前道志.大桑山の2つの北支尾根を越える ・・武田氏陣営の御前山Top ・・大桑山北面の尾根Top ・・前道志山地Top

     大桑山北西尾根の末端に聳える猿橋城山を越えると風はなく無風の尾根筋は.正月の明るい朝方の日差しに恵まれた。
   体一杯に暖かい日差しを浴びての里山歩き。緩やかな起伏に築かれている尾根. 長閑すぎる日向ぼっこの山道が続く。幡野神社を経て大桑山に立った。
   東方の奥に落ちる北東尾根から津成沢沿いに下りて.県道の津成.旧道513号から小篠「イトヒバ」の廃道移りjr鳥沢駅にでている。 2016年01月07日.松村

     県道伊良原から猿橋城山を経て幡野神社・・北尾根の4本を含め一番長い尾根筋
     更に大桑山北西尾根を詰め鈴懸林道へ
     大桑山北東尾根から最後は荒れ道から県道.津成へ

     正月明けの小春日和を狙い.前道志の低山.大桑山の2つの北尾根を周回する。
   以前は鈴ケ尾山北西尾根から大桑山北尾根の左のルートを選んでいた。今回は里山の城山から大桑山北西尾根を詰め北東尾根を下ることにする。

     長い平尾根は里に近いこともあり.却って作業道.迷路も多く.又津成沢の入渓は変化に富むルートとしては面白かった。
   ただ何かもう1つが足りぬ山行になっている。低山のためだろうか? 中途半端な短さが混ざり合うよう何か不可思議な面白さが残されていた。

    太田・藤崎周辺の右岸の河段丘陵
   桂川左岸の遠山に落ちる尾根より
   大桑山北西尾根の半ばと後半.
   並行して流れる桂川の北側に聳える斧窪御前山西方の460m圏コブから延びるjr上−大線40号鉄塔の南尾根末端より撮影・・2017.012.29/13:40

    背は猿橋城山から斜め南東へ左上し大桑山へ突き上げる大桑山北西尾根。
    ・・桂川右岸沿いの太田山549m点峰と猿橋城山544.6m・九鬼山北尾根.

     猿橋.鳥沢地区の桂川右岸の河段丘陵に綴られた県道513号・・左岸のjr梁川支線鉄塔が乗る南尾根より撮影・・2017.01.29/13:43
   左上が途切れる大桑山. 大桑山北西尾根が右下に下りている。その尾根の末端の里山が猿橋城山544.5m.
   その裾の小学校のグランド脇から細道伝いに登っている。

   中央の北尾根は太田に落ちる549m点コブを擁しする北西尾根の枝尾根。

     桂川右岸沿いの里山,各北尾根に乗る太田山(左)と猿橋城山(右). 城山を取り囲むのは背に乗る九鬼山北・東尾根。
   右岸縁には県道513号線(梁川猿橋線)が猿橋から繋げられ伊良原.四季の丘.小田.太田.津成.小篠から甲州街道.鳥沢と結ばれている。
   その先の旧道は更に下畑に入り.廃道となっていた。ただ梁川町立野にはここだけが起点であることが新たに表示されている。

     右端の城山の裾尾根から入山. 左奥に大きく回り込んで大桑山北西尾根を詰め.下山は大桑山北東尾根を下っている。
   左端の尾根末端の一番左側の尾根を下りている。津成沢右俣から左端中央の逆L字の道路が猿橋からの県道にでる。
   アプローチは途中から旧道で小篠にでてjr鳥沢駅に向かっている。左下の集落の左枠外が小篠地区になる。

     中央東線の先で桂川を渡るのが新桂川橋梁.手前に鳥沢駅がある。駅ホームを渡る跨線橋を渡ってから改札にでている。
   河川の上流.右奥の葛野川出合に架かるのは猿橋に建つ中央自動車道の葛野川橋・・(写真下の橋)

