前穂北尾根.滝谷第二尾根 荒荒れるた前穂北尾根と雷雨 霧中の滝谷 梓川下流.3ダム 徳沢より明神岳.前穂高と小梨の花 |
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| 前穂岳北尾根.滝谷第二尾根 s42年(1967年)07月07〜13日.m松村進.和田一男 涸沢Bc1.涸沢への径.前穂高北尾根 涸沢Bc2.北穂高岳滝谷.北穂沢
奥又出合から前穂北尾根南面7月07日.新宿,急行「穂高」.23:00= 8日.5:02松本:17=5:40新島々.松本電鉄=8:05上高地:50一12:30横尾:40一13:00涸沢新道一16:10涸沢ヒュッテBc. 昨年.s41年冬には中央東線に特急「あずさ」が登場し.急行には食堂車が連結される。 夜行は鈍列車を含め急行「アルプス」.「上高地」.「穂高」など松本までは毎晩5本が運行される。 ローカル線にはまだ蒸気機関車が走り.冬期はダルマストーブが待合室を暖めている時代だった。 曇後雨.霧強し 梓川を遡る乗合バスの車窓には時折弱い陽差しが射し込み.ぐずずき気味の空には重い雲が覆っている。 8時.上高地に入り岳沢の絶景を仰ぐ。どんより垂れ下がる雲を切って.突き上げる岳が額に飾られた絵のようだった。 涸沢への径 |
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横尾谷から涸沢 |
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まだ残雪多し入山 思うに一昨年.燕岳からの表銀に入って以来の北アルプス。 南アルプスが多く.その喜びに新たな気持ちを抱き.山へのファイトに掻きたてられていた。 初めてアルプスに入った梓川沿いの想い出が歩む僕の心を浸してだしていた。 清い瀬々らぎになぞるられた散策路. 徳沢の園.奥又.明神と仰ぐばかりの壁が連なり,森がある。 息を弾ませ快調なペースで横尾にでて.河原で昼食を摂った。 今回の相棒は同期和田。涸沢にベースを設け岩稜を攀じり.北穂で北鎌尾根隊と運良ければ出会う予定でいる。 空模様が可笑しいしくなってきた。ほどほどで腰を上げる。涸沢へは涸沢新道を経て旧道へ。 屏風の岩壁下まで来ると霧雨が舞い.吹き出す汗に霧雫が心地よい。 そして横尾谷を包む若葉は満ち溢れ.清々しさに安らぎを与えてくれていた。 屏風岩を過ぎ肉離れを起こす。まだまだ鍛錬が足りないようだ。 時間のロスと今までの快さが泥転し.4時近くになり漸く涸沢へ入いることができた。 Bcは涸沢ヒュッテ上部.天幕は我々1張だけだったが夕方2張が増えた。 荒れる涸沢 |
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, 北尾根の陰岳 |
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| 7月09日.涸沢bc1.風雨強く沈滞 梅雨前線が真上に居座っている。涸沢は今日で10日も雨が降り続いていた。 テントにポンチョ.新聞紙と張る工夫も及ばず.天幕はよく漏れる。 12時の天気図では九州西岸に台風7号崩れの低気圧が北東進し前線を刺激していた。 明日も天気回復は見込みない。万一.昼頃でも雲が切れてら北尾根へアタックしよう。 好天を望みたい。九州.西日本は集中豪雨でかなり大きな被害を受けたらしい。 北鎌尾根縦走中の三浦.田沼はこの荒天の中.どうしていることだろう。 上手く縦走できれば.ここ穂高で落ち会うことになっていた。午後4時半.テント張り直す。 沈黙と忍耐暴風雨 夜半,台風崩れの低気圧の影響を受け.強い風雨に襲われる。集中して襲いかかる涸沢カールは荒れに荒れた。 カール中央の釜底に位置する池ノ平に渦を巻き上げ.