| 南会津周辺 越後山脈(会津,下越国境周辺) 1969年05月.藪と残雪の守門山スキー 会津只見三山Top 1967年10月.藪山平ヶ岳から湿原の尾瀬沼 尾瀬ヶ原国立公園Top 只見線と奥只見.登山アプローチ経緯 |
南会津三山 1972年09月.只見線開通と秋霖の会津朝日岳 1973年05月.燧岳と会津駒ケ岳スキーツァー 2009年07月.前線下の会津駒と中門山・・桧枝岐から尾瀬沼周辺 1975年05月.裏尾瀬大杉岳スキー・・残雪に荒れた下山路安ヶ森林道 帝釈山地 1971年10月.鬼怒川支流田代山馬坂沢サル沢・・豪雨の湯西川温泉 2005年10月.湯ノ花温泉から猪倉⇔田代山,帝釈山 鬼怒川上流周辺の街道経緯・・本文末. |
晩秋の田代山馬坂沢サル沢 白タクで鬼怒川上流へ.秋霖前線の合間と豪雨.の湯西川 湿原が広がる田代山 明るい滑滝が続く馬坂沢本谷 鬼怒川上流周辺の街道 馬坂沢サル沢帝釈,田代山約図 馬坂沢上流遡行図 . |
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奥鬼怒川無砂谷から平瀬が続く馬坂川を遡行―湿原の被う会津の高峰へ s46年(1971年)10月25〜27日. L松村進(43卒).m中沢康.内海勉(4).和泉政幸(1) 飛び石連休を利用して奥利根源流を企てたが秋の天候異変が続き.天気図には秋雨前線ががっちり腰を据え構えていた。 又今年は異常な程多い台風の襲来で.秋晴れも少なく23日も愚図つき気味になる。 その上,.0月は先輩の結婚式が続き.止む得なく奥利根から変更し.帝釈山脈の明峰に突き上げる馬坂沢本谷へ目指す。 馬坂川は奥利根とは全く異質の沢を構成し.長閑な中にも静かな旅情を味わえる素晴らしい山域になるだろう。 会津田代山 会津田代山は日光白根山から連なる北側の背稜にあたり.奥鬼怒山.黒岩山を越え沼山峠より隣り帝釈山から続く山並になる。 会津との県境でもあり.東へ延びると荒海山から山王峠を越え那須連峰に続いている。 溢れるばかりの黄葉と陽溜り.晩秋の冷雨にもさらされた。艶やかな秋色美に浸ると共に侘しさをも渋く味わされていた。 朝の山懐 |
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朝.出合付近bs |
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| 10月25日.東武浅草17:10=19:37鬼怒川.東武バス=20:05川治.雨:45.白タ=20:40無砂谷大橋一23:35ハタノ沢出合先b1. 白タク 川治に着いたのが午後8時.もう最終路線バスはない。川俣上流まで入ることを条件に白タクを頼む。 川治では小雨が降り注いでいたものの黒部.栗山と奥へ導かれ.川俣を過ぎると路面は乾いていた。 闇に包まれた田舎道.長い鬼怒川沿いの地方道(川俣温泉川治線)が続いている。 舗装は直ぐ途切れ.ヘッドライトの灯だけが裸土の先を導いている。 今夜は雨覚悟の野宿を考えていたが運転手が薦めてくれた飯場にお世話になろうとと案じていた。 それも運よく奥に入るにつれ路面は乾き.状況はすっかり変わっていた。闇に中.気は揚々と晴れ上がる。 暫くして闇から急にスポットライトを浴びたような明るい場所にでる。程長い間隔で光る蛍光灯の灯りが川俣大橋を浮き出している。 この橋を渡ると念願の馬坂林道へ。川俣湖左岸の林道は路面の凸凹が激しく.車はうねり腰を踊らせながら北上した。 登るツヅラ道にライトの光は更に踊り視野を狭めて行く。 運転手は初めての道.「遠い!遠い!」を連発しながら,おだでにおだて,とうとう川俣から奥の沢まで入って頂いた。 ここは途中飯場で教えて頂いた3本目の橋.無砂谷橋まで入ることができた。 Bsへ闇の道 早々.エレキが頼りの歩行になる。車が去ると厚い雲が谷間を閉ざし.真っ暗闇の道が続いている。 晴れていても上弦の月.月あたりは望めなかっただろう。それにしても闇に包まれた黒い道。 右に折れ,頭のエレキを頼りに歩むも.