| 尾瀬ヶ原地形図.山行表 綴った鳩待峠 1969〜06年 1969年09月.鳩待峠T. 現地で日崎峠越えを諦め.富士見峠より早秋の燧裏林道 1973年05月.鳩待峠U. ビールを持ち至仏山の春スキー 1974年05月.鳩待峠V. 1886m峰を散策 武尊山町村界尾根,ヤビオヌ岳肩から至仏山〜鳩待峠写真・・2013.10 2006年06月.鳩待峠W. 妻と歩む梅雨の尾瀬ヶ原 暇つぶしに尾瀬.1886m峰へ |
下ノ大掘川と至仏山 |
| 残雪の尾瀬.至仏1886m峰 s49年(1974年)05月.m松村進.大川崇夫.宇都宮.大川宅に寄り尾瀬へ |
ブナの森を抜ける陽溜まりの山・・雪の感触とブナの林 |
残雪を踏もうと尾瀬に入る。久し振りの残雪に心が踊る。宇都宮で大川を拾い.夕方上州へ発つ。 黄昏が落ちた闇の街道繋ぐよう東方へ抜け.戸倉より立科川沿いに鳩待峠にでている。 車のドアを開けると冷たい風が忍び込み.程好く体が引き締しめていた。 夜明けの凍った雪の感触が硬い靴底から響で伝わってきた。 締まった軋む音.ミシーと潰れた雪片から冷気が湧き上がってくる。 登山靴に履き替える。大川の丸く屈る背が闇の中から熊のよう動めいている。 鳩待峠.「出掛けるか!」まだ闇の中.2人は至仏へと硬い残雪を踏みしめた。 一汗掻くと明け方の明るみが白味を帯びてきた。至仏の頂稜が淡いピンクに赤ららめだしている。 闇から幻しのような尾瀬ヶ原も薄っすら青味を帯びた白い霞で被われ浮き上げさせている。 冷たい快い風が頬を撫ぜた。 前日の踏みかためられたハイカーの凸凹の雪径は硬く歩き難し.それも次第に雪塊は解れ時折潜るようになった。 夜の明ける空が広がり.森を抜けると春の煌く残雪も.明るみを生み.山の高みが姿を現わし出していた。。 森林限界を越え.陽はドンドン雪径を溶かしゆく。そしてベタ雪が靴口まで入り潜るようなった。 |
鳩待峠のブナ林 |
山ノ鼻より至仏山尾瀬ヶ原 一瞬のひと時から尾瀬ヶ原は眩い雪原に変えるている 谷間は暗く沈み.静まり返っていた湿原が.1つの光に導かれるよう明るみが生まれ.そこから広がりを見せ始めていた。 白味を帯びた朝モヤが流れ.切れると仄かな風も治まり.谷間全体が朝方の仄かな優しい陽差しに包まれる。 まだまだ湿原を覆う雪塊は多い。 残雪は朝方の陽光が昇るにつれ.明るみを増し.足元の斜面に乗る残雪をも腐り始めてきた。 湿った感触がスパッツを付けても靴口を通し足元に伝わり.至仏山手前のコブに立つと溶けた雪塊りは口を広げ. 雪面の窪溝から溶水がもう流れ始めていた。 寝転び陽を仰ぐ.雪面に反射する陽差しが暖かい。 周りの山の残雪は見る々溶けるだろう。残雪多き山はぬかるみ最後の抵抗を示していた。 至仏山Top 綴った鳩待峠Top 妻と雨滴る尾瀬ヶ原 |
霧雨舞う侘しい明け方の鳩待峠 好天なら峠は溢れるハイカーで賑わっていることだろ |
| 強い梅雨前線の隙間を縫い.妻と霧雨舞う尾瀬ケ原を歩む。 乾きいらぬ瑞々しさとグリーンの深みを持つ湿原の木道を歩む・・予想は外れ.疎ら過ぎるハイカーと生々しい熊の糞. 2006年07月17〜18日.妻と 鳩待峠⇔山ノ鼻―龍宮 17日雨.新宿22:20=大泉=東松山IC= 18日雨.3:45戸倉4:45=鳩待峠5:45⇔6:45山ノ鼻―龍宮8:30. ―10:10山ノ鼻11:30―12:50鳩待峠14:10 =戸倉=沼田IC=18:45新宿=19:10竹町. 尾瀬へ 今月の初め妻から「尾瀬へ行きたい」と言葉がでる。オウム返しに尾瀬は山だと問う。うなずく妻に慌てて鵜原の沖釣りをキャンセルし.尾瀬に変更した。 鳩待峠から見晴で1泊.沼山峠へでるコースを選ぶも.全ての山小屋は予約で満杯だった。諦めず夜行日帰りの尾瀬ヶ原散策へ。 今回.妻の山に対する姿勢が少し変わっていた。雨でもよいと。 JRの駅でかで ポスターを見た尾瀬のイメージがきいのか。少しでもハイカーの少ない連休後に出向くことにした。 連休3日間は雨が降り続けていた。停滞前線が居座り北陸沿岸は集中豪雨に襲っていた。 出発日も豪雨予報が各地に発令され.ていた。上越地方では一日中.雨の中になる。 南下した前線は被害範囲を広げ.甲信越から中国地方に掛けては大雨が続き.各地で土石流や土砂崩れが続発していた。 15日から降り始め雨量が400mmを超し.母の実家がある上伊那では天竜川が決壊していた。 宿を諦めて初めてバスツァーを体験する。 家を出てから帰宅まで雨の途切れることはなかった。ただ山では風が弱かったことが少し幸いしている。 昔.何度か通った鳩待峠も大分変わった。鳩待峠まで車は規制され.残雪期の至仏山は自然保護の為.入山が禁止されている。 