北アルプス.鷲羽岳と赤牛岳読売新道 ・・北アルプス南部拡大地形図.山行表

   新穂高から待望の鷲羽岳に立ち.立山と後立山の間に連なる読売新道を下り.黒部川上流の奥黒部ヒュッテへ
     晴天の入山は鏡平にでて穂高岳の影絵を映し出すも.待望の鷲羽岳は烈風に阻まれ又もや迂回さられた。赤牛岳読売新道から黒部上廊下へ
                                             2009年08月19~23日.L松村m見城.鈴木
    新穂高温泉一鏡平一三俣蓮華岳一水晶小屋・・ライチョウ・又もや不登の鷲羽岳
    水晶小屋一赤牛読売新道一奥黒部ヒュッテ
    奥黒部ヒュッテ一平渡し一黒四ダム・・大桟橋

   RHCクラブの創立50周年記念山行と合わせ.私達の現役時代当時の夏合宿で成し遂げた北アルプス全山縦走を想い.
     立山連峰後立山連峰との中間に挟まれた水晶岳を擁する読売新道の尾根を歩む。
     そのためにも42年前の集中地.新穂高から雲ノ平へ入山することにした。

   快晴の新穂高から入山.初日は鏡平山荘に泊り.2日目は曇天から風雨が強くなる。念願だった鷲羽岳の登頂は砂利の叩きつける烈風に遮られ
     今回も断念せざる得なかった。何処もが真新しい立派な山小屋に変わる中.小さな真新しい水晶小屋に宿り.読売新道に入る。

   現役時代の全山縦走を行った折はパーティ間の連絡.手段の場所として手紙を水晶小屋の主人に預かって頂いている。
     何度か尋ねていたが泊まるのは初めて。メンバーは昨年の飯豊山と同じく見城先輩と同期鈴木に私と3名の中高年が挑む。

      08月19日.竹橋,夜行バス=
        20日.新穂高一鏡平山荘h1
        21日.h1一双六岳一三俣蓮華岳一水晶小屋h2
         22日.h2一水晶岳一赤牛岳一奥黒部ヒュッテh3
         23日.h3一平ノ渡し一黒四ダム=jr信濃大町=松本=jr新宿

   8月19日.曇 jr秋葉原シャトルバス21:45=22:05竹橋毎日新聞社西口玄関.毎日夜行バス.¥6500.22:30=
   8月20日.快晴後曇 新穂高―鏡平
     6:00新穂高温泉bs:15一7:15中崎橋.朝食:40一7:50笠新道分岐一8:00わさび平小屋一8:20登山口分岐一8:40小:50
     一9:10秩父沢:20一9:55小10:05一10:40水場:50一11:25鏡平山荘h1(行動時間5時間25分).

    穴毛谷と笠ヶ岳~抜戸岳
   新穂高温泉バスターミナル.6:04

      夜行バス
   慣れぬ夜行バスで眠れなかったと嘆くK先輩。
     24名の乗客に空席が目立つが座席のクッションは悪く.冷房は効かず.乗り心地はすこぶる悪いバスだった。

   初めての夜行バスで怒るのも頷ける。夏のjr「ムーンライト」は2日前に終了し.後は土.日曜日だけの運行に変わっている。
     又新穂高への直通バスはこの便以外なく.阿房トンネルの開通と共に街道は便利になり高山から遠回りする訳けにも行かず.我慢をひいられていた。

   上高地線開通5時に合わせ沢渡で45分ほど待たされている。その間,新穂高温泉までひと休みの眠りに付く。
     うつらな朝方の眠りが心地よい。別便.京王バス+濃飛バス.新宿23:00=平湯乗り換え=7:42新穂高.¥6.570,トイレ付

      新穂高
   人の記憶と言うものは余りにも曖昧過ぎる気を.ここ新穂高で見せ付けられた。
     3度目となる新穂高だが.ただ前回との時間的な間隔も40年ほど経ち.殆ど記憶に留まっていることはなかった。
     唖然と見詰める私.K先輩もSも同じだと云う。Sとは右俣谷穂高平で合宿打ち上げを行い.3日間河原で天張り共にしていた。

   見城・田中先輩とは穴毛谷にBcを設けるため新穂高に待機していたことがある。ただ連日の大雨は上高地に移り明神岳へ変更している。
     その新穂高から上高地へ移動したイメージをも記憶は薄い。ロープウェーからだと思うも殆ど忘れられていた。

