富士山
冬富士山
  1967年正月 御殿場5合5尺目小屋内.2日登頂
  1969年正月 御殿場3合目雪線.前回のBcで断念.スキー

夏富士山
  1984年07月 荒天で8合7尺で須走り回り戻る.家族全員
  1985年08月 スバル5合目―山頂―大砂走―御殿場新2合目
  1989年08月 スバル5合目―山頂―大砂走―御殿場新2合目  


雪と遊ぶ富士山富士
   1971年11月 御殿場口.田沼が冬山装備を持ち我が家に来訪,大川と
   1974年04月 御殿場口.鈴木と再びピッケル1本持ち   
   1979年正月 御殿場.富士演習場から日本ランド,両親家族  
   1986年03月 水の塚公園でハレー彗星を探索.家族全員  

   2006年10月 富士山麓一周の旅・・町会バス旅行   
   2008年05月 富士山麓一周の旅・・竹町地区レクレイション 

           富士山東面地形図
           夏富士フャミリー登山                                                    
    1984年07月20〜21日. 夏富士山T
   1985年08月16〜17日. 夏富士山U
   1989年08月04〜05日. 夏富士山V
s59年. スバルライン5合目―7合目4尺「日の出荘」h⇔8合7尺. ―須走り―スバルライン5合目
s60年. 5合目―7合目4尺「日の出荘」h―富士山―大砂走―御殿場新2合目

h元年. 5合目―本8合目h「白雲荘」―富士山―大砂走―御殿場新2合目
     西湖いやしの里根場より.2014.09.30
      中央が青木ケ原.左奥が河口湖


    夏富士T家族の登頂記
      初めての夏富士・・一度目は天候に左右され大敗してしまったが.年を掛け家族全員登頂する
               s59年(1984年)7月20〜21日,河口湖口.8合7尺で撤退. 私.妻.真佐子8歳.隆史.博史7歳.俊雄3歳
   スバルライン5合目
  水は有料

  5合目レストラン内で妻と俊雄

   久振りの登山.6月初旬より上野公園ラジオ体操に通う。

      7月20日. 三筋=新宿.富士急行バス=富士スバルライン5合目2303m.五合目総合管理センター.(小御岳神社)2304m一7合4尺日の出荘2714m.h1
         21日. h一8合7尺一ツバクロ東沢(小須走り)一スバル5合目=新宿. m家族全員

   20日曇後雨,風強し スバルライン5合目一7合4尺「日の出館」
     今日から子供達の小学校も夏休み.新宿より富士急高速バスに乗車しスバルライン五合目に降り立つ。
     今回は7合8尺に宿る予定で小屋番にガイドを頼んでいる。

   5合目のセンターは観光客.登山者で混み合っている。
     飲水は事前にに用意していたものの..ここでは水を確保できず.軽食を摂り山へと備えている。
     空模様は悪い。前線の重い雲に覆われていた。ただ最初は風もなくよかったものの全員がライトを点けての歩みは大変一語に尽きる。

      7合目.山小屋へ
   途中で迎いに来た小屋番2人と出会うも.10分も立たぬうち.雨が降りだし直ぐ本降りになった。
     ザックを小屋番に預け俊雄を背負う。急斜面に足元の土砂はぬかるみ不安定さはこの上もなく悪かった。
     樹林帯を抜け泉ケ滝分岐2272m.六合目を過ぎると遮るものがなくなり横風も加わってきた。

   ただ付いてくるだけのガイドは助言もなく小屋へ案内するだけのようだった。
     避けるものがないだけ.ザレ場の登山道に風雨は横殴りとなり.みるみる体温は奪われる。

   荒れ始めた天候はカッパを着ても肌着まで通す勢いで風雨が叩きつけ.雨粒の体当りが強く痛い。全員がダウンする。
      折角迎えに来て下さった小屋番には申し訳なかったが予定より下の7合4尺.「日の出荘」に泊めて頂くはめになる。
      着替えても湿った体は寒く.子供達は震えながら囲炉裏を囲み.遅い食事を摂り眠りに就く。睡眠am1:00

   登行
  荒れた7合目.朝方の「日ノ出館」前で真佐子

  ザックに囲まれる隆史
     7月21日本曇. 日の出荘―8合7尺―ツバクロ東沢―スバル5合目

   雨の合間を抜って5時.雨雲の中から朝陽が昇りだす。
     体を震わせながら「雲上の人」だと子供達は高曇とを分ける雲海に驚き目を向けていた。
     寒さを越す自然の神秘に驚くも.現実的なこととして.昨夜の雨水のまだ溜まる靴を履くのは嫌がった。

