会津田代山と帝釈山・・会津帝釈山地Top

   同期大川から山に誘われる。還暦を忘れさせ.再び山登りを始める切っ掛けを作って頂いたのが彼.大川と山に入る。
     彼から前回の赤岳清掃ハイクでは昔と異なり.山に対する身支度の違いや.着るもの進歩を教わっている。
     それほど山との接触は何十年もなかった。直ぐ必要なザック類は後輩の石川君から借りて.田中先輩の指導の下.八ケ岳の頂で.清掃ハイクを実行。

   大川はその後.確実に山登りを続けるだろうと考え.誘ったのだろう。全ての段取りをお願いし..彼に従えばよい山行になる。
   
  jr宇都宮駅でマイカーに迎いられ.湯の花温泉から懐かしいい田代山へ出向く。

       初冠雪と薄暗い樹海と湿原の山
     湯の花温泉泊りで霧中の会津田代山に立つ。.そして会津帝釈山
をピストン. ・・2005年10月23〜24日.L大川.m松村

     遡った湯ノ岐川新道沢


   大川から田代の山上で晩秋の柔らかい日差しを浴びようと誘われ.南会津帝釈山へ出向く。
     だが好天には恵まれず.初冠雪に加え.眺望は霧雨とガスに包まれ.2日続きで期待は持てなかった。

   田代の山上湿原は灰色の世界を創り.草紅葉に漂うおぼろな霧雨が晩秋の侘しさだけを映していた。この侘しい風景は又昔を想いださせていた。
     1970年頃.秋霖前線末期の豪雨に遭遇し.田代山から下るも湯西川で通行止に遇い.一晩留まるはめになる。

   その頂には方向として逆側から彼と目指した。擦れ違うハイカーとも会わず.2人だけの山旅になっている。
     彼とは東京に来る都度.酒を交るわす仲だが.共に山に向かうのは何十年振りになるのだろう。

   秋たけなわの南会津.長い林道と34年振りの会津の山
      10月23日.重曇後雨 上野快速7:48=9:30宇都宮IC=矢板IC.下塩原矢板線=会津東街道=湯ノ香ライン
      =上三衣.日光街道(会津西街道)=山王トンネル=早坂.沼田街道=南会津舘岩村.湯の花温泉「かじや」h.⇔猪倉.150k.

   湯の花温泉「かじや」の南窓から望めぬ田代の山々

      友と再来し
   前日は我が町会.北竹睦総会で酒宴が催され.幾らか酔いの残る山行へ。
     彼とは卒業後.初めての山登りだった。車窓に朝の陽差しが差し込む宇都宮線の車内は中高年のハイカーで賑わっている。

   私も.その仲間入りをした気を起こさせ.のどかな中にこれからの山行を思い心は弾んでいる。
     宇都宮という中途半端な距離の宇都宮駅で彼と待ち合わせ.9時半と遅く.ゆっくり東京を立つ。

   宇都宮では昨夜1時頃.5cmの大粒のショウに叩かれ.路面はまだ所々濡ていた。東京で一日中降り続いた雨は上がり.今日明日の秋晴れが約束されていた。
     宇都宮を抜け.塩原を過ぎてから空模様が可笑しくなりだしている。日光.女峰山から帝釈山に掛けての山々は初冠雪を迎えた。

   会津西街道を走る
     塩原.会津東街道=湯ノ香ライン.(箒川←尾頭トンネル→尾頭沢→男鹿川)=上三衣.日光街道(会津西街道)=
     (男鹿川←峠沢←山王トンネル→山王川→阿賀川=山下川=早坂.沼田街道(阿賀川←荒海沢←龍沢←中山トンネル→番屋川→舘岩川)
     =松戸原.(←湯ノ岐川)=南会津舘岩村.湯の花温泉

      150kmの旅
   会津田島を迂回するよう大きく尾根を巻き.舘岩から湯の花温泉に入る。
     このルートは西那須原・塩原ICから山王峠を越え,館岩に至る街道は今回で2度目になる。燧ヶ岳.会津駒ヶ岳の春ツァー以来30年振りだろうか。

    会津西街道
     会津西街道は江戸時代に会津藩主.保科正之により整備され.会津の若松城下から下野の今市に至る街道.下野街道とも称す。
   会津藩.新発田藩.村上藩.庄内藩.米沢藩などの参勤交代や江戸と会津以北を結ぶ物流の道として重要な街道だった。
   明治17年.会津三方道路が整備され.衰退するが似た街道として整備されている。・・越後街道.米沢海道.下野街道

