残雪の燕岳.常念.涸沢・・2 常念岳から涸沢カール 燕岳〜常念岳乗越.仮c〜常念岳 常念岳〜上黒沢下降〜横尾⇔涸沢 |
蝶ヶ岳へ常念山脈 幕営地c2より |
| 6月08日快晴. 常念岳山頂から上黒沢を下降―横尾(常念岳c2―横尾c3) 常念岳Ts2. 7:25一8:13(2572m):23一10:30蝶槍11:25一12:30(黒沢.水に出る):40一13:40横尾c3 常念岳 常念岳の頂で.眩いばかりの陽射しを天幕内で受け.その眩さに起こされる。テント口からは穂高の峰々が壮大に開かれている。 残雪に被われた槍ケ岳は穂先のみを黒い岩峰を覗かしていた。 昨夜,月光を浴び幻の如く望んだ岳が.今朝は陽光に照らされ.岳を些細なまでに映し出していた。 朝寝坊した僕等に今日ばかりは目覚めも清々しく思えた。景色も.テントの周りも.気分さえ全てが清々しい。 残雪の被る幕営地.そのテントを張った頂の残雪は常念に突き上げるツメから四方の谷へ落ちていた。 早速朝の炊事に.並行してパッキングと何時ものルールが始まった。 常念岳肩より常念の山並を見下ろす。 頂点が常念岳の幕営地蝶ヶ岳 絶景を仰ぎ.2本目でもう軽食を摂る 凸凹の樹林帯は残雪で埋まり.強い陽差しに汗が湧き上がる。体中から塩が噴きだしていた。 陽射しが強過ぎ.風もなく.蒸すむらむらする尾根だった。ザックは背にピッタリ吸い付き.背を濡らす。眼にも汗が沁み込み痛かった。 今日も暑い一日が始まった。休み7む一本で.もう暑さでバテ気味.うまい所に雪解け水が流れていた。 |
![]() 蝶槍より明神〜槍ヶ岳.目指す涸沢へ |
| 以外と長い蝶ヶ岳へのアプローチ. 岩の推積したガラガラの尾根の高原のような平坦地. 蝶ケ岳ののっぺらな頂が足元に広がっている。 ここは槍穂の展望には絶好の場所だった。涸沢のカールが雪をまとい眼に大きく入いる。 改めて見ていると涸沢カールは以外と高度を保っている。 明日はあの高さまで.涸沢へ入る。仲間達の目は皆.その雪の王国を見詰めていた。 上黒沢下降 上黒沢から横尾谷へ大天井からの梓川. 左奥.窪溝が上黒沢 下降地点 上黒沢下降 蝶槍を越え蝶ヶ岳北面.2664.3mのコブから登山道を外し.直接横尾へ下降する。 上黒沢ツメより残雪を求め.梓川まで藪を漕ぎ.強引な下降を始めた。 ここ常念山脈の西面山腹の沢沿いは樹林に覆われ.目立つ滝が乏しく.残雪の下山には適していた。 明るいガラ山から這松へ.更に黒木の谷間に入る。 残り少ない雪渓を求め,尻セードでブッシュを漕ぎ.下りをよい事に強引に上黒沢へ滑り込む。 残雪を求め切れれば藪を漕ぐ。そして又残雪に飛び付き梓川へ直接降りた。 傾斜は以外にあった。雪がなければ.真っ直ぐ藪に向かいキスリングを躍らせた。 オーバーズボンにキスリング.鉄玉となり強引に下降する。 斑な残雪も探すと以外と続いていた。途切れても藪に飽きる前に残雪に行き当たる。藪は強引に進む以外ない。 谷間に落ちるよう空を切ればヤブは開け.そして横尾の幕営地へ駈け込んだ。 今回はグリセードより強引な尻セードの下降の方が楽で.最後まで続く傾斜に助けられている。 横尾谷出合 出合の河原Tsで焚火 横尾.今日は行程が短い上.黒沢を滑り落ちた。早過ぎる幕営には焚火が一番よかった。 大きな倒木を1本探させた。後はナタさえあれば一日中.火は途切れる事はない。 ザックから停滞.予備食を集めだし.好きな物から炊事が始った。 食べる事に嫌がるも者はまず居ない。まして気侭な炊事.食べたい物を聞き.後は後輩に任した。 時折.先輩ともめるも.どうせ口に入ると私は黙っている。楽しいもめごとに疲れることはない。 よく喋り.よく食い.口はよく動いく。 横尾から北尾根Y峰をピストン |
まだ雪多い涸沢の出合 |