      下山路
   7時.妻.俊雄と別れ出発。ペースは上がらず隆史と博史が交互にダウン。博史はバテる。
     頂へ行きたいと言う真佐子を押さえ.諦めさせている。8合7尺.高度3300mから須走りのツバクロ東沢回り込み戻ることにした。

   須走り. 下始めるとと共にジャリとも土砂とも云えぬ小さな火山砂礫が足元から崩れて行く。押えられぬ流れに体を乗せ子供達は破邪ぐ。
     体と足元が一対となり.少しの力で落ちても行く。

   無雪期の富士を知らぬ私も初めての経験で.砂走りの凄さを知らされた。妻の経験した言葉を初めて実感することにもなった。
     子供は霧雨の舞う中.奇声を上げ走り下って行く。

      馬上の母子
   雨と風で目がよく開けられず.棒のようになった重い足を引きずり.漸く六合目に降り立つ。
     そこで貸馬に乗り六合目に戻って来た妻と俊雄に運良く出偶した。
     馬上の高さに不安を感じたものも俊雄は疲れ眠っている。それが又妻には揺れ動き.不安を掻き立てていたようだ。

   話しによると小屋からの下り道.身の軽い俊雄は元気いっぱいに飛ぶよう痩せ尾根を走り回っていた。
     彼女は自分で抑えられぬ俊雄に何時谷間へ落ちるかと気が気でなかったと。

   巧いぐわいに貸馬に会ったのが又災難の始まりだった。
     俊雄を乗せたは良いが料金は負けるので一諸に乗れと。馬主とは別に勝手の知った馬は自ら先導し立ち進む。
     馬上の高さと尾根縁をぎりぎりに歩く馬,肝を冷やし続けていたとも。彼女は馬主を怒り.会ってほっとしたとも。

   会っても馬主は二人を降ろさなかった。料金は同じだからとその言葉を繰り返す。馬主は無口となった。
     結局.5合目まで乗る嵌めになった。なる程.見るも馬上は高くかなり揺れている。

   それにしても俊雄は縛られ落ちることはないがよく眠っていた。
     末っ子の彼にしてみれば.この二日間の行動は初めての体験として.全てが激し過ぎたようだ。

   親の気持とは裏腹に御殿場五合目に着けば.子供達は何もなかったかもように周りを走り回っていた。
     荒天で挫折したが反省として子供には充分な睡眠を与えなければ無理のようだ。

                                  妻.初めての富士 ・・夏富士Top

    夏富士U
     夏富士U.再びスバル5合目2303mより大砂走を抜け御殿場へ
                  s60年(1985年)08月16〜17日. m私.真佐子.隆史.博史

     前回と同じ7号4尺「日の出荘」3212mに泊り.2回目は私と真佐子.隆史.博史の親子で富士山の山頂を目指した。食事は食べたいフルコースを持参.。
   残雪があることで前回の山荘を選び.ゆとりのある山荘を選んでいる。真佐子は杖の烙印を手伝い.朝方はご来光を仰ぎ.出発している。

   2度目の5合目

   ガスも飛び.蒼空が覗く
     8月16日. 三筋=新宿.富士急行バス=スバル新5合目―7合4尺「日の出館」h

     曇時々薄日
   スバル新5合目には高速道の盆ラッシュに重なり2時間程遅れて着いている。登るにつれ薄雲の途切れから下界が見下ろされた。

   もっと登ろうと子供達は言うが早めの7合目に宿を求めている。焦ることはない前回の懐かしい小屋に宿る。
     頂で日の出を迎えない以上.慌てることもなく.ゆっくり山の好さを味わえさせたかった。上の小屋は詰め込まれ鮨詰状態になるだろう。


     早い山小屋.日の出館
   早いが前回の「日の出館」7合4尺に宿る。

   まだ登山者は誰も居ない山小屋内で昼食

   烙印を手伝う真佐子

      日の出館
   層雲は完全に途切れる。裾野に絵地形図のように山中湖が望め.山波を越えて遠く上州.越後の峰々まで一望されている。
     又不幸なことだが.先日の日航機墜落現場の鷹巣山が西上州の山々と共に眺められていた。
     西上州.神流川の源流付近に墜落した日航のジェット機.520名もの尊い命が奪われている。