    日の出直後の南大菩薩連嶺東面の山々
   jr猿橋駅南口線路脇より.7:18
    大蔵高丸.白谷丸.黒岳.大峠.雁ケ腹摺山.大樺沢ノ頭.
    笹平からセイメイバン南東尾根. 手前が中央道葛野川橋と猿橋地区

     左手の浅利川,真木川を隔てた谷間の先が南大菩薩連嶺。中央の谷間から葛野川を遡れば右岸支流の奈良子川が
   西側に大きく回り込み.雁ケ腹摺山が聳え.その外側を更に本流が回り込んでいる。

      1月07日(木)快晴
       jr御徒町5:00=5:06東京:11=6:27高尾:30=7:02猿橋南口.329m.
    梁川猿橋線
     桂川右岸沿いを綴る県道513号(梁川猿橋線)は前道志の山々に通う都度.気になっていた。旧道とも重なり今だ未完成の県道.
   県道東端の下畑を経て.踏み跡の古道に変わり.梁川の途切れた先には今でも真新しい県道の起点が示されている。

     jr猿橋西口から旧道に掛かる山並を綴りながら津成沢を下り.旧道伝いに東進すると途中でjr鳥沢駅にでる。
   この数年通い続けている前道志は入山.下山を繰り返し.その旧道の地点を点々・・と結び付ければ街道図ができると考えていた。
   今回は猿橋城山から大桑山北西尾根.北東尾根と綴り.山行と兼ねて旧道を綴るルートを選んでいる。

     東京周辺では週初めに連続して15℃以上の暖かい気温を記録している。前日も西.東日本は寒さも忘れた「小寒」になっている。
   今朝はやや遠めに前線を伴って南岸低気圧が東進し.冬型の気圧配置になり.日本海側はこの時期らしい寒さが戻っている。

     太平洋側の気温は2月下旬から3月中旬並に上昇.気象庁泣かせの暖冬は降雪の判断を難しくさせていた。
   24時間降雪量は新潟関山31cm.野沢温泉22cm.津南21cmと.スキー場は季節外れの間々.まだ不可のスキー場が多い。

    猿橋城山から大桑山へ
      大桑山北西尾根と末端の城山
   丁度正午.鈴懸林道の850m圏より.北西尾根を見下ろす

     取付きから4時間半ほど掛け.登ってきた尾根の末端をを振り返る。尾根伝いに530m圏コブと猿橋城山544.5mが見下ろされている。
   左中段の山腹台地は「パラトラびゅう桂台」の高台の右下の谷間陰がjr猿橋駅.

    薄陽が差し始めた百蔵山
   城山から朝の日溜りの里山を見下ろす.7:43
    七久保町下和田と猿橋町猿橋地区

      里山低山・・猿橋城山
       7:02jr猿橋:16一7:53天王神社一8:13猿橋城山一8:51破線路一9:14太田山西肩一9:37(520m圏コブ)
       一分岐10:10⇔9:50一10:07尾根取付き一10:25幡野神社.
    低山藪山
     猿橋城山544.5mはjr猿橋駅からの高度差にして115mほど。取付きは立派な施設の建てられている猿橋小学校の裏山にあたり.
   小学校正門通りの手前のT字路を右折し校庭脇に入り.民家の並びを数件過ぎると生活道は終え.突き当たりから突然山径になっていた。

     旧道の取付き角に掲げてあった伊良原地区の道路脇にあった「地図」には載らぬ山。
   登山道としての整備や道標はなかった。直ぐ傍に住んでいる人に尋ねるも.この裏山の名さえ知らぬ住民がいる。

     今回はこの里山城山の頂から大桑山北西尾根伝いに大桑山へと綴り.大桑山北尾根の東側(地形図では北西尾根と北東尾根)を繋ぎ
   大桑山へ再び訪れることにした。入山.下山とも北面に当たる山陰が多くなる。陽気に合わせれば日陰はやはり寒い。少し我慢のしどころになる。