     桧枝岐方面は初めは鉄道を利用し.1969年に会津田島駅から滝原線.磐越西線と繋ぎ郡山にでている。
   その後1971年田代山.75年大杉山は湯西川に抜け路線バス・マイカーで日光へでていた。上三衣から西街道を奥鬼怒林道大間々線に抜けたのは2004年妻と。

     2008年は飯豊山の帰路.米沢街道とを繋げ山王峠にでていた。同期会で桧枝岐に集ったのが2009年.同じルートを今回と同様,大川の下で催している。
   2014年には五色温泉の帰路,会津若松ICから南下した。山だけでなく遊び心で下道をも走っている。・・南会津への鉄道.街道経緯


   湯の花温泉への途中で昼食に鼠ダイコンの辛味ソバを昼食を摂る。彼に云わせるとこの辛みが美味く.前回も寄ったとのこと。
     苦さが以外と美味い。14時に湯の花温泉を通過.まだ早い宿に猪倉の登山口まで出向き.登山口を偵察し入山の雰囲気を味わう。

   湯岐川沿いを
遡る舘岩の林道は田代山林道へと繋がり.峠を横切っている。そこは樹間を縫い黄葉艶やかな谷間を覗かしていた。
     山は霞み.何時降りだしても可笑しくない雨雲の中だった。視界が閉ざされ.早々温泉に引き返す。そして1軒の民宿「かどや」に宿る。

   電車の場合.今は野岩鉄道.会津高原尾瀬口から路線バスで湯の花温泉へ。バスの本数は極めて少ない。
     更に猪倉登山口まではタクシーの利用となる。2009.06.13〜7.28.の土.日.祭日はシャトルバスを運行していた。

   松戸原観光案内所前=湯ノ花星酒店前=田代山猿倉登山口間.片道¥500.南会津観光協会舘岩観光センター
     木賊温泉は早朝の1本にみ。温泉から入口バス停まで徒歩1時間半程を要す。

      湯の花温泉「かじや」
   泉湯は柔らかい.一見すると沸かし湯と間違えるほどだが.暫くすると肌につるつるのぬく篭りが伝わってきた。
     又民宿は24時間入れる風呂でもある。この宿は田園の中に建ち.周りは曲家集落で東北特有の家屋が数多く建てられていた。

   近年秘境の湯ブームは湯の花温泉の「共同浴場」をも変えている。昔は誰もが何時でも入浴できたが近年観光客の増加で規制を設けている。
     一定時間を村民専用に変える利用方法に変えだしていた。

      酒宴
   カラスの群れが夕暮れを知らせ.彼と窓越に互い陣取り,南側の山並を眺めている。今は先程の峠へ繋ぐ道路も雨雲に隠れていた。
     シトシト雨が激しさを増し.もう天気は諦め.気にせず酒を呑むだけになっていた。彼が美味いと云う地酒「花泉」は微妙に甘く口当たりがよい。

   何もすることもなくなると酒宴が続く。摘みはピーナツと裂きイカ。ツマミは少し侘しいが呑むのも今回の目的の1つだった。
     途中で買い込むのを忘れ.酒は近くの星酒店屋.兼雑貨屋で急遽買い込んだ。

   学生の雰囲気で呑み夕膳に流れ込む。岩魚の刺身,塩焼きに骨酒が気を引き付ける。ビールは乾杯だけにして彼は大きな徳利を追加した。
     雨足は激しい音を立てている。部屋に戻ると焼酎で呑み直す。明日は晴れなくとも曇天であって欲しい。宿代2人.¥19.000

      10月24日曇.猪倉南登山口9:00一10:30田代山11:00⇔12:00帝釈山:40.
    猪倉(猿倉)登山口
   
   向かいが舘岩線合流点.猪倉南登山口             登山口左側が田代山林道

    帝釈.田代山約図
   馬坂沢本谷地形図

    湯の花温泉=湯ノ岐川←峠.尾根上=橋立沢→湯西川→五十里湖.男鹿川→鬼怒川)=今市
    湯ノ岐川→舘岩川→伊南川→只見川→阿賀川→阿賀野川

   湯ノ岐川新道沢オクラ沢源流を回り込む

      入山
   一応雨は止んだが登山口の駐車場に車は1台もなかった。壊れた冷蔵庫に登山届を入れ登りだす。
     泥んこ径を思い.下半身はズボンを脱ぎ.下着にカッパの変なスタイルを通す。

   急登の30分.昨日の酒のせいか喘ぐ息に.体との足のバランスが取れず.重い足取りで歩んでいる。赤岳清掃ハイクから2ケ月経ち.
     山に入り初っ端の急登はやはりきつかった。ずーと山と離れ.山慣れせぬ私に彼が指導する。「もっとゆっくり歩け!」と。