   皆思い思いに午後の一時を過している。博史は小屋裏に大きく広がる雪田を見付け.雪面を踏み締めては夏の雪の感触を楽しんでいる。
     時間が過ぎて諦めさせたが1人.残雪から離れないでいた。

   囲炉裏の縁にはゴロッと横になる隆史.何することもなく.又寝るでもなく寝転んでいる。
     真佐子は囲炉裏端に陣取り.八角型の金剛杖に刻む烙印を先程まで見詰めていたが.今は手伝っていた。

   小屋番が孫のような子供に手伝わさせている。まだ小学生5年の女の子。
     子供でも.次第に炭火と烙印棒の熱加減が解りだし.黙々と押していた。彼女は嬉しくてようがないようだ。
     列ができるもマイペースで丁寧に押し続けている。止めさせず.それを見守る大人達が周りにいた。

     ご来光
   寝床窓より夜明けを待つ.隆史.真佐子.左手は博史

   小屋前の夜明け.真佐子.博史

   一点の光が夜明けを迎える

   ご来光を浴びる。隆史は最後まで小屋の窓に居座り覗いている。

   真っ暗闇の下界は雲海の下に
     東窓
   震える冷え込む中.目を覚ます。夜明けが望める寝床を陣取ったので.子供達は日が出るまで寝具に包まれ窓から覗いていた。
     そして真佐子.博史は外にでて足元に雲海を望み.ご来光を仰ぐ。隆史は窓際にひがみ付き覗いていた。

      8月17日.快晴
         日の出館―富士山頂―大砂走―新2合目.富士急バス=小田急御殿場.ロマンスカー=jr新宿=三筋
      明け方
   夜明けの闇は一点のきらめきが赤味をおび.霞を帯びた境からは朝陽が子供たちの頬を照らしだしていた。
     闇の薄暗い顔に白味を帯びた途端に淡いピンクに染まり.子供たちだけでなく山全体をも赤らめた。
     そして足元の闇深い谷は次第に白みだし.白さが増すと共に私達の足元は一面の雲海が広がりだした。

   子供達の暗がりからの頬もピンクに染め.更に赤味を増してきた。
     もう眼下の雲海は白き輝きに満ち.泡盛る雲上を海原の如く明るく現し始めていた。


   朝食,山小屋風景
      朝食
   食事を済まし富士の頂を目指す。
     殆どの登山者が宿の朝食を摂る中.我が家族の善にはコンロで温かいおでんを煮込み.ハムを炒め.生卵にご飯を乗せている。

   又子供のザックからは好きなものを取り出し3品.4品と増して行く。
     水も十分持ってきた。十分な睡眠と食欲がこの先を左右する。皆欲く食べた。


   晴れ渡った雲海上
八合八尺       
      子供達
   よく寝.良く食べたせいか八合目は長かったが.アッと言う間に着く。八合八尺で一本取った。
     全員すこぶる元気。

   子供がザックから出した菓子袋はどれもが気圧が薄く大きく膨らんでいた。
     自分で詰めた間食を見て.驚き笑いだす子供達。

   そこに自衛隊の野営登山班と出隅した。休んで間食を摂っていると「良いな!」と声が掛かる。
     又.子供にも「頑張って!」とも。子供達は元気に「はい。」と返事を返していた。我ながら嬉しいひとことだった。


   8合目8尺からが長かった
   弟.2人が交互にバテだすが最後の鳥居が見えてきた。
     傾斜が落ち.その先に頂がある。

   最後の最後に走り出す弟達.子供のエネルギーは不思議なほど凄い。
     何時も感心するが子供の体の何処かに.秘める力を常に蓄えているようだ。

    富士山頂
   山頂の火口壁を背に

   食欲旺盛な子供達
      富士山頂
   向い風を受けると頂にでた。
     半地下の大きな山小屋が軒を連ね.店先にはお土産が綺麗に列べられている。
     そこを過ぎると火口壁を覗き込み山頂の全体像が望まれた。火口から這い上がる風が冷たく心地よい。

   風を避け軽食を摂る。ザックからは魔法の如く食糧が出てきた。
     頂まで来たことで自分で背負って来た食べ物を子供達は自慢げに取り出した。

   自分が担ぎ上げた好きな食物を食べてよいと私にも勧めてくれている。
     「ありがとう!」と真佐子から受け取ると今度は隆史.博史からお勧めの誘いが掛かる。
     子供達には個人装備以外.間食と各々水を持たしている。それ以外に私は酒紙パック1.8リッターを持参した。