     低山の割に灌木や倒木に悩まされ.細かい尾根の捩じれが続き.低山だからこそ却って顕著さが乏しく.地図読みを必要としている。
   又コブ毎に地形図で先を読むのも面白かった。ただその都度.メガネを必要とし.手間が掛かるが写真も多く撮っている。

     それ故以外と時間を費やしていた。又山頂からの北東尾根の前半(上部)は予想に反し作業道が築かれてをり.ガッカリもさせられてもいた。
   ただ後半はまだまだ人の匂いの薄い尾根が綴られている。もう少しハイカーが入ればガラリと変わった山域になるかも知れない。

    大桑山北尾根群
   城山取付きの鹿柵口からの大桑山.遠望

    アプローチ
     jr猿橋駅南口.駅前通り(県道513号.梁川猿橋線)を左折し.真っ直ぐ坂道を登ると左側の網柵越えの線路沿い。
   ビッシリ詰る街並が広がりを見せていた。その足元を横切る甲州街道(国道20号)沿いに南口駅前バス停とは別のバスの発着所が見下ろされた。
   葛野川流域には何度となく足を運んだルート.傍に名勝.猿橋がある。

     ここからは3年振りの風景. 見下ろした背には南大菩薩連稜東面の山々が連なり.近くには百蔵山や扇山が大きな山麓の広がりを見せ.
   明るい南斜面は朝陽に照らされていた。右手に小倉への道を分けると坂道を下るにつれ.正面に猿橋城山が意外に高く聳えている。.
   新真渡橋で小沢川を右岸に渡っている。

     そしてjr笹子トンネル口前にある中央東線のガードを潜り.左斜下先から右手に坂道を登れば伊良原の猿橋小学校前にでた。
   手前のガードから右折すれば再び小倉への道に合わさっていた。校庭手前の脇道を右に入り住宅地を突っ切る。

     突き当たりの民家右角から小径に変わり.直ぐ鹿柵の柵扉を潜ると枝尾根の末端にでる。
   登山道と云えるものは見当たらなかった。直ぐ踏み跡になる。地形図「大月」幅員を読み登る山径になった。

     猿橋駅ホームで6時51分に日の出を迎え.街並から高みへと歩み続けると.桂川北斜面の河岸段丘では仄かに朝日を浴びるようなった。
   そして30分ほど登ると足元の小学校の校庭も山陰から逃れ.朝の陽を受けているのが見下ろされた。今日は北面の尾根を登り.北面の尾根を下る。

     大桑山までの小コブの山並に入れば低山ゆえ.暫し陽差しの恩恵に恵まれるだろう。ただ再び山陰になる。
   暖冬と云えども風が少しでも吹けば.日陰はやはり肌寒い。

   城山の北山腹に祀られた天王神社.7:54
   2つの祠が祀られてをり.鳥居は石祠に向かい.手前のトタン屋根下の古い木祠は山麓の伊良原地区を向いている。

    朝日を浴びる猿橋地区
   手前の城山の山陰は伊良原地区.7:57

     赤橋は甲州街道,国道の猿橋。名勝「猿橋」はその直ぐ上流の茂みに架かっている。
   右下に白い建物は猿橋小学校の校舎.その左脇の坂道を一直線に.山にぶち当たるまで詰め山径に入った。

     右折して裸土の小径に入り.直ぐ左側に掛かる鹿柵の扉を潜ると落葉でぬかるむ踏み跡になる。そして右側に回り込むと枝尾根に乗り.
   時折朝陽を浴び猿橋の街並が見下ろされるようなった。北側の支尾根に入る所に天王神社.「札」と小さな鳥居がある。

     少し嫌らしい落葉深いトラバースを終え.支尾根に乗ると乾いた台地にでる。その先にアンテナ群がある高台があり.
   小さな露岩帯の岩陰には古い蓄音機が放置されていた。そこを抜ければ明るい陽射しの境.猿橋城山でる。