灯りは足元だけの小さな空間だけを照らしだしていた。 この先にも飯場はあった。犬.2頭の怒声にビクビクしながら,まだ続く林道を20分程歩いて.右に折れ溝沢を横切ってハタノ沢にでる。 そして林道が馬坂川本流を横切る地点で沢底に下りた。 1寸先の明るみもなく.全てが闇に包まれている。皆でエレキの灯を集め.河原にビバーク地点を見い出した。 橋より100m程遡った左岸の砂地に野宿する。見上がると時折望めるか,望めぬほどの星が1つ.2つ見付けられた。 真っ暗闇の渓谷で.如何にか雨だけは気にする必要がなくなっていた。 延々と続く平瀬の川 |
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平瀬が続き足にカジカが |
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| 鬼怒川支流馬坂沢サル沢―会津田代山―日暮峠―三河沢出合 10月26日曇. ハタノ沢出合先b1. 7:35一8:45左岸.サル沢手前:55一10:20初めての滝2m:20一11:08左岸,荒れた沢 一11:30三段ノ滝下.オオイデ沢手前12:20一13:13小雨.小:22一14:15田代山太子堂. 焚火 少し肌寒くもあるが清々しい朝の陽光を迎える。 澄んだ山気に樹葉の香り.もう森は起き上がり朝モヤを漂わせ.朝陽が反射し煌めかしている。 bs脇の倒木が絡み合っている所で朝食を兼ね焚火をした。大きな倒木を椅子変りにし.枯れた枝木はよく燃える。 炎と共に煙は黙々と天空へと昇って行く。ゆっくり柔らかく揺らぐよう昇ってゆく。 今日は日差しにも恵まれ.華麗な黄葉と紺碧の空を創り出し秋の長い一日が始まろうとしていた。 平瀬の沢 まったく平坦な,それでいて沢巾一杯に清流が洗い.両岸は色付いた晩秋の深い森に被われていた。 明るい静かな大地にあくまでも大らかな流れの瀬を創り.森へと緩やかな蛇行の流れが綴れている。 地図では読めぬ蛇行が大らかに続き.ふと上高地梓川を思わす清流の流れの美しさに意外な発見があった。 殆ど足を漬けぱっなしの遡行.膝下の水位で瀬幅は広く,和やかな流れブナの巨木が沢を囲み被っている。 緩やかな曲線を描き静かにうねる馬坂沢。浅いトロ状の瀬が長々と続いていた。 沢底には飛び石もなく.あくまでも川幅いっぱいに.川水は水位を変えず舐めるよう流れている。 ガレ落ちる谷の圧迫感はまるっきりない。沢が大らかな森を流れ我々を癒す。早くも僕は快い満足感に酔い知れていた。 この散策的な気分が1時間以上続いた。沢に浸かり遡りながら歩む。 栗のような実が木陰一面に落ちているブナの台地を見詰めれば山ぶどうが茂る。 まだ早いが熟していそうなものを摘み.沢に浸かりつつ食べ歩む。 この右手には広々とした森を切って.渓から一段高い所の左岸にススキの台地があった。 ここもまったく平なススキの原.もう穂を出しキャンプには最適の所だった。そして又.ぶどうが広い砂礫帯に群生していた。 ここ程.焦らず歩かねばならない平渓はない。深い森は湿原のような大地に癒しの流れる渓が創られていた。 息を荒わに遡れば森に怒鳴られそうな渓だった。 少実1時間,幾らか沢は狭ばまり.ゴーロと土砂の荒々しい中流帯に入て行く。 まだ出合との高度差もなく平坦な渓が続いていた。 山女魚 両岸の堆積が甚だしくなった所で初めて2m程の魚止めの滝にでる。 釣師には絶好の所だった。魚は多い.敏感な山女魚は人の気配を感じ.一瞬にして岩陰に隠れてしまった。 途中.内海君の足に釣りの道糸が引っ掛かり.上げたらカジカが掛かっていた。 釣り糸を引き上げると威勢よく尾を跳ね上げた。時間があれば.のんびり釣りするのも良かろう。 天然の椎茸.しじみを採りながら遡る。・・2000年頃には.この辺も山女魚釣りのメッカとなった。 浅いトロ状の馬坂沢 |
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昼食は山菜うどん |