上から下から襲ってくる。 豪雨は僕等二人だけの小さな宿り場.テントを叩きつけ.シュラフの中まで雨水が飛び込んできた。 張り綱を引き裂く.突風の強さは凄い。その都度.ポールは軋み.テント内は這うばかりの空間もなくなった。 全てが濡れテントは水びたしとなり.背を丸め耐えている。その上天幕地は残雪の上にある。 強風に押され雨は更に強さを増し.テントを襲っていた。 寝る事も出来ず二人でポールにしがみ付き.風の息を待つ。又張り綱が切れた。時間との戦いが続いていた。 7月10日.涸沢天幕撤収 Bcテント撤収1:00.小屋避難1:30.テント再設営3:30 1時半.暴風雨はテントを叩き崩した。涸沢ヒュッテに一時.避難する。 テントを畳む,否や適当に包み紐と重しを加え逃げ出した。 小屋の薄暗い外廊下で長い間.寒さに堪え待った。 空身で飛び出した事に悔やんだが仕方がない。寒さより外の嵐が勝っていた。 持参したのはエレキ1つ。テントが潰れ防寒具も食糧も,持参を考える余裕はなかった。 それでいて嵐の中.又取りに戻る気力もなくなっていた。 最盛期前のひと時か? 小屋番は静かに眠り.小屋の戸は鍵が掛けられていた。その故.我慢に我慢を強いられる。 震える体に耐え風の弱まるのを待つ。なかなか時は進まず闇は長かった。 寒さで防寒具を取りに行こうと頭は考えるも.体は動かずにいた。 寒さに耐えるられず戻ったテント. ビショビショのシュラフにローソクの炎。うとうと長い時間.テントで我慢を強いられた。明け方を待ちに待った。 そして疲れ切った体はとうとう寝むり込む。目覚めたのは昼近くなっていた。 北アルプス南部地形図 穂高岳概念図
7月10日曇午後雷雨.北尾根Y.Zのコルより登行.吊尾根下降 涸沢Bc2. 11:45一12:36(6.7ノコル):50一13:00(6峰)一13:10(5.6ノコル)一13:25沢5峰) 一14:10(4峰):35一15:20(1.2ノコル)一15:35前穂高岳. 涸沢よりX.Yのコル 北尾根周辺 ![]() Y.Zのコルより涸沢.屏風ノ頭と大天井岳 曇.午後雷雨 天幕内の明るさで目が覚める。もう時計の針は11時を回っていた。 知らずして風雨も納まり.外は高曇で明るく思えた。 寝起きで.体は固まり自分で思うもぎこちない動作になっている。体に動く事を強いた。北尾根に出向けと。 X.Yのコルより登攀するつもりだったがY.Zのコルへのルートが.面白そうなので1つ下流の沢にルートを取る。 Y.Z峰のコルまでは雪の詰まり具合がよかった。 コルへのツメは急な雪渓が両壁を狭く挟み込み.面白い程高度を稼いで行く。 涸沢のカールが摺り鉢の底の如く望まれた。 コルにでる。 ガスの切れ目に横尾山荘が覗め.頭上を仰げば蒼空が雲の切れ目に顔を覗かしていた。 そして雲の切れ目は次第にその領分を広げて行く。 , 北尾根X.YのコルよりX峯X峰 Y峰.X峰はブッシュ混じりの岩稜で.ただの尾根歩き。W峰は奥又側を斜上しフェンスを右に見て峰にでる。 尾根上は余りにも平凡な尾根が続いている。 X峰.これからが登攀と意気ごみ.期待の心が歯積み.蒼空は更に開けだしていた。 W峰.雲が切れ岳沢に一瞬.上高地が見下ろされる。雲の切れ目から夏の強い陽差しを浴び岳沢を映し出していた。 素晴らしい眺めだ。夜半の暴雨風も忘れ.気は晴れ晴れとしていた。 食糧.ゼロ 空腹だが食べる物がない。昨夜より何も口にせず.起きると共に岳へ向かい飛びだした。 食糧は和田が持っている。その和田が食物を全て忘れてきた。 カールに陣取るあの小さなテントの中に。 「ハムを食べよう!」と言ったら「あれー!」と間を抜けた声が返ってきた。 それじゃビスを。と問うが何にも返事はなかった。僕はポリを出し.和田と共に水を呑み込む。 ガス湧くV峰 V.Wのコルより |