    猿橋城山
   山頂に掛る日溜りの境.8:13

     薄暗い山陰の北斜面の植林帯を詰め.猿橋城山544.6mの小さな平頂に立つと山頂は丁度朝陽を半ば半々に分け照り付けていた。
   漸く陽を浴びるようなった。北面と南面の陽の境をなし.陽光の恵みと共に頂は明るさの明暗をはっきりさせていた。

    明るい南側の頂
   城山を乗越し低山の木洩れ日の尾根を歩む

     頂に設けられた4等三角点標石と国土地理院の新旧の標柱があり.脇に手製の山名標がそっと置かれていた。
   どれもが小さく.小さなコブ山とも似合う里山にでている。又武田氏側の烽火台があったとも云われている。
   ここから長くうねる低山の山並を縫い..緩やかな起伏に埋まる落葉の台地を歩む。

    馬立山797mから神楽山673.7mの稜
   朝の爽やかな日差しを目一杯受ける山並.8:22

     一昨年の夏.写真裏側の菊花山から入り.九鬼山東尾根に回り込んだ頂稜。手前の小沢川を遡れば二俣から
   鈴ケ尾山北西尾根への取付きに行き着き.写真右の神楽山からは東面(正面)と南面に長い尾根を派生させていた。
   末端は小沢川流域に没していた。

   城山南面の心地よい日溜り場,8:25

     城山南面の斜面は尾根筋に覆われた灌木の自然林に変わっていた。
   尾根筋は明るい陽射しに照らされ大地には枯葉が満ち.低山の雑木帯を柔らかく包んでいる。

   城山と520m圏峰との鞍部付近.8:34
    まだ雑木の根元までは陽光は届いていなかった。恋する日差しに風はなく.ホッとする気休めに小さな嬉しさを生んでいた。

    520m圏小ピーク
   尖ッ突きのような頂.8:41

     鞍部付近から見上げられた530m圏小コブ. 右回りで530m圏コブを越え.頂から左の斜面を下り.南東方面に向かっている。
   下った所は平坦地になるため.北東の小尾根と方向は異なるが.同じような条件になった。そのため前者の紀行を読むと
   注意が必要だと謳っていた。尾根が曲ることに地形図と睨めっこしている。ただその心配はなかった。

   樹間から望むおぼろな九鬼山.8:41

   厳寒の日溜まりの雑木帯に酔い楽しむ.8:42

     明るい日射しに照りつけられた踏み跡が.曲りくねる小尾根伝いに綴られている。
   朝方の木洩れ日が清々しさを運び.足取りにも.軽やかさを踊らさせていた。

     冬木に色合いを増す.冬のスズタケ。針葉樹とは異なる淡さを持つ緑色。冬でも元気な色合いを示すスズタケ帯に出合う。
   スズタケが混ざり合う自然林の樹林帯は城山から縫い.植林と離れると茂るよう続いている。

   背丈あるスズタケの藪.8:46

   切り開かれた破線上の平坦地に入る.8:51

     530m圏小コブを越え.右手に延びる尾根を分ける。平坦になった尾根筋で左に折れると藪絡みのスズタケの中にもろに入る。
   短いが抜けると尾根筋の右脇沿いを進み.再び尾根に乗るようなった。そして急に幅広い山径が前方に開かれた。

     地形図「大月」幅員右下には2本の破線路が小田と太田地区の間(新桂川橋梁西詰め付近)から延びるのが記されている。
   その北側の破線路が途切れた山上の平坦地。その地点まで延びて繋がっていた。

   太田山549mの西側肩を望む.9:07

     平坦過ぎるルート. 起伏が少なく高みに入れば破線路は自然と左の谷間に入り込み.私は再び尾根筋に戻っている。
   尾根に乗ると正面の起伏が尾根筋を塞ぎ.破線の作業道は尾根から外れるよう左側の谷間へ下りだしていた。
   地形図の破線が大きくU字を描き.線底を綴る地点になり.破線路を左手に分けている。歩む先は急に傾斜を増し.足場は歩きずらくなった。

    太田山の西側肩
   肩から東面を望む.9:14

    太田山
     肩から東側に尾根伝いに進んだ場合には幅広い平尾根から太田山549mに立つ。 トップの写真. 里の河原からは
   以外と立派な山容を誇り.太田山が眺められている。更に太田山越えは暫く続く大らかな長尾根を歩むことになった。

     そして東面に向い下れば山腹を南北に横切る太田林道に突き当たる。
   位置は分からぬが林道を下れば太田の集落に抜けられる。又登れば上部に横切る鈴懸林道に至る。藪の濃さは未確認.