   まだ平湯峠越えの車道がなく.東海道本線を廻り込み高山線から入山していた時代である。
     その後は妻とマイカーで彼女の先祖の継承を調べるため平湯峠を越え飛騨に入っている。

     1967年(s42年)08月. 立山からヴァティケに南沢岳を経て穂高岳.夏合宿Ⅲ新穂高集中地
     1970年(s45年)07月. 梅雨で穴毛谷断念し上高地から明神岳主稜
     2002年(h14年)10月. 栃波.福光の旅・・先祖を探る旅
     2009年08月.       鏡平から読売新道へ

    穴毛谷二俣
   左俣林道から.6:35

   明るい陽射しに蒼空が開かれ.白雲湧く左俣林道から初めて笠ヶ岳が望められた。穴毛の谷に埋まる残雪は少ない。
     35年も前にT.K先輩と天候に恵まれさえすれば入渓していた谷間である。梅雨が明けずに新穂高の旅館に缶詰になっていた。

   余りにも荒天が続き諦め.上高地の明神岳に逃げている。雨降る中.出合まで偵察したが諦め.沢登りから雪渓登りに変えてもいた。
     登攀用具は使われず.東京に帰るまでザックの中に籠っていた。

   その昔の林道も.今日は晴れ晴れとしたした青空に戻されていた。歩めば汗が滴り.鎌田川左俣谷の瀬々らぎの音色も爽やかで心地よい。
     夏山というより既に秋空の碧さが沁みるような広がりを見せていた。

   鎌田川左又谷中崎橋で朝食.7:20

   中崎橋を左岸に渡る所で朝食にした。弁当.結飯.サンドイッチと各々が好む食事を持参し食欲はある。
     カラッとした左又谷の緩やかな林道に座り込む。まだ朝早いせいか通うハイカーは居なかった。

   中崎橋を渡った所に水場があり.その右岸に電源用取入口の小屋がある。
     ここから新穂高温泉バスターミナルの直ぐ傍にある北陸電力の水路式中崎発電所に送水管で繋がり.蒲田川本流に放流されていた。
     そこは又梶尾発電所の取水口にもなっていた。

   笠新道はこの先,岩小舎沢を過ぎた先が登山口.ここは抜戸岳へ直登する急登が続く。
     本流上流の渓流釣りのシーズンになている筈だが.常に減水気味のことが多いらしい。水槽も見られず.釣人もいず。

   白樺混ざりのなだらかな幅広い林道には木洩れ日を創り.綴りわさび平にでる。
     傾斜が増し.振る返ると遠く錫杖岳が望められた。小池新道口からは小巾な石畳みの整然とした登山道を歩む。

    大ノマ岳と弓折岳
   1時間半程で早くも視界が開かれる.8:16

   下抜戸沢先を左俣谷右岸に渡り.更に林道を進むと中崎尾根から奥丸山経由で.千丈乗越方面からの荒れた小径と合わさった。
     槍平から続く.この南岳新道は一昨年の秋.同期鈴木.大川と3人で穂高岳集中登山に参加した。見城先輩の牽きいる涸沢隊は荒天で中止している。

   その折南岳では暴風雨に遭い.天候によっては橋が崩れた新道を下山しなければならなかった。
     運よく翌日は好天とは云えぬものの落ち付き濃霧の中.キレットを越え穂高山荘に抜けている。その途中下山の道と合わさっている。

   左手へ登山口に折れる。小池新道は河原から叙々に離れ.石コロ混ざるのも,よく整備された山径を程好いペースで登って行く。
     高度は見る見る上がった。左俣谷の河原を見下ろすようになると突き上げる穂高群の頂稜が飛び込んできた。

    中崎尾根越の穂高連峰
   小池新道より.9:04

    大ノマ岳
   穂高連峰に惹き込まれる2人.9:01

    穂高連峰
   秩父沢より.9:04

   涸沢岳.奥穂高岳.ジャンダルム.離れた天狗ノ頭.間ノ岳.赤岩岳.西穂高岳へ
     右手白くザレた白沢の突き上げが奥穂高岳.3週間後ここで二重遭難が起きている。ヘリが岩に接触し墜落したと毎日.報道がされていた。

      翌9月11日.ジャンダルムでヘリ墜落事故発生
   遭難者の救助に向かった岐阜県防災ヘリコプターが墜落し操縦士ら乗組員3人が死亡した。
     地上に降りた高山署員と救助隊員が遭難者をロープで.上空のヘリに引き上げる為の準備作業をしていた時.後部のローター(回転翼)が
     急斜面の山肌に接触してバランスを崩したとみられる。機体は大破し一部炎上した。

