちている。

   冬越えを裾野で過ごす為の大移動. 先頭は僕等を意識しいるのに.無視している。否やそう思える。
     一見しただけで20匹.よく見れば40匹以上は居るだろう。彼等も並行して黙々下っている。
     陽は更に強く頭上から照りだしていた。


      不思議な猿の集団.食を求め槍岳に登る。・・偶然見た映像とNHK「槍に登る野猿」

   10月下旬



   05月

   06月下旬

   07月下旬

   08月下旬





   09月


   09月下旬
 

ナカマドが真っ赤に燃える頃.中層の森でたらふく実を食べた猿の集団が高瀬川を下って行く。
  標高1400mの高瀬渓谷を本拠地とする猿の集団である。これから山麓の落葉広葉樹の森で秋の実りを受け.冬に備える。
  そして一26℃の厳冬期.冬芽.幹皮を剥ぎ木皮.ササの乏しい食に耐え忍び.春を迎えている。

遅い春は雪解けと共に芽が芽生え.森は新しい若葉が沸き.猿はむさぼりだ動きだす。

山へと広がり出した若葉線に沿い.猿の集団は高瀬川を遡りだしている。

中層の森を越え.若葉を求め岳樺の林に姿を現した。そして岩稜へ。

盛夏の森は以外に食糧が乏しい。葉は硬く実はまだない。猿の群団は更に東鎌尾根を越えている。
  雪渓跡地やお花畑では高山の短い夏は急速に芽は吹き始めるている。

槍沢に入り這松に食を求めていた。ここには松の実がある。鋭い歯で割り.栄養豊な種だけを食べる。
  多くの鳥類と共に猿の姿が現すのも.このころである。

岩稜帯は短い秋の実りに包まれる。各々の草木は実り.草地の草先やウドの根と。
  3000mを越す岩場にはベコニナイチゴもある。

猿の集団は山懐の深い森に秋の実りを求め山を下りる。素晴らしい統制を取り。
  冬に備え序々に裾野へと戻りつつ.体に体力を付けながら里へと下る。

   高瀬川湯俣

      高瀬川.ダム工事
   貯水池のある東電の第5発電所から対岸に船窪の頂稜がよく見上がられた。霞みもなく紅葉樹を透し.不動沢の鉢底が広く望まれる。
     陽光は真直ぐ高瀬川へ落ち込み.干されて流心の失った川底の姿が尚更明るく.乾いた地肌を現わし照り付けていた。

      川が変わる
   数年前.北鎌へと意気盛んに歩んだ軌道も取り外され.鉄橋もなくなっていた。
     高度1236mの河原に僕も見城さんに鈴木・中沢と皆が唖然とする姿を現していた。河原には掘採機が入りダンフが唸っている。

   そして河原に車道が出来てしまったどころか.七倉までの道7.8キロが右岸も左岸もあっちこっちで工事が行われている。
     東京電力が大規模なダム工事に着手したらしい。約10年に渡る工事が始まることになる。

      工事現場
   僕等は丸っきり変わってしまった濁の河原までヘルメットを被せられ.工事の行なわれている河原の真ん中を歩かされた。
     行き通うダンプ.トラックの往来は激しく粉塵を巻き上げ.周りは機械のけたたましい騒音が響き渡っていた。
     仮に出来た河原道.そして左岸に出来つつある車道と。僕の目の前には数えられぬ程の坑道が造られている。

   後10年近く経てば梓川下流のようなアルファルトの道が谷間深く入り込み.湯俣も上高地のようなってしまうだろうか?
     山ノ神を過ぎても工事場は尽きなかった。右岸の崖縁にもケーブルを架けられた工事場が幾つも造られている。

   ここ山ノ神手前からが堰堤ダム(下部の七倉ダム)の底になるらしい。高瀬ダムに七倉ダムの本工事はまだまだ先になる。
     基礎の土台になる場所さえまだ何処か分からぬ状態だった。
     ここまで上流から下ってきた左岸道は今だ手付かずの状態で残されている。後に上流も大きな高瀬川ダムになり沈む。

   七倉でヘルメットを返し大町へでた。
     工事用トラックに便乗させて頂き.秋たけなわの工事現場を抜けると高瀬川の谷間を縫いjr大町駅へ。
     尻を振る荷台で支えながら樹幹を透し見上げたのが対岸の餓鬼岳。霞みの帯びだした餓鬼の岳は既に高く聳え立っている。

   その後大分先になるが昭和53年夏の山雑誌には高瀬川の工事現場の通過状況が記されていた。
     葛温泉までは大町駅から松本電鉄の定期バスを利用し.葛から奥は現在東京電力が高瀬渓谷に電源開発工事を実施しているため.
     登山者の安全を図って.登山者の荷物を運送を担っていた。

   葛温泉のバス停近くに監視所があり.荷物の取り扱いとヘルメットの着用を義務づけ濁沢を経て東沢まで指定されたコースを往来することになる。
     東沢出合がの先が第5発電所で3時間程度かかるので.天候急変に備え雨具と行動食くらい持参してほしい。

     その後の高瀬川
   
     1968年07月.七倉から槍ケ岳北鎌尾根
     上図右下は1970年10月.横尾本谷右俣から千丈沢
     上図左上は2010年08月.針ノ木雪渓から烏帽子岳・・その後の高瀬ダム周辺地形図

