| 42年振りの青葉被う谷川岳西黒尾根と天神尾根 ・・谷川岳西黒尾根Top s48年〜50年代が集い.当時を振り返える谷川岳を訪れる。当時登っていた仲間達と谷川岳西黒尾根Yから天神尾根Uへと続く感傷の山旅へ。 本来は新雪でなくとも残雪を求め.昔を振り替えつつ登る西黒尾根だった。それが残雪が少ないと云う言葉から悠著し連休から更に延びてしまった。 次回はないだろう。残雪が少なくとも決行すべきの言葉に.42年振りに先輩.後輩と共に谷川岳西黒尾根から天神尾根を越えた。 茸の焼き.残雪と尻セード.漏斗.市営「見晴荘」と今回を繋ぐ言葉に酔い浸りる回顧に滴る世界とも. 2010年05月28〜30日.L松村m見城.滝島.鈴木 土合 本当に久し振りに谷川岳の里.土合を訪れる。若い頃は谷川岳へ四季を通し何度となく通い続けている。 高校生で初めて西黒尾根に登り.又学生時代の冬季には新人して.サブとして.又リーダーとしても後輩.先輩と通い続けていた。それ以来.初めての山行になる。 アプローチも大分変わっている。日帰り2泊の夜行列車はなくなり.最初の計画では始発の新幹線を利用して上毛高原駅から入山する積りでいた。 ただ始発でも.如何しても現地の集合は10時と遅くなる。交通機関をフルに活用してロープウェイで天神尾根を詰める以外はその日に山から下山する方法はなかった。 更に計画を練り直し.私は見城先輩の幼馴染.八木原のK邸に前日.お世話になる。一昨年も奥白根の山行で.お世話になっている。 28日午後上野を発ち「渋川スカイテルメ」で入浴.彼女の妹さん宅での酒宴にある切っ掛けで招かれた。そして再びK邸に泊めて頂く贅沢さを味わう。 山へ来たのか? 遊びに来たのか? 翌日は谷川岳に入る。3日目は不安定な大気で後半の吾妻耶山.大峰山々行は断念せざる得なかった。 昔の谷川岳は日帰り圏内の山域で..車中2泊日帰りの山行が主流だった。その時とは比べようのないが.私にとって今回は2泊の贅沢な谷川岳山行になっている。 焼き筍 初めて焼き筍を頂いた。生で食べられる筍.それをご馳走になるには筍を掘り.1時間以内に調理せねばならないと後に知る。 私達が来る時間に合わせ.わざわざ採って来て下さった。偶然ではなく贅沢なご馳走を頂く。 生で食べられるので火加減は適当だそうだ。採りたてを直火で焼く。味は付けず。 焼いたことで香ばしさが室内に薄っすら漂わす。くし型にスライスした筍は独特の歯ざわりに食感もよい。 春らしい爽やかな大人の味を楽しむ。時間が経つと少しアクがでて独特のエグ味がでてしまうらしい。 昨年は草津の宿を世話になり.今日は蕎麦を打ちと焼き筍と.嬉しい歓迎を受けている。 5月28日(金).晴 jr上野¥2.210. 14:00=高崎=八木原一「渋川スカイテルメ」=K邸=K邸泊. 低気圧が日本海から東進し.北海道上空に寒気が抜ける。日中も新潟か東日本では降雨が続いていた。関東.東海.西日本では晴れた所が多い。 日本海側では4月上旬〜下旬と低温が続き.新潟の最高気温は13℃。入山前日は高気圧が近ずきつつあるも不安定で崩れる予報がでていた。 K邸の東側には赤城山.西には榛名山・水沢山を構え.2階北側の窓からは子持山の全景が大きく横たわり望められる。 晴れた日はその間から谷川岳の残雪が煌き.双耳峰がはっきり望めると云う。昨夜K邸へ戻った時は満月に係らず何も見えぬ闇夜だった。 朝方窓から覗き見たが両山からの頂は霞み.残念ながら谷川岳はおぼろにも望められなかった。 ロープウェイ鉄塔と霞む高倉山 土合登山指導センター前.7:475月29日.濃霧 高麗.S氏4:30=鶴ヶ島IC.T氏合流=6:30駒寄PAでK氏と私が合流=水上IC=7:30谷川岳ロープウェイP. 