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| スリ沢出合.小さなゴルジュ,の滝に掛かる。倒木が滝口を塞ぎ.小さいと云うものの釜を持っていた。 滝口に倒れた巨木に跨って摺り上がる。摺り上がる程でもないが変化を作るポイントとして.後輩達ははしゃいでいた。 サル沢 帝釈山から田代山にツメを変更.無名沢を詰める積もりが.見落としてしまったらしい。 左岸に落ち込む荒れた沢に回り込んでみたが.無名沢らしくない。 戻るより登れとサル沢の裏側の太子堂に突き上げるサル沢左俣を詰めることにした。 昼食 11時半.三段ノ滝下で昼食。先程採った茸を混ぜ山菜うどんを作り食べる。皆よく食べる中.1年の和泉君はまだむしゃらな調子がなかった。 夏合宿を終えたとは云え.まだちょっと山への呑み込みが足りないようだ。 同期の居ない初めての沢登り.昨夜の車酔いをし.まだ覚めながいのか覇気が欠けていた。 秋田出身と云えば最近一緒に山行を共にする八端君と同郷だ。私がOBになってからの後輩.まだ可愛さが残っている。 サル沢左から源流へ |
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三段ノ滝. , |
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無名沢核心 ひっかりしたホールドで左へ攀じり.呆気なくオオイデ沢とシャクチ沢(本谷)の出合にでる。 サル沢の右俣に入り込み.直ぐ出合が左岸より合わさった。 水量がぐっと減った沢は急に高度を増し.階段状の沢が知らずして高度を稼いでいた。 高度を取り見下ろす下流の流心はは樹葉に覆われ.幾らか黄葉に染まり始めてもいた。 時たま見る黄葉の中の紅一点の木には10月中旬の里近くの華やかだった紅葉が偲ばれてた。 ツメ 攀じると云うより登る沢は馬坂沢全体にも通じよう。 難場は皆無だが水量が少なくなるにつれ岩肌は脆さを増してきた。 脆い花崗岩は握ると手の甲で崩れボロボロの礫石となっていく。ショルダーを1ヶ所やらかした。 そして本谷沿いの脆い逆層を右に避け.緩い傾斜の藪絡みを漕ぐ。ここは思いのほか手強かった。 林道は馬坂川沿いに遡り帝釈山南から会津へHP「トマの風」関氏によると左の沢が本流で左岸に入る無名沢。当時は林道はなし |
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ツメからの馬坂谷遠景 |
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| 源流 帝釈山は深かった。求める頂稜もよく見定めぬと見逃がす程の踏み跡で獣径と思い偵察する。 古い団扇を見付け.これが五万分ノ一地図に書かれた径かと我ながら驚かされていた。 ここには沢登りに付きものの最後の藪漕ぎで「出た!」と云う言葉はなかった。 バラバラになって探り.右上に突き上げた所にでる。ここは太子堂から20mも離れていなかった。 このルートは頂稜に出て顧みると本来のサル沢ツメとも思われる。 田代山 「おおー!」と大きな叫びが出る。田代の湿原が太子堂の裏から一面に束の間の明るさに包まれ開かれた。 それは今までの藪とは泥雲の開け方で田代に出たという喜びの声に変わっている。 2つ目の言葉は必要としなかった。中沢君.内海君.それに和泉君が踊りだす。下界は既にガスが湧き包まれていた。.全ての裾野をその下に閉ざしている。 この頂は田代の山.黄金色に色付いた湿原を勇む心で歩みだす。そして時折崩れ落ちた木道を見付けていた。 はしゃぐ後輩達.勿論この広大な湿原は私達以外誰もいない頂だった。 田代山々頂 ![]() 下山 14:15田代太子堂,雨一15:10最初のコブ:20一17:45日暮峠一18:30雨:50一19:20田代山登山口.林道一20:00三河沢出合 ト=20:25「湯西川ホテル」h2. 喬木の藪径 田代の山頂から一歩.湯西川温泉へと下りだすとこの散策的明るさは逆戻りする。 