   頂から御殿場へ
      大砂走
   まだ時間が早いので須走りの下りを変更し.御殿場への大砂走を下ることにした。
     妻がこの頃よく話す大感激した大砂走を。

   私にとっても大砂走は初めてでだった。
     雪富士は4.5回通ったと思うが.無雪期初めての富士.登るとは思っていなかった。

   最後に入山したのは1974年04月.同期鈴木と遊びに来て.86年には家族でハレー彗星を探索しに雪富士に訪れている。
     凄い星群で子供が雪の中.震えながら天を仰いでいた。子供たちも覚えていた。
     明け方の愛犬サムの喜びよう。快晴の蒼空と雪積もる大地を子供達とはしゃぎ回っていた。

   大砂走.足が痛い痛いと言いながら子供達はわざと転ぶよう走る。走る勢いは止めることが出来ず.落ちるよう走る。
     停まる時は何時も転び回る。いかに砂埃になろうと関係なく奇声を上げ落ちて行く。
     広大に続く砂走りの裾野は延々と続いていた。

      茶屋
   下りの「大石茶屋」2合目で洗面を求めた。一杯50円の洗面器に1/3ほど水が入っている。
     洗面器4つを並べ右端より順番に顔を洗った。

   初めの洗面器は直ぐ砂まみれになる。濁る洗面器に次の者は嫌がるが仕方がない。
     1つの洗面器では砂の汚れは落ちないほど砂まみれになっていた。嫌がるのを強引に従わせた。

   順次4つの洗面器に顔を浸けた。結果を見て直ぐ理解出来たようだ。
     皆.スッキリした顔だちになっていた。気も心も晴れ晴れしている。

   顔を洗った茶屋で時計を忘れ.ロスすること30分
     その間にバスは出てしまていた。御殿場新2合目(現在の5合目)で1時間.待っ嵌めになる。

御殿場口.昼食      . ,
      銭湯
   御殿場駅前の派出所で銭湯を尋ね.「ニンジン湯」を訪ね入浴する。
     御殿場に2つの銭湯があると聞き.小陣まりした綺麗と云われる方を選んでいる。

   開店したばかりの一番湯に飛び込む。待つこと15分.女将がまだ掃除をしていた。
     それを待ち湯舟に飛び込む。外で砂を払ったが玄関から綴られた脱衣所に掛け.泥まみれの足跡が残されていた。
     謝るも笑って過ごしてくれた女将に嬉しかった。


   帰路.数年後は末っ子.俊雄を3人で連れて登頂させるよう約束させている。
     大丈夫と胸を張る子供達。・・夏富士Top


        夏富士.V
           夏休み.俊雄の作品
                   夏富士V.平成元年(1989年)08月04〜05日.俊雄を連れ
                                   m私.真佐子14歳.隆史.博史13歳.俊雄9歳

    末っ子を富士山の頂に立たせようと親子4人の富士山々行

         スバル5合目―8合目「白雲荘」2714m泊―富士山―大砂走―御殿場新2合目・・ニンジン湯とロマンスカー運転席前. 
      8月04日. 竹町6:30=新宿.富士急行バス7:45=10:07スバル新5合目:30一6合目11:10一12:18.7合目:33一15:10本8合目.「白雲荘」h.消燈17:30
.

    台風接近.台風の間を抜っての登山
   竹町.自宅前で

   爽やかな末っ子の顔

      富士山へ
   食糧は子供の好むものを一品ずつ選ばせ.行動に合わせ組み立てる。
     私の嗜好は相変わらず朝の生卵と酒。

   飲水は空の時を考え1.8リッター酒パックに水を入れ.水筒とし各人に持たさせた。
     それ故.炊事にも十分余裕ができている。

   後ははしゃぎ回る末っ子の俊雄を皆で監視することにある。
     姉弟三人で末っ子を登頂させる予定だったが又もや私も行く嵌めになっていた。
     これは妻からの要望ではない。子供からの希望になる。

   出発前のスバル新五合目

      白雲荘
   前回より宿を頂近くに求めたのが失敗だった。日没と共に混み始め団体も入り.寝床は鮨詰め状態に。
     久し振りにテントで寝たような混乱と夜中の騒々しい小屋は富士山特有の山小屋風景のようだ。
     山小屋で頭.足を交互にして寝かされるとは考えてもいなかった。