谷川岳の麓に入り.朝方の明るみに視野が広がりを見せているものの.西黒尾根を登るにつれ霞みは増し.ガスは更に濃く雲の中に陥ちている。 午後になれば台地はやや暖かみを感じさせていた。ただ濃霧は濃く.衰える処か更に灰色から暗さを増して昼とは思えぬ世界に変わっている。 6時半.駒寄PAに全員が集合. 1時間強で水上を抜け土合登山指導センター前に着く。新土合駅は41年前に下り線ホームを地下に潜らせ. 駅舎も大改築されている。それ時以来の西黒尾根.当時はチガ沢東南稜を下りている。昔は常に国鉄を利用していた。 今回は関越道で水上ICから湯檜曽川沿いに国道291を遡ってきた。懐かしい土合駅の南側から踏み切りを渡り山懐に入っている。 この車道は何度通ったことだろう。地下ホームから改札口に出てた記憶はあるが昔の面影はあるようでない。 駅前の山の家に寄り.夜明けを待って歩んだ道。ロープウェイ広場を抜けたのは覚えがある。新緑に溢れる森は広い舗装道路で綴られている。 旧道 上州と越後の清水部落を結ぶ清水峠は古くは直越えとか.馬峠とも云われていた。明治18年(1885年)に4年の歳月を掛け旧道は馬車が通れるほどの 幅平均3間の立派な山道が巨費を投じ開かれていた。それにも拘らず2年間使用しただけで豪雪のためたちまち廃道になった。 土合から西黒沢.マチガ沢.一ノ倉沢を横切るのが旧道と呼ばれる道。後に紅芝寮付近から湯檜曽川沿いに小径の新道が造られる。 旧道は所として昔の形跡が残されている小径に戻っている。新緑.夏.秋の紅葉に雪山と四季を通して通い続けた道である。 近年観光化され国道の車道は最終地点がロープウェイ広場から一ノ倉沢出合まで舗装され.もできたようだ。 今年は先週21日に残雪が解かれ開通されたばかりだった。その先は登山道として歩む小径。車が通らぬ点線国道として県境を越えている。 米道 2013年07月に滝島先輩から立山bcに関する手紙を頂いている。 その中に「日本の山里」池内紀著の紀行文の中に「峠越え.新潟県清水」があり.そのコピーが添えられていた。その中から抜粋すると 「北越雪譜」の著者は塩沢宿の縮(ちじみ)問屋の主人だった。年毎に越後縮をかかえて江戸へ行く。その度に思ったのではあるまいか。 清水峠の道がしっかりしていれば,こんなに大廻りしなくてもよいのに。江戸の頃.三国街道は整備されていたが魚沼からだと大きく西へ迂回して 三国峠を越えて行く。ずっと東寄りの清水峠が通れば越後・上州は殆ど直線コースであって,距離が半分以上短縮される。 確かに地図を見るとうり.六日町・塩沢から直進する道路があって.国道291号線と名づけられていた。 しかし清水の集落を出たところでやにわにヒゲ状に細くなり.清水峠にはわずかに点線で繋がっている。 上州側の最奥・檜曽川源流近くで再び道路は黒線になっていた。 上越国境には過って上杉謙信が戦略に用いたといわれる道があり「謙信尾根」と呼ばれていた。 明治になって群馬県令が新しく開削に着手.2年がかりで約30kmの山岳道路を完成させている。現在の国道291号線で清水街道。 険阻なところを強引に開いたもので.のべつ土砂崩れを起こし通行止になり.点線で示されているのがその国道になる。 謙信尾根とも国道291号線とも違う第3の道がある。一般に「米の道」と呼ばれていたのは主に魚沼産の米が牛馬の背に乗せ運ばれていたから。 清水集落はそのための基地として大切な役割を担っていた。別名「直路」.「直越」と呼ばれていた。 清水の歴史街道絵図」によると清水を出た後,追分で国道291号線と分れ.渓流沿いに上って行く。 