急な尾根の下りは草木に被われ.ひっかりした踏み跡には違いないが足元を見定める径は消えていた。 更に自由奔放な倒木が先方を塞ぎ.這い周る根が踏み跡を遮っている。 まして雨が降りだした。泣きだしそうな雨粒は小降りから本降りに変り.先頭は草分け以外に露払いが始まった。 湯ノ花温泉へのはっきりした径とは.似ても似つかぬ径にる。 潅木の枝木が径に被さるのを分け.一つ目のコブを越えた所で大休止した。 雨はかなりの激しくなる。傘に身を委ねサンドイッチを口にし.再び荒れた尾根を下りだす。 指導標らしき道標は山中一度見付けた枯木山への分岐だけだった。後は在っても古く.浅焼け読むに読めぬ板切れになっていた。 その道標に「田代1.5k.湯西川20k」とある。 頑張る和泉君 馬力と忍耐のいる割には捗らない長い下りが続く。ガックリすると同時.黄昏が近づき時間が気に掛かりだす。 幸い分岐から径はよくなった。それでも和泉君は倒木に足を取られ転ぶことを繰り返す。 大分疲れが出てきたようだ。不適されては.無造作に足を出し,又転ぶ。 「頑張れ!」と声を掛けるも,足元は全く覗めぬ藪絡みの径が続き.被さる笹の背丈は高い。 新たに慎重さに身を構えるも.暫らくすると転ぶことを繰り返す。 巻き径で急に歩き易くなる。それでも雨は止みそうになかった。 日没に追うよう早足になる。黙々と歩くのみ。日暮峠まで2時間半のノーストップだった。 分かれ径 峠には四方に4本の径が分かれていた。 今歩んで来た径は更に東側を巻いて.一番はっきりした径を築いていた。 尾根沿いに南下する少し荒れた径. 径ははっきり分かれるも道標はない。 私は慎重に判断し.北側の谷に入り込んでいる踏み跡を目指す。 雨に叩かれ黄昏は早くも闇に包まれだしていた。薄く暗く一番心もとない尾根からの径を選んでいる。 日没の陰側に掛かる谷径に入り.一層暗さを増し足元が覚束なくなった。 靴底の感触で径を求めるようなる。下り径に急なジグザグを切り黙々と歩み.そして三河沢の林道にでた。 実に12時間の行動だった。馬坂沢前半の散策から谷を詰め.藪を漕ぎ.頂稜の湿原と慎重な藪径へ。 馬力と忍耐を用した下山路も.等々終わりに近ずいた。 2005年10月.今は県道249号線.栗山館岩線が下山径を走り.小田代東側を横切る。峠下の会津側にP・水有り. 湯西川20kの径は現在廃道化されている。況して三河沢への下り径は地形図からも失われている。 湯西川温泉 翌朝・・陽差しを浴びる中沢.和泉.内海.後輩達闇の三河沢林道は降り注ぐ豪雨 三河沢左岸に沿った林道に入いる。増水は枝沢を走る水が路面に溢れ.雨は激しさを増していた。 侘しい雨に叩かれる。山間い深く黄昏も早い林道に秋霖の冷雨に打たれ続いていた。 肌寒さに体は震え.早い帳が一層.気を落ち込ませていた。 山懐を絡むよう綴る林道はもう露面の水溜まりも気にせず.ジャボジャボ浸かりながら歩いていた。 雨水が湯西川林道にも流れ.持つ傘が重みを増していた。 闇の中 帳も落ち色彩を失った灰色の林道はもう闇の兆へと向っていた。 谷はまだ山深く.足元は尚更覚束なくなる。雨の中.黙々と歩む。そして運良く三河沢出合で車に拾われた。 荷台はトラックの飛沫と雨が混ざるも.ホットした気が心を安らげる。もう周りは闇で何にも見えなくなっていた。 黒部西川線の林道に入り雨は激しさを増し.荒れた凸凹道をトラックは尾を振り湯西川温泉へ向かい走る。 粗い運転に跳ね上げる荷台.カーブが多く踊る荷台によく尻を打つ。 落ちぬよう気を配うが闇と雨とで,とても落ち着かぬ危険な乗り心地になっていた。何時跳ね落とされるか判らない。 両手で確りトラックの端を掴んでいるしかなかった。 湯西川温泉まで1時間のアプローチ.あっと云う間に集落まで運んで頂いた。 下車してホッとする自分と感謝する自分がいた。運転手さんには宿も世話になり.返す言葉もない。 この先の道路(黒部西川線.湯西川温泉=五十里湖間)はこの雨で不通になっている。 豪雨で明日の便も何時来るか分からぬとのこと。待つのみ. 