           七合八尺.小屋にて

   雲海のご来光
    8月05日小雨後曇.午後晴.風強し. 起床4:00.日の出4:50
       白雲荘5:00一7:45山頂8:00一9:00昼食一大砂走12:50一新2合目.富士急バス(富士急静岡バス)13:25
       =小田急御殿場.ロマンスカー16:3=jr新宿=19:15竹町・・私は新宿で別れRHC同窓会へ
      朝の神秘
   ご来光,小屋前から素晴らしい雲海の波打つパノラマが展望された。
     景色ではなく.自然のエネルギーが雲と云う形で眼の前一杯に湧き上がっている。

   日の出前.怒涛の如く広がる荒波立つ雲海の狭い窪みに.陽の射さぬ空間を生み.雲海の厚く重い雲に一面被われていた。
     夜明けが訪れると共に闇の埋もれる雲海の波間は次第に白みだし.棚引く波は淡く輝き始めている。

   闇雲の空間を通し.遥か先から1点の光が天へと差しだされると時を唯ずして.陽光は膨らみを持ち太陽の一片に変わり.日の出を迎えた。
     そして雲海は闇雲の陰から淡いピンク色に染ずに.夕暮れを思わす濃い紅雲を映し出していた。
     白光は荒天の兆しを示さず.否な濃い色彩を雲に投げ掛けていた。

   陽の一点が神々しく.旋律を帯び放された。はしゃぐいでいた子供達も息を停め.無言で拝むよう見守っている。
     もう直ぐ大地は荒れ狂うだろう。山を下りるまで持つだろうか。


   九合目を越え頂真近に

          富士山頂
            富士山頂.噴火口を背に
剣ケ峰.富士山頂測候所. 72年間により有人観測を終える。04.10.1  
 
      富士山
   皆.頑張り頂に立つ。俊雄は見るなと云う.頂を見つつ.よく踏ん張った。
     頂.直下になると5.6歩を歩いては立ち止まり.天を仰ぎ.そして又歩いては停まることを繰り返していた。
     姉.兄3人の声援に応え.怒り顔をつくりながら黙々と登っている。

   風は強いが思いの他.天気は持ち続けている。頂にでると雲上の雲も切れ.蒼空が広がり始めていた。晴れるのか?
     鉢釜を覗き込み.岩陰を探しサンドイッチを放ばる。私は早速缶ビールを呑む。
     昔正月に頂に立ち.一瞬しか見えなかった観測所を前にして.一気に呑んだ。味より気分の方に美味さが勝っていた。


  
                                 駿河湾と伊豆半島.残雪に喜ぶ俊雄
     下山
   山頂.御殿場口. 驚くことに郵便職員が富士の頂で記念切手を販売していた。商売熱心に頭が下がる。
     俊雄には富士の絵が描かれたテレホンカードを選び与えている。

   風の強い中.頭上は明日催される富士山駅伝に備えてか? 自衛隊ヘリの騒音がけたたましい。
     御殿場口に下る随所で自衛隊員が配置に付き.その準備に忙しく群がっていた。

      烈風
   下るにつれ風は強まり.残雪の大きさに俊雄は目を丸く見張っている。
     休むとトコトコ残雪に向かい歩きだし,好奇心旺盛だが見守っていないと何処へ行くのか分からない。
     飛ばされてはと慌てて近寄るが小さな手.いっぱいに雪氷を握っていた。

   雲が上昇.荒れ始める

   8合目.横殴りの列風が体を襲う.体温を奪い涙がでてきた。
     頬はこう張り.ちり紙が真横を走っ行く。雨雫も横へ飛びだした。ふら付く俊雄のベルトを掴み掴み下る。


   御殿場口七合半.風を避けラーメンを作
      昼食
   風を避け岩陰で昼食を摂るのも大変だった。ラーメンを作る。
     コンロの火は点けても点けても消え.ザックで壁を作り漸く暖かみを摂ることができた。

   燃え上がる炎と暖かいスープ
     寒さに振えている子供達も食べるにつれ.落ち付き食欲は増している。

      荒れる大砂走
   強風で砂粒が飛んでくる。スコリアと呼ばれる細かい火山灰の粒子が数mも堆積する場所。
     頭を上げると待っていたとばかり襲ってくる。頬を打ち.体にパチパチと音を立てながら当たった。