   事故10分前の午後3時20分頃は晴れており.風もそれほど強くなかった。遭難者を吊り上げようとしたヘリを見て.小屋番の今田さんは
     「手間取っているな」と思った時だった。突如としてガスが発生。ホバリング中のヘリに霧がかかり.視界から消えている。
     次の瞬間「ガン」という爆音がし.霧が晴れるとヘリの姿はなくなっていた。

   秩父沢

   水ポリの飲用水は500ccのみ。明日の蓮華山荘までは水場が整っている。河原の白さが煌めく秩父沢の河原橋にでている。
     大岩のゴーロに照り返しの強い河原.その真中に冷え切るるほどの雪解け水が流れ落ち.当然1本取り顔を洗う。
     一瞬にして止まった汗. 流れが強く頭を水流に突っ込めないのが残念だった。それ程汗も滴っていた。

   仰げば紺碧の空と深い緑が頂稜を覆い.そこに2667m峰と秩父平.笠ヶ岳と擁する尾根が続く。秋雲が淡く姿を現われている。
     それでいて盛夏を過ぎても真夏の陽射しはまだまだ残暑らしき.眩さを持っていた。出発前にもう一度.帽子.タオルに冷用ネクタイを取り,顔を洗う。

    南方を望む
   焼岳と乗鞍岳.10:04

   大ノマ乗越の稜.10:25

   登山道はジグザグとなりかなりの登りになった。みるみる高度を稼ぎ.少し台地状の平台のシシウドガ原にでる。
     潅木で風は遮られている。暑し, 大ノマ乗越への分岐を過ぎて小沢沿いの石窪径を登り切ると湿原帯が現れた。

   木道が現われ少し歩めば,突然開かれた大きな池が鏡平だった。
     真向かいに中崎尾根が横切り.その上を延び越えるよう槍穂の長大なパノラマが展開されている。
     額に飾られた絵のようだ。飛騨側からの頂稜が水面に逆の岳々を映し煌いていた。

    鏡平
  
    大槍に大喰岳.中岳.南岳. 07年08月大切戸を越え北穂高岳.涸沢.奥穂高岳へ抜ける。低くなった中崎尾根の頂点が千丈沢乗越

   右景.11:26

   昔.鏡平山荘の主人.小池氏は弓折尾根上の湿原.地塘に映る素晴らしい岳に感動し.山荘を建て登山道を整備した。
     浮石の少ないよく手入れされた素晴らしい山径だった。見た目より労力を使っている。
     石敷は山径であることを忘れるほど.うまく溶け合い自然と調和され整備されていた。

   幾人かのハイカーに写真を頼まれた。自分なりのアップオリジナルを含め独断で2.3枚ずつ撮らして頂いた。
     私も鈴木も同じ風景に飽きることなく何枚もの連続で写真を撮った。それ程素晴らしいパノラマが開かれていた。

     鏡平ヒュッテ.12:37
    

      鏡平ヒュッテ
   正午前にシラビソ.ナナカマド.ダケカンバに囲まれた鏡平ヒュッテに着く。今回は水が豊富にあることで入山時の昼食も共同食糧とした。
     それも冷やし中華.手馴れた手付きで鈴木が茹で上がったメンを水洗いする。先輩はキューリをブッ切りに。それを見て更に枝のよう細く切るのが私。

   トマトの切り口は雑だがキューリとの色合いが抜群で.ゆで卵を輪切りし添えれば冷やし中華らしくなる。
     辛子を忘れたのが残念だが酢味が食欲を注っていた。槍穂のパノラマをバックに山荘前のテラスで食卓ができあがる。

   鈴木が贅沢に生ビール¥800を注文,初めてビアグラスを持ち汗を拭き吹き乾杯する。
     腰の心配も如何にか持ち堪えられた。明日訪れる黒部川源流と突き上げる鷲羽岳が楽しみになる。引っ張り上げてくれた仲間に感謝。

   「うまい! うまい!」を連発する仲間達。私は山で初めて生ビールを呑んだ。グーと呑めるのが又心地よい。
     喉を流れるビールの苦味が喉に冷たく伝わり.そして今日の酒.ブランデーが登場する。

   山荘は2階の個室201(6人用)が用意されていた。先輩は昼寝. 鈴木と鏡平への散策を志したが雲が湧き.岳々を被い始めていた。
     次第に雲の領域を深め.岳の頂のみならず輪郭をも隠し始めていた。諦めると同時.横になったのが運の付き快い深い眠りが待っていた。