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, V峰.奥又側を攀じる ,. |
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V峰チムニー上北尾根遡上 V峰はリッジ通しに奥又側の凹みを詰め.チムニー状の所を途中から左へチョウクストーンを潜る。 更にかぶり気味の出口を左に抜けて峰にでる。後は坦々とした頂稜が前穂まで続いていた。 開けだした晴れ間も何時の間にか.やけに霧が強くなった。V峰.U峰と影絵のような山容をカメラに収める。 稲妻の嵐 |
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, 前穂北尾根.上部 |
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荒れ狂う穂高岳稲妻の嵐・壁と雷 前穂岳の頂を眼前にしてU峰で空模様が急に可笑しくなる。灰色のガスは既に薄暗さから黒さを増し.闇の空間に変えていた。 和田が僕に向かって「髪が立っている!」と怒鳴る。 事実.体中に静電気を感じ.体の隅々に鳥肌が立っていた。ピッケルは青光りし鳴りだした。 ピッケルを持つ手が小切ざみに自然と振るえている。確り握るも震えは止まらずにいた。 和田の髪の毛も逆立ち全てが立っている。青白く光る髪が放電し.体全体が放電した。 「ヤバイ!」.「雷だ!」.避難する場所もない。一番.危険この上もない場所にいた。 今.雷雲の中にいる。次第に暗さを増し.何時落ちても不思議ではない岩稜に立っている。 前穂へ逃げる 下ることも側壁を降りることも出来ず.上へ攀じるのみ。直ぐ前進.壁を攀じり前穂の頂に立つ。 霧は濃く大粒の雨が落ち.突然.雷鳴が轟きだす。 一発はバリバリと空を割り大音響が雷鳴となり.圏谷から反響し鼓膜に伝わてきた。 空気という絶縁体を破壊して.落ちる雷のパーワーは凄い。 稲妻は天ばかりでなく雲間で放電を起こし.横走りし.圏谷から凄い勢いで上がってきた。目の前で爆発し煌く雷光を走らせている。 爆発する響きが空気を割り.大地を揺るがせ.雷光が下へ落ちる僕の発想を狂わしている。 鼓膜を割る勢いが連続し.放す雷光の隙間は真っ暗闇に埋まった世界になる。 その闇に間を入れず.稲妻は天地をわきまえず.怒号の如く走り回り.轟き渡っていた。 闇の頂 今稲妻の中心に僕と和田がいる。岳の神にいる二人に天地が蠢いている。 頂は視界を全く失った。闇は道標さえも閉ざし見えず.真っ暗闇の頂に稲妻のみが唯一の明かりに。 午後の一時が全てを暗闇の世界に変えさせ.自分の手先.指.1本さえ見定められなかった。 もう何処でもよい.早く少しでも高度を下げねばと。本能の下るのみが安全と思えた。 闇と濃霧に全てを失い.頂から降りるべき方向が分からず。手に磁石を握りしめるが.暗闇で.針が読めなかった。 刻む雷光に光を求める。待つ間もなく.1寸の雷光が放され.磁石から漸く吊尾根を探りだす。 その間々這い下り.最初の小さなコルから涸沢の残雪.雪壁に.足場の雪面を求め下る。 雷光の中 稲妻が圏谷から僕等に向かい襲っくる。ザイルを結び下降する谷から昇る光. 雷光が大きく一瞬のジグザギを切り僕等に向かってきた。 足元の解らぬ闇の中に.光は一瞬にして膨張し雷光を走らせ脇を抜けた。 その都度.空気を割る音は凄い。地響きの如き大音響は鼓膜に直接割る鋭さを持っていた。 もう気になるのは目の前に走る雷光だけだった。天空や水平からの電光線には気にしなくなってい。 というより余裕がなくなっていた。下る先のみに集中した。 雨の波も激しくなる。バケツを逆さまにしたような土砂降りの大粒の雨が落ちてきた。急に肩に力が入ったと思うと雨粒が塊で落ちてきた。 頭.肩を叩き流れ落ちるのが判る。それは足元へ.登山靴の中に詰まり抜けて行く。そこへ大音響が響き.雷光が光る。 針山を突っ付くよう乱れる電光が.またもや大音響と共に僕の脇を走った。天からの電光は判断する余裕はなかった。 ただ下降への光が道しるべとなし.兎も角一刻も早く下るのみ。雷光に向いジッヘルを繰り返し降り続けた。 雷鳴と雷光の恐怖に怯えるも.自然と体だけは動いていた。早く雷光の下へ.涸沢の底へと。 前穂高岳下 |