山腹をへった新道は崩れ易いが増水に気を付けさえすればよい。牛馬1頭,人ひとりが通れる幅になっていた。その後の峠越え・・旧三国街道 何時かは清水峠越えをしたいと考えている。 明るい高雲の日差しを受けパッキングを済ます。T氏.S氏は車をベースプラザ駐車場(¥500.冬場は倍)に移動しに行った。 後から思えばセンターから1分も歩かぬ所に5台ほど置ける空地があった。 湧水を汲み谷間から望むと高倉山からの尾根にはガスが掛かり.行く先の大気に不安定を示している。雨に降られず上手く頂まで行ければよいが。 予報では東北東の風から再び西北西の北風に変わると雨になる。水上では18時とある。山ではもっと早まるだろう。 西黒尾根登山口 旧道も広い舗装道路に変っている.7:56谷川岳西黒尾根 土合指導センター7:55一8:15JR送電線鉄塔一8:30小:40一9:25小:40一10:05ラクダノ背一9:10ガレ沢ノコル 一11:30四ノ沢ノ頭:35一11:50トマノ耳一12:10肩ノ小屋13:10. 154KVの信濃川送電線. 登山口から喘ぎの急登.20分ほど登ると尾根に建つjr送電線鉄塔にでる。 首都圏JRの生命線(千手信濃川一新鶴見線)で過っての積雪による鉄塔崩壊を考慮して三国峠から清水峠へ移築された送電線。 そして峠付近は更なる安全を規して回線毎に2本に分離させた鉄塔により越境している。峠付近を通る送電線は2本に分けている。 jr東日本は自営の発電所.送電線を運用し全電力消費量の55%をこの線で補い.首都圏に限れば約90%を独自で補っている。 東京電力の送電線(上越幹線.中東京幹線.新新潟幹線.南新潟幹線)は谷川岳の西側の三国峠.苗場側で越境している。 JRは信濃川送電線の建設前に2回線の上越送電線が群馬.新潟県境付近で積雪沈降のため部分崩壊する事故を発生させていた。 それ故三国峠側から清水峠側にルートを変更し.更に安全を考慮して回線毎の鉄塔にした模様。 新潟米子沢出合付近から1回線に分れ.群馬阿能川出合付近で合流している。 清水峠を隔て2本の送電線が越境し監視小屋もある。それらは湯檜曽川右岸沿いに下り,西黒尾根の末端にもそれぞれの鉄塔があり 登山道はその間を綴り.登山口から15分程で上の鉄塔基部にでている。清水峠〜西黒尾根間送電線図 この新鶴見線以外の154KV路線は東京変電所や鉄塔からの連絡線として使われている。 154KV系統を受電した交流変電所から各運転変電所へ連絡線として繋がれていた。ただし新幹線は別枠の275KV 若葉萌える樹林帯 新緑の登山道.8:59尾根に乗るjr鉄塔からも同じ傾斜の登りが続く。尾根の周りは瑞々しいまでの若葉が覆い.同色系の多彩な色合いで淡く染め尽くされていた。 正に新緑に満ちた小径.捗らぬよう見えるも.見る見る高度を稼いでいる。 朝の1本.2本がきつかった。溢れるよう汗が垂れる。汗は全て昨夜のアルコールだろう。 休む都度.先ほど汲んだ水を切らせぬよう飲む。そして又汗を掻く。 9:27被写体とT氏のカメラアイ 1時間ほどで残り雪を見て.2時間ほどで時折残雪を踏むようなった。まだ早いシャクナゲに小さなイワカカミ.カタクリにヤマツツジ.コブシの白い花を見ていた。 どれもがまだ数は少ないが新緑の青さに混ざり.足元に鮮やかに咲き誇っている。 森林限界真近.9:44乏しくなったマチガ沢の残雪 最初の鎖場からマチガ沢 鎖場にでるとマチガ沢の絶景が目の前に迫り見下ろされた。下流の駐車場に何台かの車が停められているのが分かる。 中流には長く残された雪渓が帯状に広がり.雪上にはスキーヤーと雪上訓練する登山者が点々と豆粒のような望まれた。 