      県道槍ケ岳線
   県道326号.槍ケ岳線は槍ケ岳山頂から信濃大町を結ぶ一般道路。車両は七倉止まり.高瀬ダムまでは東京電力の車両のみ。
     尚槍ケ岳山頂から上高地までは県道279号.槍ケ岳上高地線と結ばれている。現在は共に道路としての供用は廃止されている。

    
    高瀬ダム堤上より下流を望む.東京電力

   最下流の大町ダム.国土交通省管轄.運用は東電

      完成されたダム
   高瀬川には3つのダムが築かれた。上流より高瀬ダム.七倉ダム.大町ダム(堰堤),
     同時進行で工事は始まり.当時は桁違いのスケールで.川底をトラックがうねている。
     川沿いは何処も掘削する現場が続き距離にして.何k.否や10k近い。

   高瀬ダムは七倉ダムと同じくロックフイルダムで日本一の規模を誇り.ダムの材料は大部分が湖底に埋没した部分から採取した岩盤。
     堤体高176mは黒四ダムに次ぐ2番目の規模と云われている。2005年.ダム湖百選にも選ばれている。
     堤頂長362m.総貯水量76.200.000立方m.昭和46年11月着工.54年06月竣工し一部運転開始した。

   新高瀬川揚水水力発電所はダム水路式,混如合ダムで.上池は高瀬ダム調整池より下池は七倉ダム。有効落差は229m
     首都圏3県への電気需要を補う主力になっている。

   又高瀬ダム調整池は周りからの自然崩壊が激しく.土砂により埋没を防ぐため完成後もダンプによる防御がなされている。
     2008年08月に針ノ木峠からブナ立ち尾根を高瀬ダムへ下り.その姿を見ている。

     七倉ダムより上流は東京電管理道.車通行止め。2010年現在指定タクシーあり.高瀬ダム=七倉間¥2000
     七倉から下流は国道326。高瀬川→犀川→千曲川→信濃川

   七倉ダムは中央遮水型ロックフイルダムで昭和48年08月着工.52年04月竣工.堤体高125m.堤頂長340m.総貯水容量:32.500.000立方m
     ダム水路式で取水は七倉ダムからで龍神湖上流の中ノ沢発電所に落とし昭和55年05月より運用開始する。有効落差:140.08m

   大町ダムは堤体高107.0mの重力式コンクリートダム. 昭和44年8月の豪雨により高瀬川流域を大水害が襲い.それを契機に昭和60年に完成。
     特定多目的ダムとして高瀬川.犀川流域の洪水調節.不特定利水.長野市.大町市等への上水道供給.ダム直下の大町発電所での発電。
     ダム湖の名称は泉小太郎伝説にちなんで龍神湖と名付けられる。

   高瀬川の水力発電所は第一から5つの発電所があったが昭和45年の新高瀬川揚水式水力発電所の完成により
     第二.第三.第四の発電所は如何にした事か?第一発電所に平行して中部電力の配電線が架けられているが
     新たに水路線が造られている。

   新高瀬川発電所の完成に伴い新信濃変電所も建設され.安雲揚水水力発電所からの送電もその後.新信濃変電所から新所沢変電所まで.
     新たに安雲幹線2号線(107.86km.昭和56年05月新設)と安雲幹線1号線(108.72km.昭和57年06月.)が相次いで運用された。
     1号線は秩父開閉所から新所沢変電所間は(初代安雲幹線の流用と1部新設)で開始され.初代幹線は休止されている。

     新高瀬川発電所からの275KVの送電線高瀬川線は新信濃変電所まで鉄塔114基で繋いでいる。昭和56年06月運用開始.
     安雲発電所からの送電線安雲線は新信濃変電所まで鉄塔43基.275KV.1回線水平配列の送電線.昭和44年05月運用開始 梓川3ダム


             槍ヶ岳からの穂高連峰
   顧みる晩秋の横尾谷と槍ケ岳周辺
     静かな秋の高嶺の山肌に触れてきた。横尾谷から高瀬川を下るまで丸っきり登山者にも会わなかった。

   他の登山者を嫌い入山は横尾本谷を選んでいる。一時だけでも自分達だけで過ごす山を求めてきた。
     嵐の園谷と秋の紺碧な空.槍への縦走路にも擦れ違う者はいず.山全てを独り占めしてきた。

      初冬の山へ
   静かな晩秋の山があり.冬までのオフを山自体が味わっているようにも思われた。
     そう思うと下山し.晴れた天高く透けるような空も侘しく.又嬉しくも思われる。

   下山と共に山は根雪に変っている。もう山々はこの秋最後の旅人を里へ下ろし.あと一休みで冬の装いに変わるだろう。
     もう直ぐ深い雪に被われる。私達が又来るまで山は新雪を重ねることだろう。

     上高地から梓川横尾谷本谷右俣・圏谷
     頂稜.中岳から槍ケ岳
     一夜の槍ケ岳と大展望
     千丈沢.水俣川.高瀬川から下山.大町・・槍ケ岳の猿軍団と高瀬川ダム工事

    旧hp.PhotoHighwayJapan.穂高〜槍ヶ岳