湯西川橋 始発路線バスの到着を待つその後の林道 5年後1975年s50年05月.会津大杉岳の帰路.御池林道より安ヶ森林道に迂回し.悲惨な道中を経験している。 湯西川林道は2005年10月.帝釈山の帰り田代林道から下るも.当時の凸凹道は県道に昇格され完全に舗装されていた。 34年前.田代山々頂から南に折れ三河沢林道から湯西川に下った。その長い藪尾根に沿い.今は田代山林道が走っている。 峠から大型が通れる立派な県道が先月開通した。その黄葉溢れる尾根を抜け.大川の運転する車で湯西川へでている。 馬坂川→川俣湖→瀬戸合峡→鬼怒川 三河沢→湯西川→五十里湖→男鹿川→鬼怒川 10月27日快晴. 湯西川h2.東武バス10:45=12:00川治:07=12:30東武鬼怒川=14:45北千住.解散=仲御徒町. 湯西川温泉 激しい雨も治まり.朝の優しい陽差しを受け散歩する。始発のバスが登って来るまではまだまだ時間が掛かっていた。 山深い温泉はまだ秘境の郷にあり.萱葺きの屋根が軒を連ね.長閑に見える山村が広がっていた。 不器用で人見知りする村人も.語り出すと人の良さに溢れている。 鬼怒川までの長い距離を繋ぐ路線バスは10時半過ぎに現れた。 大型バスは雨に打たれた樹葉を縫い.紅葉に被われた五十里湖から鬼怒川へ回り込んでいた。 朝方.テレビのニュースで両陸下の外遊と伊達台風を報じていた。急に本土に接近した台風は各地に大きな被害をもたらしていた。 鬼怒川上流周辺の街道 1965年05月.白根山豪雪で中退. 夜行列車=東武日光⇔イロハ坂=湯ノ湖湯元⇔金精峠 1971年10月.田代山馬坂川サル沢遡行. 東武鬼怒川=川治.川俣温泉川治線.白タ=無砂谷大橋一ハタノ沢出合 下山は田代山より南に派生する尾根下山一湯西川林道.湯西川温泉=鬼怒川温泉.トラックとバス 1973年05月.燧ヶ岳.会津駒ヶ岳ツァー. 下山しモーモーカケノ滝=沼田街道=会津西街道=山王峠.箒川=西那須野・塩原IC.迎い車 1975年05月.会津大杉岳スキー. 六十里越.沼田街道=御池=安ケ森林道,湯西川温泉=矢板IC.マイカー 1986年06月.日光歩き旅Y. 東武楡木.例幣使街道R121=杉並木=東武下今市 1986年07月.日光歩き旅Z. 東武下今市R119一神橋R120一清滝バイパス一細尾入口 1986年08月.日光歩き旅[. 細尾入口一第2イロハ坂一中禅寺湖 1987年11月.日光歩き旅\. 中禅寺湖南岸一戦場ケ原.湯川一湯ノ湖.湯元 1987年05月.日光歩き旅]. 前白根山.夜行列車=東武日光,日本ロマンチック街道⇔湯元一五色沼一前白根山 1990年10月.東武日光.霧降高原道路=霧降高原リフト一霧降ノ滝 1994年03月.鬼怒川大谷川ヤマメ釣り. 日光宇都宮道路.日光IC=霧降大橋上堰.マイカー 1995年04月.鬼怒川箒川ヤマメ釣り. 西那須野・塩原IC=日光東街道,塩原.マイカー 2004年10月.宇都宮日光街道=日塩もみじライン=上三依.日光西街道=山王林道(奥鬼怒林道).光徳牧場 =湯ノ湖.日本ロマンチック街道=金精峠=白沢.沼田大間々線.マイカー 2005年10月.帝釈山宇都宮IC=矢板IC.下塩原矢板線=会津西街道=湯ノ花温泉.栗山舘岩線.湯西川林道(共に県道昇格) =会津西街道=龍王峡ライン=宇都宮.マイカー 2007年10月.奥鬼怒山. 東武鬼怒川.川俣温泉川治線=女夫淵一日光沢温泉一物見山一尾瀬大清水 2008年08月.飯豊山石転び沢. 下山し米沢街道=会津西街道=山王峠.箒川=塩原=西那須野・塩原IC.迎い車 2009年07月.会津駒ケ岳と尾瀬沼. 尾瀬沼山峠=御池P.沼田街道=上三衣.会津西街道=混雑し下の道を走り宇都宮へ.マイカー 2014年09月.OB親睦会五色温泉「宗川旅館」. 五色.万世大路.栗子道路=会津西街道.下郷大内宿=甲子街道.白河ICへ.マイカー 上州武尊周辺・・・利根沼田ロマンチック街道.裏街道 山の経歴.経過Top |
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