    小田代
   前回きた時は足元に小さな木片の山名標があった
    木道左上は「湯の花」への廃道

   程好い歩調になる頃.突然小田代に飛びだした。大川はペースの配分が出来ていないと私に叱る。
     再びスローペースで歩けと説教させられた。急登は駄目だが.なだらかな登りには体が動いていた。
     体力もなければ先を見る洞察力は更に失われていた。前回の八ケ岳山行では生まれて初めて.惨めな醜態をみせている。

   大川の前では見栄もない。何十年振りに8月に八ケ岳を横断し.まだ体の動きが戻らず分からないでいた。
     彼の言葉は全てが道理にかなっていた。自然の動きに.「そうか!」とうなずき直すだけだった。

   急に開けた湿原で休めば肌寒い。冷たい風と汗が体を濡らし.特に蒸れた下半身は一層震えを起こさせていた。共に思い互いに笑いだす。
     再び樹海を潜れば山上の湿原にでた。

    田代山
   枯れはてる田代山湿原

   頂の幻想的な湿原

      田代山
   薄暗く灰白色に染まる田代の山上の湿原。草紅葉の大地が広がり.湧き上がる霧雨は漂い放徊し.全てがこの霧粒のガスに包まれていた。
     おぼろに霞み灰色に染まる草黄葉の草原は哀愁募る姿を映し出し.晩秋の侘しさばかりを強調していた。
     2人でこの広大な霞んだ湿原に立ち.今にも本降りになりそうな大地を仰ぐ。それでも私は満足感に満ちていた。

   昔と自然そのものは変わらぬものの.様相は大分変わっている。
     湿原には立派な木道が走り.膝下にあった山頂の山名標も.見上げる程の大きさのものが立てられている。
     昔馬坂川を遡行し太子堂の裏にでた場所には.立派な避難小屋が建てられていた。ただ旧湯の花への山径や湯西川へ綴る山径は廃道化している。

     帝釈山
   視界は頂のみでガスる

   ガスの切れ目から霞む桧枝岐の山並

      帝釈山へ
   帝釈山への登山道は田代山の登りと異なり.泥雲の泥んこ道。登山靴口をも埋まり込む濡かんだ道に視界の利かぬ馬鹿尾根が続いている。
     田代山から帝釈山のピストンだけでなく.今日は擦れ違う人もいなかった。膝が笑いだす下りに喘ぎ.抜かるんだ径を強引に進む。

   腐れ縁かと誰に云う訳でのなく.何故こんな道をあるかさせられるのか.互いにぶつぶつ言いながら歩くのも楽しい。互いに頷き歩むのみ。
     昔は幾度となく2人で山行を繰り返していた。互いに山に対する考えがよく似た感じを持っていたのだろう。
     よく理屈を付け.後輩を引き連れて山に登っていた。そして休みともなるとよく彼と並んで座わったものである。

   彼が今年の6月に「登山靴と肌着を買い.山へ行こう!」と誘った言葉を想い出していた。
     27年振りに大川と山に入る。街では時折会っているせいか.頼もしくもあり.寂しがり屋の好い奴である。

    北西から見る裏側の帝釈山.右が馬坂峠
   駒ノ大池より.2009.07.

      帝釈山
   山頂からの展望はここでも望めなかった。周りに望めるべき山々が今は巻き上がるガスの中にある。
     過って登った日光連山や向かいの燧ヶ岳.平ヶ岳.会津駒も.全てガスに包まれていた。

   道標に「田代山2k.桧枝岐林道まで500m」とある。馬坂峠からの新しい山径が出来たようだ。それも距離にして500mで300m下にある。
     ガスが霞み見え隠れしていた林道が道端にチラッと見下ろされた。こんな近くに林道が造られ.登山口もできていた。
     方向が定まらぬも桧枝岐温泉に抜ける林道のようだ。

      馬坂峠
   桧枝岐から舟岐川を遡った台倉高山との鞍部.馬坂峠が帝釈山2059.6mへの登山口.1780m
     往復徒歩1時間20分.現在桧枝岐からの入山は可能. 川俣方面は林道の拡張工事のため通行止。川俣桧枝岐林道.

   昔は馬坂川を遡行し野宿して.田代山のツメを目指し遡っていた。そして今日のような霧雨から本降りになり.黙々と三河沢林道を下っている。
     林道に出た所で豪雨に叩かれ.後輩を励ましつつ.湯西川温泉に逃れていた。

       12:00帝釈山:30一13:30田代山避難小屋:45一田代山一14:30猪倉南登山口.田代山林道15:00.