今は埋まっている雪渓から東南稜正面壁が仰がれている。 大滝付近は高校時代の夏.独りで迷い込みクライマーに助けて頂いた場所で.直ぐ見付けるも雪渓に埋まれていた。 雪渓を囲む岩稜の側壁はガスが包容し.稜は完全にガスで隠れ望められなかった。それに綴られた東尾根や東南稜.頂も雲の中になる。 休めば肌寒いが歩む大気の感触は心地よい。森林限界を越え狭いラクダノ背にでると直ぐガレ沢ノコルにでる。 ここから西黒沢を隔て眼下には天神平や水上温泉方面が望める筈だった。今日は見えるどころか灰色の空間で.視界は全て閉されている。 巌剛新道がマチガ沢側から入り込み.ガレ沢ノ頭から岩稜帯になるとガスは更に濃くなるも.風は治まり助かっている。 残雪を踏む機会が増え.てピッケルを右手に握る。スピッツがスポットと入るもそれほど腐っていず.久し振りの懐かしい快い登りが続いた。 残雪と濃霧 視界が閉ざされる.11:35岩稜の最後のザンゲ岩.ツメはややルートを左手に少し外れてた感あり.西黒沢側は長い残雪に埋まりトレースが付けられていた。 その雪線の台地でトップのT氏が「でた!」と叫ぶ。続く雪渓の先に頂があり.濃いガスは周りを包み込んでいる。 私にはガスの確率が高い谷川岳の頂 トマノ耳の眺望0・・11:50トマノ耳の岩峰の脇.山名柱の脇に盤石ある。3等三角点標石があり.標高は1963.22m.基準点は「薬師ケ岳」. 眺望 正午予定どうり頂に立つ。視界は0。一瞬でよいから望みたかった眺望は頂や肩の広場からも.1時間ほど待つも望むことはできなかった。 よく肩ノ小屋の隅っこで吹雪を避け.仲間達と温かい紅茶をすすっていた。今回は肩ノ広場で大休止する。 単独で高校時代に初めて谷川岳に出向いて以来.RHCに入部し仲間達とメンバーとして.更にサブとして.リーダーとしても訪れていた。 好天だったのは初めての冬山だけだった。何度訪れたことだろう。よくても頂が近づくと直ぐガスに覆われていた。 如何しても望みたかったオジカ沢ノ頭を源とする赤谷川流域の尾根と谷。谷川岳を目指し.又脇尾根を幾つか歩んでいる。 ただ意識し始めた後はその都度眺望に恵まれず.よい機会だと思っていただけに今回も全体像を見詰めることはできなかった。 山名 谷川岳の名称は北峰オキノ耳は富士権現を勧請していたので谷川富士と呼び.南峰トマノ耳を薬師岳と称していた。 共に麓は谷川温泉に祀られている。谷川岳という名は俎ー(まないたぐら)に付けられたと云う。上越線の車窓からも望まれていた。 上越線が水上まで開通した時代に写真家だった叔父がスキーを背負い蓬峠を含め登っている。 その後.清水隧道の開通がマスコミに大々的に報じられ.「2つの耳」を谷川岳と呼ぶようなった。 「2つの耳」は上越線上牧あたりで望むと実にスッキリし清く眺められ.奥上州の名山とされている。 自慢する渋川出身のK先輩は「今朝晴天なら八木原のK邸2階からも素晴らしい谷川岳が望められている筈だ。」と云う。 肩ノ広場.大休止 熊笹の右周りには雪田が広がっている.12:462年半掛け完成された漏斗のお披露目・・漏斗4 12:32漏斗の先が動くのに注目 オンザロック・・T氏が小瓶にウィスキーを詰めてきた。残雪は十二分にある。 一握りの雪粒をコップに入れ.彼がウィスキーを垂らす。最初は冷たい感触のストレートなウィスキーが喉を通る。強い酒だ。 そして少し置くとザラメ状になったロック。程好い口当たりを示し.口の中で氷粒が少しずつ溶けてゆく。待つことなく湯は沸き炊事が始まった。 昼食 昼食は最近慣例になりつつある力うどんにした。レトルトうどんを茹でナベにダシ汁を足し.生卵と今回はT氏に頼んでおいた玉ネギを加える。 