   玄関にはこれから双六小屋まで先を伸ばす登山者も多くいる。朝一番で東京を発ち.遅れて登ってくる登山者で賑わっていた。
     ただ我々中高年には入山当日は早発ちし早めの鏡平泊りが勝り.夕食もそこそこに昨日の寝不足を回収するが如く.再び深い眠りに付いた。

   鏡平ヒュッテ2食付¥8.800.湯.茶のサービスあり.携帯電話は新穂高ロープウェー上にアンテナがあり.所々で中電できる。
     ヒュッテは清潔感が溢れ連絡は双六小屋経由. 系列にはわらび平小屋.黒部五郎小舎がある。

   8月21日雨風強し. 鏡平―水晶小屋
     鏡平山荘h5:45一6:30弓折岳鞍部一6:35雷鳥親子:45一6:50花見平一7:40双六小屋:50一8:15双六岳分岐:20
     一8:55尾根分岐9:05一10:00三俣蓮華岳. ・・雲ノ平周辺地形図

    奥が2662m峰
   池塘に囲まれた鏡平より弓折の稜.8月20日13:11

   4.5.6で朝食4時半.5時40分鏡平山荘をでる。小雨が舞いカッパの上着を着るか悠著し稜にでる。
     一気に高度を上げ.弓折尾根の潅木帯を右手へトラバース気味に抜けた。
     頂稜近くになると風にあおられたが上カッパを着る必要はなかった。ただ殆どの登山者は上下の雨具を身に着けていた。

      ガスと風
   弓折岳肩鞍部に立つと周りはすっかりガスの中だった。道標だけが笠ヶ岳への尾根と双六岳への径を別けている。
     急にやや強い双六谷からの谷風を受けるようなった。飛騨側からは昇るガスに全てが包まれだしている。

   程好く行くとライチョウの親子が山径を塞ぎ戯れていた。
     ここで1本,今日は双六,蓮華岳から待望の鷲羽岳を越える長いコースが待っている。
     双六谷の風をもろに受けるようなるとガスは更に濃さを増した。白い粒雫は灰色のガスに変わり.風雨は更に強まりカッパを被る。

   寒冷前線が日本列島を南下.日本海から吹き付ける烈風が山を襲う。北日本でも雨,風が強まっていた。
     下山した折.奥黒部ヒュッテの小屋番はこの2週間は好天が続いたと言う。今日は久し振りに前線の影響をもろに受けていた。
     東京は32.5℃.湿度67%

   前方は時折.ガスの流れが切れるも.視界は全く閉ざされている。上下完全装備で首にはタオルを巻き.時折メガネの曇りをぬぐう。
     昨日の大展望が嘘のよう周りは閉ざされている。やや風は強さを増し.それに従い雨粒も大きさを増してきた。
     帽子が飛ばぬようヒモを首に掛けフードを被る。

   快調に2本目で双六岳と樅沢岳との広い鞍部にでる。草原の脇に想いで深い双六池が現れた。
     昔テントが飛ばされそうな荒天に遭い停滞した場所にでる。懐かしい湖畔.今日も幾つものテントが色鮮やかに異なる色合いを強調していた。
     幕営地脇を通るもシートは強風にあおられはためき.外に出てくる者はいなかった。

   双六小屋で休憩.先を考える。待機している登山者で室内は混み合い.雨具の湿気がその間々土間を蒸しジメジメとさせていた。
     皆快気もなく言葉数も少ない。ジッと好天を待ち構えて我慢しているよう思えた。外に出るしかなく.一番後から入った我々が先に出ることになる。

     北アルプスのど真ん中.読売新道を歩む
   双六分岐石.8月21日8:12

   道標も真近に近寄らねば判らぬほどガスは濃くなり.双六の広い尾根上の烈風を避け.中道を選ぶ。
     分岐を過ぎると双六の山陰となると風はやや治まり.直ぐ雪渓の水場にでている。
     荒れる風に頬は叩かれ放題だが吞むと冷たい美味い水だった。

     双六からの常念岳, 北鎌尾根から綴られる穂高連峰
   双六より

     現役
   現役の夏合宿は今年7/31~8/11に掛け.折立―薬師岳―雲ノ平―双六岳槍ヶ岳―新穂高間で行われた。
     8/5に快晴の雲ノ平から鷲羽岳を抜け双六小屋間を縦走.好天が如何に―素晴らしいかを現している。
     今回の我々は肌寒く雨雫が頬を打ち.足元しか臨めぬ眺望は視界0に近かった。

        三俣蓮華岳―水晶小屋
     10:00三俣蓮華岳一10:35三俣山荘,大12:00一12:55岩苔乗越三俣分岐13:05一13:50小14:00一14:25岩苔乗越
     一14:35ワリモ北分岐一15:10水晶小屋h2(水晶小屋まで行動時間9時間25分).