| 6月09日.晴後雷雨 横尾から涸沢ピストン―北尾根X峰 横尾Ts3. 7:00⇔9:00池ノ平10:35一11:00(北尾根.W.Xのコル出合):25一12:05(X.Yのコル):55 一13:05Y峰:25 一14:02池ノ平14:10,一15:25横尾c4. 涸沢Top 穂高岳Top 横尾谷地形図 涸沢周辺地形図 北アルプス南部地形図,山行表 前穂.北尾根へ |
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| 涸沢,前穂高岳北尾根 3日間の快晴が今日も続いている。ゆっくり朝食後,涸沢へピストンする。 夏径に沿て屏風岩を過ぎた。 屏風の大岩壁はまだ朝の陽射しは閉ざされている。渓流に映る若葉が沢瀬に被り.辿る山径を覆っている。袖を捲ると少し肌寒い。 山陰の深仏清澄たる漂いが谷間に沁み渡り.先たる雪の王国に体を引き締めている。 その反面.樹間を透し見上げる北穂の側壁は朝日を浴び.明るい陽差しに照らされていた。 雪渓末端の横尾谷本谷が右から入り込んだ。 s45年10月.横尾谷右俣〜千丈沢 涸沢カール 前穂北尾根X.Yのコルへ 北尾根カール 前穂北尾根X.YのコルからY峰北尾根Y峰 涸沢カールは以外と奥深い。望む峰々は顎の痛さも忘れる高さと威容に満ち.大雪渓は眩い白光を放している。 そして頂稜は雲片が飛び通っていた。 涸沢ヒュッテのベンチで軽い昼食後.前穂北尾根X.Yのコルに向う。 吊尾根に大きな雄大積雲が.淡く湧きだすよう膨らみを増していた。 僕は汗を流し,息を弾ませながら涸沢の雪面を切る。ヒュッテから望む5.6のコルは蒼空が望みだしていた。 その蒼過ぎる空に向かう。北尾根の背稜から涸沢カールを仲間に見せたいと思っていた。 小人のような僕等. 計り知れない山の包容。そして雪白き雪面と蒼き空。 僕等は全てが今.誰もいないこの雪と岩の大国へ駈け込んでいた。 涸沢までの散歩が峰に立ちたくなり.北尾根の斜面にトレースを切っている。 快いステップに雪片が飛び.皆弾んでいた。雪の多いせいもあが自らのステップに酔っているようだった。 コルに出れば上高地も診見下ろせるだろう。 X.Yのコルより |
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X.Yのコルより奥穂. 中沢.西沢.見城さんと私奥穂高と白出乗越 ![]() X.Yのコル 涸沢カールの雪原を眼下に仰ぎ.穂高の峰々が涸沢のカール谷を囲むよう構えていた。 見渡す限りの雪と岩の御殿. 見渡す限り他に登山者も居ず.独占した岳が目の前にに開かれていた。頂稜の先には槍の穂も姿を現していた。 コルからは今築いたばかりのトレースが池ノ平まで真っ直ぐ刻まれ落ちている。 大きな岳.自ら築いた初めてのトレースに中沢君の瞳は輝いていた。自ら大斜面を切り登り詰めたコル。 コルにいる仲間達. 予定外の行動に頂に立ったような軽やかさと.岳の大きなを噛み締めていた。 岳の峰々はまだ高いが.カールの底は蟻地獄の如き白く輝き見下ろされている。 重いザラメに尻セード.恐怖心はない。はしゃぐ先輩に後輩がいる。 雷鳥と競争し.崩れだし空は間を空けず雨雲を落し.降雨と争い横尾へ降りた。 横尾―上高地 |
![]() 涸沢.雪と遊ぶピッケルワーク |
| 6月10日晴後曇. 横尾―上高地 横尾Ts4. 9:45一10:30徳沢11:20一12:03六百沢一12:25上高地15:30=新島々=17:03松本20:00=新宿. 日曜日.上高地へ下る。 横尾の明るいガラ場を過ぎ.ひっそれ静まり返えった梓川左岸の散策路を歩む。 微風に揺られ木陰の被う里径へ。 徳沢の長閑な芝も懐かしい思い出を抱かさせている。 昼なお薄暗いナラ.シガの林径.人多い上高地へ入る径。 子供を挟んだ親子連れに行き違った。何と見ていて清々しい気を起こさせていた。 