尾瀬に入るのは何十年振りになるのだろうか? 木道は綺麗に整備され.通った山小屋は途中.龍宮小屋を除き.立派な山小屋に何処も建て替えられていた。 山ノ鼻へ 山ノ鼻への山径. 明るくなった薄日の木道を歩む。昔の夜径歩き思うも,おぼろな感じしか覚えていなかった。ただ霧雨に舞う樹葉が清々しい。 先月登った那須岳より.やはり青葉の色合いは濃く.雨に打たれた樹葉は瑞々しく.目に留める一葉.一葉が鮮明に映されている。 森は緑深く溢れ.清流と小鳥のさえずりを耳にし.木道の下には沢のような水筋を造っている。 子供のよう悦ぶ妻。気温は16℃と低い.梅雨とは言え長袖と完全なる雨具.傘が必要だった。 下田代 人静かな尾瀬ケ原・・下ノ大掘川と至仏山 尾瀬ケ原の中央に独り尾瀬ヶ原 尾瀬ケ原の広大な湿原にでる。ここに満足する妻がいた。私もその言葉から安堵と感嘆する歓びを味わう。 天候不順がハイカーの少なさを示している。悦ぶ妻と私. 擦れ違う人も疎ら以下.時を気にせず尾瀬ヶ原をゆっくり横切っている。 木道の隙間・・小さなスイレンと足音 ベニサラサドウダン.上田代並行する2本の木道を並ぶようを歩み.花を見ては立ち止まる。終わり掛かるベニサラサドウダンの群生とカキツバタの群れ。 池塘の浮き草に蛙がいると止まり.郭公の鳴き声で谷間を見詰めている。 そう云えば熊が出現.注意の看板を見た。そして北側の立木.抗に爪で摺り切ったような跡と獣の真新しい糞を見て戸惑する私達。 傍にあった注意看板には「熊は大人しい性格だが驚くと襲ってくる」。又看板には「会話しながら歩くよう」記されていた。 本当にハイカーは少ない。交差する人が間々会うのみ。広い湿原に木道が延々と綴られている。 ただ小雨とはいえ.降り続く雨に私達に休む場所も与えてくれなかった。ポイント.ポイントでも休むことなく歩む。ただゆっくりと。 中田代 疎らなカキツバタ.牛首分岐付近 ニッコウキスゲ.牛首と至仏山牛首分岐を過ぎ源五郎堀を越すとニッコウキスゲの群生に出会う。今年は不作とか? まだまだ早い満開に.ここだけは華やかさを増していた。 木道を挟む小さな隙間からも競うよう咲きほこり.私達の目をも愉します。雨は幾らか強くなってきた。 燧ヶ岳と右奥の森が竜宮 やや激しくなった雨雫のカッパ処水林 広い見渡す限りの湿原には時として疎らに樹林のまとわり付いている所が見られた。処水林に被われ.湿原に落葉が重なり合っている。 主に浅い湖沼や潟などが次第に樹葉などの土壌に埋まり.陸地化したもので,低温などにより腐らず又生成せず.苔類が生成している。 それに対して上流など栄養分がある所だけに木が茂りだす。ヤマベの一種カモツベタが生息している。マスは放流を行っている。 小屋 時間はあるが休む場所がない。長い時間.外で雨に叩かれている訳にもいかず.竜宮小屋で雨宿りする。 まだ午前中のためか.小屋内は静かで人の気配は薄く.土間だけが休むハイカーで賑わっている。 雨足が早くなり狭い土間は直ぐ満杯になるものの.立っている程でもなかった。 コーヒーを立て.赤飯と以外と甘い蜜柑をほうばる。 詰まらぬことだが変なことに気付いた。 竜宮小屋でのコーヒー@500.缶ビール@450が至仏山荘ではコーヒー@450.缶ビール@480と場所による違いがみられた。 手間の違い? 復路も1本休みで鳩待峠へ。 鳩待峠への登り径 待ち疲れ早めに山ノ鼻を発つ。なだらかな森を2/3程登り.瀬々らぎの音色が遠のき傾斜が増しだした。 妻は復路も快調さを増している。登る歩調が落ちずにいた。確りした足取りが追い越された人達にも追い付き.越すようなる。 「焦ると疲れるぞ!」の言葉も忘れ.先を歩かせる。登り径である。 後.少しで朝方の峠にでる。「ペースを落さぬよう!上を見よう!」。今までとはまるで違う頑張り方。 鳩待峠での妻の言葉は「よい雨具を!」買いたいと。 私は7月7日にゴアの雨具購入していた。旧形@27500を@18000.湯島片桐 残念だったのは宿が取れなかったこと。変わったツァーを途中でキャンセルすることもできず。山小屋は荒天でキャンセルが多くガラガラだった。 長雨で山行を中止する者が多かった。ただ霧雨混ざりの天候が私達には幸いしていた。妻は喜んで傘を差している。 前日.末っ子が友達3人とスバル五合目より富士山に登頂。レンズ雲に突入.暴風雨に叩かられ体温奪われ.荒れた悲惨な山行になった。 夫婦の登山靴を貸し.翌日は雨の尾瀬へ。私達以上に頑張った靴.2足が足元にある。 尾瀬は7割が私有地.水源確保の為.東京電力が所有. 尾瀬国立公園案 尾瀬から始まる自然保護と破壊 高層天気図17日9時 18日9時 交通費トラベルイン¥7500×2 綴った鳩待峠T〜W 山の経歴,経過Top |