    扇山南・入尾根と権現山陵
   東側の取付きから望む.9:23
    里は富浜町宮谷地区

     扇山へ続く南面の稜・・東面の取付きから左手に樹林が途切れ.遠方の視界が開かれる。
   百蔵山と扇山との間の吊尾根のゆな尾根筋には宮谷地区から登る幾つかの峠路がある。

     宮谷への分岐は2つあり.更にその間の旧コタラ山.その脇には逢坂峠があり.北面は更に作業道が幾つも入っている。
   逢坂峠は峠ではなく台地状に治まり.浅川に下る古道が綴られていた。以前.旧コタラ山810m小コブからの北尾根を下っている。

   南面を望む.9:16
    太田山549mの肩からは右手に直角に折れ.南面の緩やかな尖っ起の盛り上がりに向かっている。

    530m圏小コブ
   幾つもの小コブを越え.9:24

   立木に青テープ2本あり.9:27
    大木のコブを直角に左へ.立木に青テープ2本が結ばれていた。

    520m圏の小広い頂
   里の裏山を思わす台地.9:37

     背丈を越すスズタケの藪を越え.鞍部に赤いL字鋼が埋まっているのを見て.520m圏の小広い頂にでる。
   小コブから南西に更に南東に平坦地を尾根伝いに進むと同じ標高の520m圏の小広い頂にでた。

     この頂からは太田川へ尾根を延ばし.南南西側と南東にも小尾根を延ばしている。
   本来は南尾根から幡野神社に向かう予定でいた。それがちょっとした小尾根の見逃しが判断を見過ごすことになる。

   南南西面を見下ろす倒木帯.9:37

   520m圏コブの頂を見上げる.9:38

     520m圏小広い頂から南南西に急下降すると右手に広く源流の緩やかな斜面が見下ろされ.300m強を下り終え.468mで2本のテープを見る。
   確りした踏み跡が南側山腹を巻いていた。そのをトラバースして.歩き始めて直ぐ.右手に心細い小尾根が派生するのを見付けるも見過ごしていた。
   大事な場面で見過ごしている。磁石で確認もせず.トラバースし続け.東側に延びる確りした尾根に乗ってしまっていた。

    見逃した小尾根
   山腹をトラバースし始めて直ぐ右手の尾根.10:10

      幡野神社へ南南西に延びる小尾根。一度この尾根分岐を見過ごし過ぎている。
    右手を見つつ1本しかない尾根で分かる筈だが見逃し戻って.振り返る形で尾根が延びるのを確認していた。525m地点.

    520m圏コブ東尾根肩
   正面がトラバースしてきた作業道.9:46
    右上が頂で.東尾根になる

    先の尾根・・520m圏コブの東尾根肩.分岐
     幡野神社への右の小尾根に入らず.トラバースを直進して.確りした作業道を歩み.更に赤テープのマーキングが綴られているのを見ている。
   尾根(東尾根)に乗ると尾根上を直角に右に折れていた。緩やかに下る平坦な尾根筋になり.L字鋼を2ケ所で見て.
   又下り始めると陶器類の破片が散らばり.地面に顔を出す形で幾つも埋められていた。

     作業道らしきルート. ただ方向から見ると主尾根から大分離れつつある。帰宅して調べると太田林道に突き当たり津成にでる尾根。
   猿橋中継無線所とを結ぶルート。戻ったのが東尾根448m地点になる。9時50分