   三俣蓮華岳で硬い握手.9:53
 
   三俣蓮華岳への尾根分岐に出たのが9時.予定よりやや早いペースで歩んでいる。休む都度先輩が小まめにアメ玉が配る。
     何時も持参してくれている大玉のアメだった。ただ歩むしかない時には直ぐ噛めず都合がよい。ここで水羊羹も口にした。

   三俣蓮華岳までは這松と岩礫のきつい登りが続く。喘ぎ登ること1時間
     頂は更に蓮華谷からの烈風と雨粒に叩かれ.メガネは内側から霞み,拭く回数も多くなる。そして拭き続けても変わらなくなった。

   何処を歩んでも望めぬ視界に蓮華の頂は互い握手だけの頂になった。
     下り径は湯俣川側の風に変わるも衰えることはなかった。早々に鞍部の三俣山荘へ逃げ込んでいる。

      三俣山荘
   山荘は綺麗で新しく造られた大きな山小屋だった。炊事を中でお願いすると靴を脱ぎ炊事場に案内されている。
     トイレも清潔感に満ちサービスもよい。その上無料とは驚かされている。

      中華ソバ
   今日の献立は即席焼ソバに,レトルトの中華の具+きのこ汗。私は考えると今だ即席ソバを食べたことはなかった。
     湯をきっちり落せば以外と口に合う。ただソバのソースと中華丼のソースを合わせてしまったのが味を濃く.複雑な味を作ってしまっている。

   勿体ない味になる。焼ソバのソースは必要なかった。それでも昨年の飯豊山より献立には気を使い.好くなったと自賛している。
     結果を見ると三人の言葉は常に同じだった。後からこうすればよいと反省ばかりの仲間達。

     開設期間.宿泊は7/1~10/15まで三俣診療所(岡山大学医学部.香川大学医学部)は7月中旬~8月20日頃まで。

    岩稜から樹林帯へ
   黒部川源流へ下る.12:45

      諦めた鷲羽岳
   外は相変わらず荒れ狂っている。食事を終えると落ち着いた体に新たな活力と暖かさが甦りみていた。
     ガスが包容するだけの三俣蓮華岳に立ったことを考えるとメーンの鷲羽岳は諦めざるえないかも?

   足元しか判らぬ視界にあおられている。頬を打つ風雨は更に強さを増し,足元を見詰めるだけの登りになる。上げられぬ顔
     風雨強く.カッパは羽ばたき.小さなジャリ混ざりの雨粒が顔を叩き痛い。旋風は更に巻き上げ.目指す我々を襲う。

   足元しか臨めぬ頂稜に,鷲羽岳を諦め戻ることにした。ロスすること30分,
     強風を避けて岳を回り込む岩苔乗越への迂回路を取る。黒部川源流を上下し.祖父岳とワリモ岳の間の沢を遡ることにした。

   前回と云っても学生時代だが北アルプス全山の縦走中.逆コースで南沢岳から縦走し水晶小屋で雲平に停滞する女子パーティの手紙を受け取っていた。
     その後.風雨強くなりあおられ鷲羽山は詰め切れずに諦め,この時も岩苔乗越から雲ノ平へ抜けていた。
     後も飛ぶ砂利石に耐えられず諦めている。私にとって鷲羽岳に立つことは今回の目的の1つにもなっていた。

    黒部川源流二股分岐
   黒部川源流標がある.13:00

   二俣は丁度風の途切れる一息できる場所だった。休んでいるとツァー客が完全装備で全員がスパッツを付け登ってきた。
     やはり我々と同じ中高年のツァーの団体だった。何故か山でも女性が多く強い。
     彼等.彼女等を見送り.祖父岳の山腹を巻き.雲ノ平へでる登山道と別れ岩苔乗越のツメへと沢沿いに登っている。

   8月下旬.それでも少ない残雪.13:09

     黒部の迂回路
   今年は残雪が少ないが大きな雪渓の崩れた雪片が人より大きな雪塊となりゴロゴロ転がるよう残されていた。
     沢沿いのその流れを越す。滝音から瀬音に変わり.水の音色が岩下に潜ると乗越にでている。
     乗越にでると方向を変え再び湯俣川の列風をもろに受けた。そして山越えした風は時折雲ノ平側の風も争うように絡みだしていた。