    田代山避難小屋
   現在は小屋の中に弘法大師堂が祭られている

      昔道
   34年前.昭和46年には避難小屋はなく.沢を詰めた先に背丈にも満たない小さな大師堂が足元に祀られていた。
     馬坂沢ツメの藪を漕ぎ抜けた所が大師堂の裏だった。山頂から少し離れた湿原脇.森の中にある。

   その同じ場所にがっちりコンクリートで固められた高床式の小屋が建てられていた。
     昭和61年に改築され.現小屋には田代山大明神と大師堂が祀られ.避難小屋を兼ねていた。外棟にトイレあり.

   避難小屋内部は玄関中央に土間が広がり.コの字に板床が敷かれている。
     窓はなく戸口を開けねば小屋は闇の中になる。そして入口正面奥には弘法大師坐像が祀られていた。

   その前で寝転んでよいのか? お寺の本堂と違い,余りにも近過ぎる位置, 外の明るさは太子さまに背を向けねければならぬ違和感もある。
     足先は向けぬが今までにお寺.神社の本堂.本殿には随分お世話になっている。ただ避難小屋と大師堂が合わさった小屋は珍しい。
     息が整い時間が経つにつれ.慣れるのも人の常でだった。デンと体を伸ばすようなる。

    昼食
   昼でも灯の必要な小屋内

   帝釈ピストン後.避難小屋での昼食. 2人とも朝2杯とお代わりしたせいか腹はまだ満腹感が残されている。
     共に握り飯1個をかじる。肌寒く霧雨舞う中.明かりを求め扉を開け.15分ほど休み下山した。


    下山して
   猪倉南登山口
    猪倉,田代山林道15:00=湯西川林道=今市杉並木=jr宇都宮.285k..快速18:40=20:10上野

      反省
   帝釈の頂で妻に電話した。頂は雲の中.21時頃帰宅すると。それが地元の大川に気を使わしたらしい。
     何となく言った言葉が彼に負担を掛けたか? 下りでペースを戻し.ハイペースで下るも先を急がす積りではなかった。
     早く下山したいと誤解を生んだかも知れない。

   彼は1人旅が多く何時も同じペースだと答えるが.それだけだろうか,後から思えば気を掛けたようだ。
     宇都宮でギョウザで一杯あってもよかった筈である。我儘な私は少々気難しい思いと.心地よい疲労とで列車に乗り込む。
     家の問題も含め彼に相談に乗ってもらっていた。「ありがとう!」と改めて述べたい。

    三河沢左股源流
   34年前.湯西川へ下った尾根沿いから

   田代山林道より.写真はOのカメラと私の携帯Tel

      南会津の林道
   34年前.田代山々頂から南に折れ三河沢林道から湯西川に下りている。その長い藪尾根に沿いに今は田代山林道が走っている。
     峠から大型が通れる立派な県道が先月開通した。その黄葉溢れる尾根を抜け.彼の運転する車で湯西川へでる。

   昨年は10月.妻と同じようなコースを取り金精峠から赤城へ抜ける。今回の栗山舘岩線を除けは通ったことのある街道だった。
     会津に入り三又でダイコンを買い.川俣で露天風呂に浸かっている。今回も同じ道を逆に直線で走ってきた。

   栗山舘岩線は最近県道350号線として昇格する。ただ今年に入り.田代山林道路肩工事は猪倉より半年間通行止めとなっていた。
     秋季通行可能日.10月05〜11月22日間.7〜15時まで.勿論雪積もれば通行不能になる。

   馬坂川林道(川俣桧枝岐林道)は現在.舟岐川沿いの桧枝岐林道と繋がり.通行できるものの,工事が続き通行は不可。
     2009年07月.再び彼と桧枝岐で同期会が催された。その折にこの街道が開通したことを知る。
     彼の車ベンツはこの谷へ入渓することはできなかった。湯西川林道は県道となり2車線の完全な舗装道路に変わっていた。

      南会津
   道路は良くなっても会津の山はまだまだ遠いい山だった。山を下りた裾野で波重なる素晴らしい黄葉の波肌に見とれている。
     前日は湯の花温泉で酒を交わし.下山してからの黄金色に開かれた山肌が裾野を埋め素晴らしい景観を見せつけさせていた。

   次回は来年になるか? 彼に初春の雪積もる大菩薩を登りたいと伝えば.又彼は八ケ岳本峰か.白馬岳北方を私に伝えている。
     今度会うのは東京での忘年会となろう。
     映りは悪いが今回初めて携帯のカメラで撮影。露質の良いのは彼のカメラ・・雨具はゴアテックス.2005.10.@2.8000を購入

      高層天気図・・23日9時.24日9時