山を降り初めて擦れ違った親子連れだった。僕等は上高地に向かいダッシュする。 2日目.大天井岳での昼食.フランスパンを齧る仲間達 テンポよい見城先輩 マイペースの斎藤君 気の回る西沢君 以外と生真面目で好奇心が強い中沢君 論証なし山行費¥1200 上高地線の除雪は4月25日までに終わり.26日から路線バスが運行した。 岩盤むき出しの素掘釜トンネを掘削拡幅工事して.2年越しに完成.舗装は4月24日までに終了している。 上高地線全体の拡張工事.幅4.5mは完成未定のようだ。当分の間一方通行となろう。s43.06.10.下山. 山小屋料金 毎年値上がり(昨年¥100)している北アルプス山小屋の宿泊料が今年も¥50値上げされ.@1050となる。 この料金は米持参の料金で.米を持ってこない場合は@150〜@180高くなる。素泊まりは@600〜@650 我々には関係ないことだが物価は山でも上昇していた。・・今年の山小屋の新設.増設はなし。日本アルプス観光連盟 燕岳〜常念岳乗越.仮c〜常念岳 常念岳〜上黒沢下降〜横尾⇔涸沢 旧hp.PhotoHighwayJapan.燕岳〜涸沢 上高地の年表 江戸時代.安雲村島々から上高地明神までの徳本峠道が新しく開かれ.以後松本と飛騨を結ぶ重要な街道となる 1829年(文政12年).念仏行者・幡隆上人が槍沢から槍ヶ岳に登頂し開山 1875年(m08年).英人技師マーシャルが焼岳に登り.翌々年の77年には英人技師ガーウランドが槍ケ岳に登り「日本アルプス」と命名 1880年(m13年).上条嘉門次が明神湖畔に初代「杣の小屋」として建てたもの。山小屋「嘉門次小屋」 1885年(m18年).上高地牧場を開設。徳本峠を越え牛や馬を放牧する 1887年(m20年).上高地温泉場(現上高地温泉ホテル)の宿泊営業開始 1907年(m40年).焼岳大噴火 1910年(m43年).吊橋として初代河童橋ができ現在は5代目を迎えている。当初は丸太が組まれたはね橋であった 1922年(T11年)01月.府県道279号.槍ケ岳上高地線(槍ケ岳=上高地)の認定 1923年(T12年).奥原英男が雑貨屋・食糧品販売として「西糸屋」を開業.翌年旅館業を開始 1915年(T04年).焼岳大噴火で梓川を塞き止め大正池が誕生する 1916年(T05年).農商務省山林局は上高地周辺を保護林に指定.木材伐採を禁止する 松本小林区署が大正池一槍ヶ岳間の登山道を開設 1923年(T12年).雷鳥が国の天然記念物に指定される 1924年(T13年).手掘り工事により釜トンネル開通 1931年(s06年).4月01日に国立公園法が公布される。 1933年(s08年).梓川沿いの道路が完成。大正池までバスが開通され.徳本峠越えをせず便利となる 1934年(s09年).上高地一帯が中部山岳国立公園に指定されカモシカが天然記念物に指定される。上高地牧場が廃止 1935年(s10年).河童橋までバスが開通 1952年(s27年).上高地が国の特別名勝.特別天然記念物に指定される 1955年(s30年)02月.長野県道24号.上高地公園線(中ノ湯=上高地)の認定. 雷鳥とカモシカが国の特別天然記念物に指定される 1956年(s31年).井上靖が小説「氷壁」を発表.この頃より登山ブームが起こりだす 1957年(s32年).3代目河童橋が架け替えられる 1965年(s40年).奈川渡ダム着工,3ダム同時進行.東京電力 1965年(s40年)07月.上高地ターミナルが竣工,村営上高地食堂が営業開始。燕岳〜槍ヶ岳.路線バス(上高地=島々.松本電鉄=松本) 1966年(s41年)10月.松本電鉄上高地線,「赤松駅」は島々駅からターミナル機能の移設に伴い「新島々駅」に改称 1967年(s42年)07月.涸沢Bc,石井スポーツ自家用車で梓川の川底のダム工事現場を下る。