玉ネギは1人中型1個をミジン切りにして滝さんが炒めて持参している。それに揚げ玉を乗せればでき上がる。 質素な具でも各々乗せれば贅沢に飾られた食事になった。 食後はT氏がコーヒーを淹れる。S氏が更に改良した漏斗を使う。2人で漏斗から湯を注ぐ姿はままごとをしているようだ。 完成された手製漏斗 漏斗制作の最初の切っ掛けは2年半前の8月.飯豊山々行にある。アルファー米の水量調整にK先輩は常に大目の分量を加えていた。 印の線に丁寧注ぐよう云っても多めになる。更に昨年4月の妙義山ではコーヒーのフイルターペーパーから湯をこぼし,漏斗を作ることになった。 担当は暗黙で同期Sである。昨年6月.鳥甲山行では1.8L酒紙パックを15cm程の深さで直角に切って.漏斗の替わりにすることを考えた。 そして改良されたのが7月の尾瀬山行。直角ではなく斜めに切り.注ぐ時が楽になるよう工夫されている。 今回は草刈り機用のガソリン.オイル混合調整ポンプを利用,ノズルが動くよう工夫した。 口の直径が少し大きいので酒パックの蓋に穴を明け.繋げると上手い具合になった。S氏よりT氏が自慢する合作らしい。 ほぼ完成した漏斗になる。何時もより薫り高く思えたのはそのためかも知れない。S氏の細かい説明に文句があるかとも聞こえてきた。 1・・2009.06. 鳥甲山の帰路,志賀木戸池で.酒紙パックの切り口を残し.初めて披露。 2・・2009.07. 尾瀬沼三平下で.切り口を斜めに切る。 3・・2009.08. 読売新道5/8で.商品らしくなり自然の動作に。 4・・2010.05. 谷川岳肩で.S云わく彼の考案した漏斗が完成しお疲れさま。 天神尾根 下りはは天神尾根から天神平.ロープウェイへ12:10肩ノ小屋13:10一13:25天狗ノ腰掛岩一13:50熊穴沢ノ頭.避難小屋:55一14:35ロープウェイ天神平. 肩の広場から南面に帯状に広く雪渓が広がり.全員がバラバラに好きな格好で下って行く。 尻セードで下ったK氏から「尻セードで下りろ!」と声が上がってきた。私は尻を濡らしてはとグリセードで下るが途中で進まなくなった。 登り見守る観客が大勢いる中.尻を雪面に着けると後はあっと言う間に雪渓末端まで滑り落ちる。S氏もそれに見習い気分は爽快に。 ・・天神尾根の雪渓2011.06.24 ガスはまだ留まっている。雨粒は落ちてきたと思うも治まる気配。まだ風がないのがすこぶるよい。 天神尾根は西黒尾根に比べ劣らぬ急斜面で一直線に落ちている。その上逆層気味.昔の歩みも忘れ.歩み難いことこの上もない。 天狗の溜まり場と呼ばれる展望のよい岩場がある。眼下には天神のスキー場が広がり.右手には俎倉山稜やオジカ沢ノ頭に続く稜線が続く。 伸びやかに延びている筈の尾根。昔下った時と同様にガス濃く赤谷川源流も振り返る頂稜も.全て望むことはできなかった。 谷川岳周辺には何度登ったことだろう。今回も俎倉山稜の全体像は望む機会を失っている。 今思うと国境稜線も赤谷川本流も天気に恵まれぬ山だった。源流でビールを呑もうと出掛けたがその時も冷たい濃いガスの中だった。 恵まれたのは笹穴沢に入渓した時ぐらいである。そう云う山もあると振り変えつつ.天神の急坂を綴り返していた。 やがて森林限界となり.熊穴沢避難小屋に着く。谷川二俣からのいわお新道との分岐.小屋は1995年に改築された小さな小屋だった。 西側の扉を引くとコの字に長椅子が備えられ.中央に長いテーブルがあった。昔の面影は全く失われていた。 入口脇に積雪観測用の柱が立てられている。これが以外に高い。積雪の多さを示していた。 ツァー客が現われた。レモンを齧る間もなく.入れ違いに小屋をでる。 