      灰色の世界
   岩苔乗越から背稜の径となりザラ場のジグザグ径を登る。雲ノ平からの追い風が背を押し,押される間々ワリモ北分岐に道標を見ている。
     体が浮き楽だが風は強い。上げる足が風に押戻されながら前へ進む。我慢して歩めば巻き込むようなだらかになり.ワリモ乗越を越えた。
     風が左右から絡みやや緩む風.その目先に小さく埋もれるような水晶小屋が現われる。

   昔.野口五郎岳からこの痩せ尾根を下り岩苔乗越でで天張りc8太郎平へ抜けていた。その時の記憶は想いだせずにいた。
     当時は荒天でも視界は間々あったと思う。ただ逆縦走とは言え,観点望気から判断することもできず.荒れ抜けただけの忘れた径になっていた。
     当時は入山時の転落事故で食糧不足になり.16日間という厳しい合宿だった。それを想い出し.ただひたすら歩む。

    水晶小屋
   屋根裏の2階が寝床.18:33

      水晶小屋
   収容30名の2007年に改めて新築された山小屋で規模は見た目より小さい。裏銀コースの中間にあり.雲ノ平の入口,鷲羽岳へのメーンルート上にある。
     ここも40年前.5パーティで北アルプス全山縦走をした折.中間地点として各パーティの中継連絡をお願いした山小屋。

   山小屋は高さを押さえ低く築かれ.寝床は中2階.2階が段違いに分れる形で造られていた。
     受付を済ますと一度寝床が決められ.後で再び決め直すと言葉か返ってきた。

      寝床
   階段を頭を下げながら登るとたどり着いた所は寝床だけになる。北側奥に頭を一杯下げ猫背にして入り込むと常連らしき登山客がいた。
     1畳の布団に今夜は2名で寝ると小屋の主人に言われたが3人になると言う。頭を互い違いにし.用を足しに出たら戻れぬとのこと。

   テントでもあるまいし.今の世の中でこんなことがあってようのだろうか? 山小屋泊りはつい最近からで事情はよく知らぬが酷過ぎていた。
     想像するも恐ろしく.寝床の番号と枕を見て「ぞっと!」した。

   狭い小屋につき.非常にシビアな就寝場所の割り振りが行われていた。今日は一日中荒れている。
     4時近くなり登山者が訪れることもあるまい。先輩の言葉どうり.荒天でその後の訪問者はいなかった。
     20名が宿り.1人1つの布団を確保する。まずは「ほっと!」した。

   夕飯はカレーで予定が狂う。明日の昼食はカレーを予定でいた。
     奥黒部ヒュッテには食事内容の確認を取っていたがここはしていなかった。明日の昼食はラーメンに変更しよう。
     食後のビールはやや寒く中途半端な気温で呑む気を失わさせていた。鈴木が持参した焼酎を呑む。

      寝床
   狭い空間の寝床は人の活気で蒸している。2枚宛がわれた毛布を1枚にしても寝付かず.ズボンを脱ぎ上着を剥ぐ。
     そして暑く足をだす。完全密封された狭い新しい小屋は人達の息が疼いている。幾度も寝返りをうち.寝ることを考えないようにした。

   明日も荒れれば先輩が未踏の裏銀.ブナ立ち尾根を下りたいと希望も漏らす。そうなれば視界の悪い稜線を歩くこともあるまい。
     竹村新道を下り湯俣で露天風呂に浸かろうか? ただまだ読売新道の期待もある。外は少し治まったと思うと間を空けず唸りだしていた。

      便所
   荒れる外で用を足すのは大変だった。小屋には傘が置かれているが皆骨は折れている。
     叩く雨足の調子を聞きながら傘を直し.雨足の息でタイミングを合わせ小屋の扉を開けるが直ぐ再び激しい雨に叩かれた。

   傘は両手で持たねば飛ばされる。その時風が攀じれ.傘は潰されるようおちょことなり折れた。
     10mの距離が長い。先のトイレに漸くたどり着く。2人用だが確りした灯が点された安心感はあるトイレだった。
     ただ足した後が又戸を開けるのに決意がいた。

     新穂高温泉一鏡平一三俣蓮華岳一水晶小屋・・ライチョウ・又もや不登の鷲羽岳
     水晶小屋一読売新道一奥黒部ヒュッテ
     奥黒部ヒュッテ一平渡し一黒四ダム