   頭は上げられず風に背を向け息つくも.目は開けられなかった。
     半目で瞑るよう足だけが急斜面の砂地を進んで行く。ガスも湧きだした。

   その中.子供達は喚起を上げ転がるよう落ちて行く。
     足を止めるには転ぶしかない。転びに転び走りに走る。

   転んで起き上がる時の痛さ。それは転んだ痛さではなく,烈風が待ちに待ち.狙うよう襲う痛さ。
     砂のような礫石の粒子が塊りをなし体に襲う。体に当たり.バリバリとけたたましい音を立てている。
     私も砂の痛さを痛感させられた。逃げる場所がない。地面に這い見詰め下るのみ。

      大石茶屋
   下の茶屋で前回同様.洗面器を並べ.順番に洗顔する。
     洗面器には今回も1/3程の水が入っている。年の順で洗うが最後の俊雄はぶつぶつ言っている。

   最初の洗面器で砂を落し.2つ目の洗面器で洗う。そして洗面器を移動する毎に顔は綺麗になってゆく。
     怒る俊雄も洗い終わると.すっきりした顔になっていた。

      御殿場.ニンジン湯
   下山の行程が決まっているよに御殿場に下り.銭湯「ニンジン湯」に浸かる。
     今年も3時を待って.1番で湯舟に飛び込んだ。

   今回は前回のこともあり.土間で綺麗に足の砂を落とした積もりだが.やはりかなり残されていた。
     何も云わぬ女将に申し訳ないが快く浸かることができた。大きな湯殿の湯が溢れだす。
     今回は他にも客がいる。石鹸を頭に付けるのを見て.シャンプーを差し出してくれた。

   3時半.早めの小田急御殿場駅発のロマンスカーに変更し.運転席前.一列目の席を取ることができた。
     何時ものことだが子供の活力は素晴らしい。環境が変われば車内を走り回る底知れぬ力を持っている。

      新宿.RHC同期会
   新宿で子供と別れる。真佐子に新宿から帰れられるかと問うと当たり前と頷く。
     本当は自分達で俊雄を連れて行きたかったと。頼もしく頷く弟達.でもお父さんが居て良かったと。
     末っ子.俊雄はここでも不安げに見詰めていが。

   子供達と新宿駅で別れ同期会に参加。和田の段取りで大川.田沼も集まった。
     山帰りで嫌われたものの風呂に入り着替えをしてきた。仲間は皆.直ぐ理解してくれているのだが。
     一席設けてくれた店は高そうな焼肉で美味かった。予算は和田に任している。後もあると?

   誰が見ても山仕度.東京の真中の新宿のクラブにザックを持ち込んだ。良い顔するはずがないが仲間もホステスも良かった。
     会社帰りで全員が背広を着ている。その中.私1人だけが山仕度.服装は無難にしているが.
     ただ登山靴とザックは変えようもなかった。

   嫌な顔せず隣に座る若い女の子.彼の叔父が経営する店にフルコースで頼み込んだらしい。
     山も友も素晴らしい。楽しい一時を過ごす。

      富士山駅伝
   翌6日.富士登山駅伝は荒天で五合五尺で折り返しと急きょ変更した。
     テレビ中継を見て喜ぶ子供達がいる。自分の足で歩いて来た下山ルートが今テレビの大画面に映り出されている。
     その中.司会の声も大きいが走り転ぶ走者がいた。そこは大砂走.昨日.子供達が走った場所だった。

   子供が頑張れと応援する声が部屋中に伝わり.妻には昨日の行動を忠実に.体を冥一杯使い状況を伝えている。
     私は2日酔い。更に子供の歓喜に酔い.飽きることなく理屈を付けては再びビールを呑む。

   富士山東面地形図

冬富士は御殿場より
  1回目は五合目を
Bcに登頂
  2回目は三合目雪線にBcを設営


夏富士は吉田口登山道,スバル五合目より
  1回目はツバクロ東沢下山路
  2.3回目は御殿場大須走り下山

  富士山ウォッ地図

      子供達
   
1986年03月.ハレー彗星探索・・富士宮須山口登山歩道入口水の塚公園で家族全員と小型ポインター雑種サム
   
2006年08月.末っ子が友達3人とスバル五合目より登頂
     7合目「鳥居荘」泊り.荒れた悲惨な登頂となった。レンズ雲に突入.暴風雨に叩かられ体温奪われる。
     我々2人の登山靴を貸し.下山の翌日は夫婦で霧雨舞う尾瀬ヶ原
   