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![]() 吊り尾根よりから下降 |
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| 15:35前穂高岳一16:30(第二ノ雪渓):45一17:50涸沢bc3 吊り尾根より下降 頂稜は1寸先も分からぬ闇の世界だった。 頂で時刻と方向を見定めたのも雷光であり.涸沢への下降ルートも雷光に頼っている。 それ程,闇に包まれた午後の嵐。雷光に襲われ.雷光を頼り下降した。 下降地点は頂稜.吊尾根寄り窪地から涸沢へ。そして少しでも早く高度を落すべく.それだけに全ての力を費やした。 ルートはアンザイレンで草付きの階段状の緩いフェンス状のリッジに取る。 雪渓に岩の露出したリッジと溝。雪の傾斜はこの上もなく急激に落ちていた。 U.Vのコルに至る雪渓へとトラバースせず.草付きを゙グザグにあくまで直下した。 暗黒の闇は視界を狭め.雷光が足元を照らしていた。 降り始めた痛い大粒の雨が背中に川を造り.体を抜け靴底へと絶え間なく流れている。 そして雷光は体の左右に避けるよう抜け.絶えることなく稲妻を轟かせては走り去っていた。 最初の雪渓はグリセードで再び草付きを下り.フランクフルトを避けている。 急なガリー状の窪みを降り.涸沢に通じる雪渓にでた。この頃.嵐はピークを越えた模様。 , 第二の雪渓を下り切る涸沢 かなり下ったせいか.おおい被さる岩壁の中.電光に対し気安めだけでも楽になる。 下からの嵐はなくなった。 雪溝を走らず.雪壁のような急な雪渓を6ピッチ程.ツルベ式で下降した。 5ピッチで雷雨は治まり.空も明かるさを増してきた。カメラを撮る余裕も現われる。 安途 二人を結んだザイルを解き広い涸沢の雪原に降り立った時.何とも云えぬ開放感と安途に包まれた。 自分はここに居るぞ。 それは和田に対してではなく.周りの自然全部に何にか誇示したかったよう思えた。彼も同じよう感じたに違いない。 そして山は再び静けさを取り戻していた。 10日消燈.22:00〜不明.11日1:00濡れたシュラフを暖める。・・2日続いてのアクシデントはこれで終える。 落雷事故 一週間前の7月1日.西穂高岳で集団登山の高校生が落雷に会い.24人が死傷した。 集団登山で西穂高岳に登頂した県立松本深志高校の2年生41人と引率教師5人.総勢46人が下山中.独標直下で落雷を受け. 11人が死亡.13人が重軽傷を負う。 頂に到着して間もなく大粒の雨が降りだし.独標手前のピーク付近では急に空が暗くなり.大粒の雨は豪雨に変わっている。 その豪雨は直ぐ小豆大のヒョウに変わり.雷鳴も轟きだしていた。そして独標ピークの北斜面で突如として爆発音が響き. 青白い火柱が立ったのが1時40分頃。雷に打たれ死因となった者9人。残る2人は落雷のショックによる転落死。 通常.雷は「一雷一殺」と言われているが現場が岩場だったので雷が地面に吸い込まれず.岩場伝いに走っていたため, 9人の死亡を出すことになってしまった。 転落した2人は濡れた岩に雷が落ちたことで.水分が一瞬のうちに気化して膨張し.その衝撃で跳ね飛ばされたと報道されていた。 涸沢Bc1.涸沢への径.前穂高北尾根 涸沢Bc2.北穂高岳滝谷.北穂沢 |