| 丸川峠北側の牛首谷・・エンマ御殿 牛首谷に入り泉水中段林道からエンマ御殿の北側管理道へ回り込み.清右衛門尾根を詰めエンマ御殿立つ。 後半は大らかな高丸戸尾根を南下.泉水十文字を経て丸川峠.「丸川荘」に泊った。 六本木峠.石庭峠から牛首谷 エンマ御殿から泉水十文字を経て丸川峠・・「丸川荘」はオリオン座流星群と鳴鹿の中 大黒茂谷を探索し大菩薩嶺北尾根三ノタル 続く中沢の桟道は崩壊・・戻り北尾根.左岸道 清右衛門尾根 尾根1500m付近の尖ッ突きから詰める.12:56北東尾根からエンマ御殿.丸川峠 12:56清右衛門尾根13:15⇔13:10偵察.一13:38エンマ御殿一13:57(1450mコブ)一14:12泉水十文字一15:00丸川峠「丸川荘h. 植林と自然林のモザイク模様から黒川鶏冠山が綺麗に垣間見られると次の支尾根に「丹波70/72」林班界標が立つ。 ブナ林が現れ徐々に高度を上げ.エンマ御殿からの北へ張り出した支尾根を回り込む。 そしてどっしりした清右衛門尾根に乗ると管理道が尾根を横切り.その尖ッ突きに乗っている。檜の薄暗い植林帯1500m 確認のため地形図を読み.尾根を少し下ると平坦地が続くと思われたが.樹海に埋まる斜面の先は見下ろせなかった。 尾根幅から見ても間違いはない。念の為管理道を少し先へ歩むと下り始め桟道が続く。戻っている。13:16. 林相の境.13:34清右衛門尾根の薄い踏み跡を追う。尾根筋からやや左寄りのルート. 檜の植林帯に熊笹が茂り.煩いが傾斜は緩い。 時折手の支えは必要な斜面だが猛烈な藪漕ぎはなかった。ただ薄暗い樹林の急傾斜が続いている。 明るさは増すがまだ薄い踏み跡.13:34エンマ御殿山頂 展望なし.13:38大菩薩嶺から丸川峠へ下る尾根から高丸戸尾根の遠望・・2013.11 黒川山の南を巻く管理道から高丸戸尾根の遠望・・2015.09 林層の境を越え.明るさが差し込むと傾斜は緩み.程なくエンマ御殿に立つ。小さな頂は灌木に被われ.眺望はない。 中央が小広く開かれていた。刈払われたような頂だった。ここだけは少し木洩れ日を浴びている。 13:34頂から煩い灌木帯が南側鞍部まで続いていた。ただ大分刈り払われてをり助かっている。 藪が煩くなると周りを見渡せば刈払われた踏み跡にでる。エンマ御殿のコースは一般的には丸川峠から泉水十文字を経て高丸戸尾根をピストン。 又鞍部を越えたコブ越えの右手には牛首谷に綴る踏み跡があった。下れば先程歩んだ取付きと合わさり林道にでる。 高丸戸尾根(エンマ御殿尾根) 13:45黒川鶏冠山 高丸戸尾根より.13:48午後になり斜陽し始めた日差しは平頂の黒川鶏冠山の雑木らしい色彩豊かな山肌が聡明にも見える鮮やかさで照らし出していた。 足元は薄暗さを増すも.仰げば傾く日差しで明るく見上げられていた。 十文字へ牛首谷側の樹林.13:55尾根幅広い大らかな尾根筋に.これ又幅広い3mほどの管理道が綴られていた。 手前の樹葉の色合いは陽が雲に閉ざされている為か.何処となく黄昏近しを感じさせ.雑木の明暗の日差しの中を綴っている。 大らかな1637m小コブ.13:57「丹波71林班わ小班」 黄昏れさした泉水十文字 振り返り見直した十文字.14:12泉水十文字 開かれている割にどんよりした大気. 大らかな山並の2つのコブを越え.勢い付いた熊笹を蹴り散らかしながら泉水十文字にでる。 更に薄暗くなった感がある森にでる。幽寂に留まる「泉水十文字」の字を持つ大地に憧れ.如何なる所かと想像ばかりしていた。 十文字には道幅3mほどの管理道が5つ合わさっている。 正面左の「丹波73/72」林班界標が裏になる道が今.下って来た高丸戸尾根。 正面右手が学校尾根への道。又右手の「69林班と小班」が裏にある道は大黒茂谷流域に入っている。左手の立木裏は牛首中継点に至る道。 手前は左脇には真新しい「丹波72/71」林班界標が立ち.登り詰めて尾根を横切ると丸川峠にでられる。どの道も綺麗に切り開かれていた。 上旬に出向いた奥多摩.カロー谷中腹道のボサボサの十字路らしからぬ.手の入らぬ十字路とは異にし過ぎていた。 余りにも整然とし過ぎ.踏み跡らしき茂みが被さる所ではなかった。十字路は手入れされ.中央横にちょこんと小さな石柱がある。 大黒茂谷口.14:16上2枚目の写真右下に当る道が大黒茂谷への取付き地点。 悠然と整い過ぎる立木群が谷間に早く来るよう誘っているようだった。明日一番でこの谷間を目指す。 大黒茂谷流域のジャングル.14:17 丸川峠と牛首の分岐にでる.14:45丸川峠への尾根は左から右側に乗り越えると桟道があり.小径に変わって牛首谷源流へと入り込む。谷底に下りると木橋があり. 左岸に渡ると確りした登山道にでた。