2007年07月.再び眺望を求め挑戦するも.台風5の襲来で入山できず断念。
   
2008年08月.長女が仲間8人と登頂。吉田六号目付近で落雷死亡事故があり.4時間の足止め16時より登山.仮眠取れずご来光を仰ぐ。
     スバル道.雲下の山中湖花火と落雷を見る。気象庁は28 9日.富士山の初冠雪を発表
   
2009年05月.次男が富士登山競争のトレーニングで富士吉田市役所一馬返し⇔7合目花小屋.6合終わりより積雪
   
2009年07月.富士登山競争で富士吉田,馬返し→山頂.3時間15分. その後マラソン.トレイルランナーとして山岳を走っている。
   
2012年05月.ウルトラトラスト・マウント富士(アジア初の100マイル48時間トラスト).富士山周辺一周.累積標高8500m, 記録177位,37:17:28
   
2014年04月.ウルトラトラスト・マウント富士.UTMF男子190. 68位(外国人.前22名).トータル29:15:14.完走率.UTMF男子69.5%. 全体59.7%.
   
2017年07月.次男夫婦が富士山に登頂(彼女は初めて.外人を含め多過ぎるハイカー).富士登山競争に参加した仲間を応援

      初冠雪
   初冠雪とは山頂が雪または白色に見える固形降水(ひょう.あられ.)で覆われた状態を示し.
     認定は日中の平均気温が年間で最も高い日以降となる。1914年(T03年)08月12日以来.94年ぶりの記録更新。
     当日は昼過ぎ大気の状態が不安定となり.雷雨の影響により山頂近くで「ひょう」が降ったと見られる。

      富士山測候所
   1880年(m13年)からときおり富士山での気象観測が行われた。
   1932年(s07年).外輪山南東の東安河原の公設の中央気象台臨時富士山測候所が開設。
         通年測候が行われ観測結果は超短波無線機で気象庁に送られた。
   1936年.日本最高峰の剣ヶ峯に富士山頂気象観測所として移設
         当時世界最高所の常設気象観測所となる。これにより偏西風の謎の解明や高山気象における基礎的データーが収集された。
   1941年(s16年).支援拠点として御殿場事務所が開設され.冬季の登下山に使われた鉄製の手すりや避難小屋が造られる。
   1964年(s39年).富士山レーダーが設置され翌年より運用を開始
         台風を観測することを目的としてドーム形レーダー
   1966年(s41年).台風26号がすぐ西を通過し.最大瞬間風速の日本記録.91.0m/sを観測
   1967年正月.御殿場より登頂.一瞬の観測所を臨む
   
1969年正月.御殿場より入山.遭難多く中退
   
1984年07月.家族登山暴風雨で中.
   
1985年08月.子供と観測所を臨み御殿場へ下山
   
1989年08月.子供と観測所を臨み御殿場へ下山
   1999年.気象衛星の発達によりレーダー観測の廃止。
   2004年.自動観測装置が設置され無人化。気象庁はりNPO法人「富士山測候所を活用する会」に貸し出す。
   2007年よ今後3年間.07月08月のみの使用として高所研究の場として活用される。
   2008年.富士山特別地域気象観測所と名称を変更
   1990年代前半.「富士山」を「世界自然遺産」としてユネスコに登録を目指すがゴミの不法投棄環境問題等が障害となる。
   2013年06月.カンボジア.プノンペンで開催中のユネスコで「世界文化遺産」として.三保ノ松原を含み登録される。・・自然遺産にならず

   1967年正月. 二日登頂.御殿場⇔登頂.
   1969年正月. 中退.御殿場⇔5合五5勺.スキー
   1971年11月. 御殿場.ピッケル1本持ち
   1974年04月. 再び御殿場
   1979年正月. 御殿場
   1984年07月. 夏富士T.スバル五合目⇔八合目.
   1985年08月. 夏富士U.スバル―頂―御殿場
   1986年03月. 富士宮.ハレー彗星探索と子供スキー
   1989年08月. 夏富士V.スバル―頂―御殿場
   2006年10月. 富士山麓一周の旅
   2007年05月. 富士山麓一周と下部温泉の旅

   旧hp.PhotoHighwayJapan.夏富士T.U.V
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