    鈴ケ尾山北西尾根末端
   戻って痩せ尾根に入り.直ぐ右手を仰ぐ.10:14

     尾根を登り返し.尾根分岐を左に折れトラバース。元の急下降し終えた地点に一度戻っている。
   そして改めてトラバースし始めて10数m先の525m地点から10時7分.南西に派生する尾根に乗る。
   尾根に入ると鈴ケ尾山北西尾根の主尾根末端付近が右手に見上げられた。尾根と間の谷間が幡野の集落になる。

    九鬼山
   幡野神社への分岐点.10:19

     尾根の突き落とし地点. 尾根伝いに直角に右に折れれば少し左に回り込み幡野神社の参道にでる。
   幡野神社にでるには尾根筋を水平にL字に右に折れる。直進は主尾根になるがやや下り.枝尾根の感じを抱かさせていた。

    幡野神社
   突然現れた確りした立派な鳥居.10:25

     相変わらず起伏の少ない平坦に綴られた尾根を右に回り気味に進む。そして525m圏で南に延びる主尾根を左に分けている。
   この尾根が幡野神社参拝後に戻り.大桑山へと登り始めるルートになった。

     そして531m点を過ぎると幡野神社の南側からの参道に飛び出した。確りした参道は幡野集落から綴られ.
   立派な鳥居を潜っている。地形図「大月」幅員に幡野からの破線路の表示あり。

     又秦野集落へは朝方の中央東線のガードから右折し小倉への道。朝日小沢猿橋線に入り.小沢川左俣幡野沢の丘陵を遡れば集落に至る。
   集落から北側は緩やかな起伏の山腹をジグザグに切り.北西尾根に乗るが今は難路。南側からの南尾根に確りした参道がある。

    御嶽神社
   幡野沢沿いに少し下り地形図にある531m点コブの西寄りに建立

    由緒沿革
     本神社は旧郡内(幡野山なる八幡宮の錦旗を中心にして一帯を総称した)小沢村長幡にあるも.
   元は同村長幡向の地にあつたものを寛文年間(1661年)に現在地に御遷座と伝へられている。

     近世までは御岳権現と称していたが明治維新の神仏分離令により.権現号を廃して御岳神社と称し.
   明治六年には村社に列せられた。氏子戸数40戸.崇敬者数70人・・山梨県神社丁

    幡野の大祭と朝鮮の関係
     神社の由来では朝鮮での兵役で破れた(朝鮮の)軍隊がこの地にとまったことから「軍内」と呼ばれ.
   その後「周辺一帯を「郡内」と呼ぶようになったと言われている。またその人々が養蚕.織物を伝えたという。
   このことから現代に至るまで.郡内は織物産地として栄えていたのだと聞く。

    幡野は「秦氏の野」の意味か?
     幡野の大祭が行われる猿橋町には日本三大奇橋と言われる「猿橋」があり.この橋は古代(西暦600年頃)に
   百済の匠が構築したといわれている。この「猿橋」を「幡野の大祭」と結びつけて考えると「古代のある時期に朝鮮の人たちが
   この地にやってきて.定住するとともに.朝鮮の先進技術をつたえたのでは」という仮説が考えられる。

     地元の言い伝えでは大月周辺の山などの名前に大和言葉ではなく.朝鮮語に由来すると見られる地名があると言われ.
   また朝鮮から古代日本に養蚕.織物を伝えたのは秦氏であるという伝説がある。以上の仮説から「幡野」という地名には
   実は「秦の野」=秦氏定住地ではなかったのか.という見方の可能性もでてきた。

     御嶽神社の名としては幡野集落の下流.小沢川本流の田中集落北側の左岸にもう1つの御岳神社が祀られていた。
   又小沢川右俣の上流.小沢の集落の左岸にも御嶽神社が祀られている。

     県道伊良原から城山を経て幡野神社・・北尾根の4本を含め一番長い尾根筋
     更に大桑山北西尾根を詰め鈴懸林道へ
     大桑山北東尾根から最後は荒れ道から県道.津成