「←丸川峠.牛首→」の道標はあるが泉水十文字への小径の道標はない。 丸川峠・・牛首谷北面のツメ.14:52エンマ御殿を登り終え.再び北回りの管理道に戻るルートは下調べしても分からず.高丸戸尾根を南下している。 ただ学校尾根を経てのルートは見逃すわけにはいかなかった。頂に登らなくとも概念を掴むにはよいルート。 ![]() 低山の狭い山域だが丹波川上流の柳沢川.支流中村川.泉水谷流域を2つの山行で渡り歩き. 改めて水源林巡視路のよさを実感させられている。 屋根越しの丸川峠 丸川荘玄関前より.16:00丸川峠 丸川荘は丸川峠西側下にあるランプの宿. 玄関は西側の草原を向き.入った正面の奥が炊事場.その右に管理人室がある。 玄関から右に入ると隔てる壁に薪が積まれ.ストーブがある居間兼食堂.又休憩室と小さいながらが多様化された所が確保.されていた。 その奥に狭い廊下から大部屋が一室あり.コの字に広がる寝床がある。トイレは外にでた小屋裏側にあった。 電気は全てランプ.無線はバッテリー.荷上げも全て人力. 自宅も自分で建て.凄味があるのは小屋の主人。 ただ商売としての節制ぶりは強..何か違和感を感じ取っていた。食事にも独自の個性があり.バライティーに富むも.どれも味は私には強い。 お米は実家,宮城県からのもの.釜戸の薪で炊き上げている。味噌は二代目小屋番の実家の無添加手作り。 夕食・・ケチャップ味の煮物.炊き込みご飯に揚げ魚. 朝食・・栗茸の味噌汁(茸狩をしながら入山).濃い山芋・・2食付¥7000+¥500ビール+¥500(甲府にある「煎豆屋」の自家焙煎の豆) 朝食は6時半とお願いされている。将監小屋の主人が秘密の絶壁で岩茸採りをして滑落.発見が遅れ死亡した。 「明日の晩は葬儀が催され.早めに下山したい!」と昨日こと付けられていた。冥福をお祈りします。 丸川荘玄関.15:001966年(s41年).先代の小屋番.渕井万吉氏により母屋が建てられ.その二代目.只木氏に引き継がれた。 玄関と炊事場は只木氏の自作. 昔の間々の木造小屋. 土壁で隙間風は少ないが小屋自体の冷え込みは強い。 ストーブで体を温めないと中々布団の中は暖かくならなかった。その居間の暖かみもストーブの周りのみ。・・090-3243-8240 「アルバム」 食後.管理人から想い出のスナップショットとして..P「アルバム」の記載をお願いされた。女性3名.男子2名.親子と友達と云う今日の宿の仲間達。 タイトルを指名され.4人の内2名が初めて経験する山小屋泊りと聞き.「山小屋デビュー2名」とした。 一昨年11月には宿る予定で一日早く.只木氏に入山して頂いている。それがお粗末で再び登山を始めて初めての野宿。 大黒茂谷で踏み跡を失い.探るも自分の踏み跡に惑わせられ.諦め野宿した。翌日は未明に高みへと登り.連絡を取って丸川荘に寄り下山した。 その野宿何故だったか知ることと.前回の残りのルートを埋める山行が今回の山荘泊りになっていた。 黄昏時の丸川峠より.16:37山荘横から望まれた富嶽・・日川尾根を乗り越える送電線の西群馬幹線192号と191号鉄塔 洛陽真近な頂稜 夕陽を望みに.16:56焼ける丸川峠の大地 夕日に焼ける山肌.16:50日没が迫り鹿の鳴き声が時折遠くから聞こえてくる。 小屋番に言わせると丸川峠の鹿は近頃.人の食物に関心を持ち始め.ハイカーが多く集まる日は鹿も峠に集まるらしい。 食べ物の甘味に興味を示し.残飯や残り汁等の仄かな甘味を求め集まると云う。 丸川荘の夕食風景.私を含め3組の団欒.17:36. 流れ星 軽い羽毛を着て寝.夜半外にでと風もなく,外の方が暖かい。山荘は平日は閉鎖され人気が全くなく.予約で週末に入山するようだ。 外は星空が素晴らしく煌き.明日の晴天に確信をもたらせていた。小屋から離れれば直ぐ草原台地にでる。 オリオン座流星群 目が冴え.3時頃外にでると10時頃には雌鹿が警戒し.真近で甲高く鳴いていたが.その鋭い叫び声も治まり. 夜空を覆う満天の星に迎えられた。ダイヤモンドの輝きのよう散りばめられた夜空を仰ぐ。玄関前頭上.左上に煌めくオリオン座が ひときは3つ星を輝やせ望まれた。久し振り流れ星も見る。もしかしてオリオン座流星群の一欠けらか? 2日後の21日の深夜から未明に掛け.月明かりの影響もなくオリオン座流星群がピークを迎えた。オリオン座流星群の放射点は 「ベテルギウス」と呼ばれるオリオン座の赤い星。この彗星は「ハレー彗星」が3000年前に残していた塵だと云われている。 六本木峠.石庭峠から牛首谷 エンマ御殿から泉水十文字を経て丸川峠・・「丸川荘」はオリオン座流星群と鳴鹿の中 大黒茂谷か大菩薩嶺北尾根三ノタル 続く中沢の桟道は崩壊・・戻り北尾根左岸道 |