熊穴沢避難小屋先〜天狗平間 幾つかのトラバースを横切る.13:56 13:56避難小屋をでて径幅が広がり.1441m峰付近から北側に回り込むトラバースが始まる。沢沿いは何処も残雪で一面.埋め尽くされた。 落ちたら止まらぬ斜面を持っている。ストックだけのツァー客が多い。引卒者はピッケルを持参しているが15人近い大パーティ.2組と擦れ違う。 上りも下りもトラバース毎に大分時間を費やすだろう。そこにはトラロープが垂れるよう張られていた。 トラロープを留めた両側には補助の長いザイルが輪を組み.1ヶ所は固定する形で危険防止の為置かれていた。それが何ヶ所かある。 15:18登りも下りも間々のペースで予定どうり2時半.天神山の広いゲレンデを横切りロープウェイ天神平駅にでる。 観光客が大勢眺望を楽しみに昇って来たが視界は0。乳白色の濃い灰色の世界が広がり.互いの顔を見詰める以外は 景色と言う景色は失われていた。片道¥1.200.田尻沢を真下の望み.我々もロープウェイで下ることにした。 見晴荘へ. 14:35ロープウェイ天神平=土合口=16:00大峰休養施設「見晴荘.」泊 尾根を覆っていた濃いガスはゴンドラが高度を下げるにつれ薄れ,谷間の渓谷が見下ろせた。 広葉樹の明るい森が足下に広がり.青葉は目を沁みさせ.そこに白く煌く白鷺ノ滝の水芯が落ちている。 灰色の世界から再び若葉萌える里に降りる。明日から6月になる。中旬には梅雨.そして樹林の緑は更に濃さを増し生い茂る。 谷川岳ロープウェイ 谷川岳ロープウェイは三線自動循環式普通索道として.s35年12月に谷川岳天神平スキー場の営業を開始した。 s41年06月.平標山より谷川岳へ縦走した折.急遽下山することになり.天狗平に向かったが平日でロープウェイは運休していた。 当時は田尻尾根を下りている。 その後登山者の増加は観光にも拍車をかけ.s60年07月に複線自動循環式普通索道に架け替え.輸送力の増強を図っている。ゴンドラ14 又厳しい条件下.諸施設の老朽化でh15年08月から既設ロープウェイに平行して.山岳気象特有の強風に強い複式単線自動循環式普通索道に交換。 2本のロープ幅がゴンドラ59.より広いロープウェイ(フニテル)を採用.h17年08月に完成した。路線傾斜長2.297m.高低差571m.支柱7基 補強し新たに架け替えられたロープウェイ。三峰ロープウェーのように施設の老朽化から廃止された所もある。 谷川岳山域には何度も通っているが考えてみると初めて乗車した。登山としては今までに新穂高から上高地に抜けた折.利用したのみ。 宝剣ロープウェイ・那須は歩んでいる。 ピッケル. 私達だけの宿「見晴荘」 山を下り笑う顔が心地よい.5月29日20:10再び湯檜曽から水上を抜け国道291を南下する。古い町並みの街道を抜け上牧を通り.上毛高原手前で.深沢から右手の県道へ。 思いのほか長い登り坂。真沢ノ森からが遠いい。月夜野カントリークラブを左手に分け.今日の宿.「見晴荘」に辿り着く。 見晴荘 4月〜11月30日が営業期間と言うがまだ閑散期。女将さんは私の住む真近の台東区駒形出身で宿に1人で賄っていた。 客が来たのが久し振りか? 嬉しくてしょうがないようだ。客は我々のみで豆に世話してくださった。 食事は山荘内の山菜を採り.多種多彩の天婦羅がご馳走になる。特にサンショウの天婦羅と佃煮が美味かった。どれもが摘みになる。 酒.・・トンチのような話 4人で呑む酒. 最初に女将さんから日本酒を1升頼んだ方がよいと話がでる。K氏が幾らかと聞くと1升¥3.000プラス消費税.燗してだすと。 安くて頼むと1合徳利で5本がでてきた。