(上高地=新島々.松本電鉄=松本) 1968年(s43年)06月.冬期閉鎖を利用して釜トンネル改修工事完了。3年目で幅4.5m.高さ4m.照明25基.燕岳〜涸沢.路線バス(上高地=新島々) 1968年(s43年)07月.槍ヶ岳北鎌尾根,路線バス(上高地=新島々) 1969年(s44年)11月.安曇(623,000kW)・水殿(245.000kW)・新竜島(32.000kW) という3か所の水力発電所が新設される 安曇ダムに係る付け替道(R158号)が供用開始されて以来.上高地へのマイカーが急増し規制開始。梓川沢渡に臨時駐車場 1970年(s45年)07月.明神岳主稜.(路線バス(上高地=新島々)・・ 1970年(s45年)10月.横尾本谷〜千丈沢.タクシー(松本=上高地)を利用・・荒天で新穂高から新穂高ロープウェイで上高地へ 1971年(s46年)06月.横尾生活.路線バス(上高地=新島々)・・荒天で屏風岩中止.涸沢散策と横尾で渓流釣り 1973年(s48年)度より梓川の河原は駐車を禁止,7月〜10月の土日及び8月01〜19日の全日.渋滞時は一時通行を制限する 1975年(s50年)7〜8月からマイカー通行規制.夏季のみ30日間。4代目河童橋が架け替えられる。梓川での漁が全面禁漁となる 1985年(s60年)01月.新島々=島々間が廃止となり.新島々が上高地線の終着駅となる。上高地梓川での渓流釣り禁止. 1996年にはマイカー通年規制される。上高地公園線. 1997年.安房峠道路(安房トンネル)が開通して交通難が解消されると同時に.高山側から中ノ湯への通年アクセスが可能となる この完成により現在は冬季でも釜トンネル入口まで車は可能となる。5代目河童橋が架け替えられる 2001年.釜トンネル改良.新設工事開始.2005年完成 2002年10月.紅葉の時期と重なり松本ICより大渋滞.上高地へ入れず高山から福光.白馬へ。安房トンネルを通過.マイカー 2002年08月.釜上トンネル(約600m)2車線路が開通し接続する 2004年07月.観光バス規制始まる 2005年07月.新釜トンネル開通.2車線路が開通し大型バスの通行が可能となる シャトルバスかタクシーを利用し上高地へ。(長野県側の沢渡.岐阜県側の平湯の駐車場,) 2007年08月.同期仲間と槍沢より岳沢を下る。往復(新宿.夜行バス=沢渡.シャトルバス⇔上高地) 梓川下流,三ダム 都会の山 山を下り.アルバムに収められた数々のスナップ写真を見詰め.もの思いに浸るのも楽しい。 初日.裏銀を背に夕日を浴びる.撮ったスナップ写真は脇で雷鳥が見守っていたのを追い駆けていた。 そして翌日の天候と共に素晴らしい連続写真.真に瞼に北アの峰々が浮ぶ。 蛙岩では残雪多い北鎌尾根をバックにジャカスカ写真を撮っていた。よく見ると誰もが日焼けをしているようだ。 三本目.大天井で個人スナップを撮る。それもアップでフランスパンを齧り込んでいる顔ばかりを。 それぞれ個性と云うか特長を持った顔形である。 ここから望む槍から穂高の大パノラマも壮大だった。蝶ケ岳では我を忘れ穂高の稜を見いやっている。 そして林間を縫い続けた黒沢の尻セード。 四日目.涸沢に入いる。雪と岩に碧い世界がコントラストを築き.雪と岩の王国の扉を開き出迎えていた。 一枚の写真には蟻のような小さい我々に.覆い被さる岩壁が屏風のように連なっていた。 この影は奴かな? こっちの方はアイツだな。 そう云えば毎日が快晴で.とうとう雷鳴が轟き.雨と争い横尾へ駆け下りたのもこの日だった。 先輩.後輩と共に苦闘を乗り越え.得たこの歓びが1枚の写真に凝縮されている。 見ていても思いは尽きず.心は再び山の懐を駈け回わっていた。 山を下りても1枚のスナップが.全ての行程を想い出させ掻き立てていた。 楽しい一時である。 「峠」五号より |