すっきりした味わいの地酒.「誉国光」で後は5本あると。本数で頼むと2割程高いらしい。 計算が面倒でまとめた方が判り易いと女将は云う。 徳利は8杓か9杓,少ないと云うとそれが利益だと。考えてみると1合なくとも1本の値段は同じである。 2本ずつ頼むのではなく.まともて頼むので燗をするのも楽なのは確か.残り5本が燗をして戻ってくると女将は炊事場から居なくなる。 ビール3.酒1升. 沸かし檜湯.宿泊¥5.560.(¥7.320×4) ![]() 朝は朝で出掛ける前に女将さんに勧められ.K氏がフキ採りにでる。暫くして私のところにも長靴とカマを持ってきた。 駐車場脇には幾らでもフキが茂っている。ただまだ小さいが私もクワを持ち採る。 S氏の孫にはカブト虫の幼虫がお土産に付いた。1.800ccポリの真中をコの字に切り蓋にして.籠にするアイデアは素晴らしい。大きな幼虫だった。 月夜野町営から水上市と合併し.今は市営の施設。林間学校や野外活動グループの活用が多いようだ。 隣りは牧場.ガスで判らぬが裾野の先は後閑の街並だろう。 山荘の奥には吾妻耶山.大峰山があり.好天ならそこに登っり谷川岳を遠望する筈だったがガス濃く中止になる。 大峰山の山麓には大峰沼があり.湿原植物と日本最古の浮島がある。円周2k. 近くの古沼はモリアオガエルの生息地 玄関で・・5月30日11:375月30日.曇 高気圧が日本海に停滞.全国的に晴れた所が多い。ただ関東や北陸の一部では一日中曇となり肌寒い。 関東は朝方まで雨。前橋では朝方強雨があり最高気温は16.2℃.4月上旬の気温になり.山を下りてもウインドブルゾンが必要だった。 谷川岳の南面を望もうと吾妻那山.大峰山に立つ積りでいたが中止し.K嬢と待ち合わせ.道の駅「田園プラザ川場」でのコンサートに出向く。 道の駅「田園プラザ川場」.9:26利根沼田望郷ラインへ 見晴荘9:30.県道272戻り=上毛高原=JR後閑.利根沼田望郷ライン=門前玉泉寺=道の駅「田園プラザ川場」.大12:45 =沼田IC=鶴ヶ島IC=14:25東武若葉.解散¥660. :40=15:25池袋. 県道272号線をそのまま進めば赤谷湖相俣ダムにでる。戻り新幹線.上毛高原駅を右手に見て利根川を渡っている。 そしてjr後閑より利根沼田望郷ラインへ。途中.関越道を潜り門前で玉泉寺の看板を幾つか見掛け尋ねてみてる。 大きな駐車場が幾つもある割りに質素な曹洞宗の寺院だった。古い小さな山門らしきものがあり. そこを右手に迂回するよう登ると参道の石階段にでる。登ると小高い台地に本堂があり.法事が催されていた。 立派な利根沼田望郷ラインの道.新しい街道は最近何処も立派過ぎる施設に変わっていた。 更に輪を掛けたような三峰山トンネルを潜る。2ッ目の池田トンネルは迦葉山から下りてきた尾根で.出た所が発知川にあたり.過ってスキーツァーした山地。 一昨年このメンバーで玉原高原へ遡ったルートを探索した。ここからは幡谷温泉からの逆ルートで.何処も何処も懐かしかった。 フルーツ街道を抜ければ道の駅「田園プラザ川場」にでる。群馬銀行ブラスバンド部のミニコンサートが開催され.又今日はK嬢の誕生日だとのこと。 再びお逢いし「おめでとうございます!」。 昼食後.見覚えのある「水芭蕉」永井酒造の脇を通る。この奥に以前,見学した境内が百花園と呼ばれる吉祥寺がある。そして沼田ICへ。 久し振り早い帰京になった。 帰路してK氏の言葉から上野駅5番線ホームに寄る。紛失したスピッツのケースは見当たらなかった。 その後1週間は晴れ.カラッとした日々が連日続いている。誰の行いが悪かったのか? 写真はT氏と私.上州武尊山周辺Top |