・・2012年09月の吾妻中止報告 ・・吾妻連峰東北部Top
     吾妻五色温泉「宗川旅館」・・過って常年していた春期ツァー合宿の宿

   今はクラブの1つのシンボルにもなっている回想の五色温泉に秋の親睦ハイクを変更し宗川旅館に集る. 2014年09月06〜07日
                                      9月6日17時集合.24名参加.男性21名.女性3名

    小林.鴨田.池津(s37).見城.池田(s41).滝島(s42).鈴木.松村(s43).山田.工藤.水頭(s44).西沢(s45).田島.(s47)
    吉武.石戸.剣持(s48).発知.松井(s49).宇塚(s50).児玉(s52).鈴木(s54).鈴木.及川(s54).伊藤(s56)・・幹事剣持

      信夫高湯温泉「ひげノ湯」とjr奥羽本線「板谷駅」・・家型ヒュッテ管理と五色の里.「板谷」
      五色温泉「宗川旅館」と下郷町「大内宿」

     日本初のリフトがあるスキー場をオープンさせたのが山形県の県境近い福島県板谷の山腹にある五色温泉スキー場
   一軒宿の「宗川旅館」と小さなスキー場には短いリフト1本と私の学生時代には皇族の館があった。

     我がクラブRHCの最初の春合宿は初代小林主将を中心に1960年(s35年)3月4日から1週間かけ五色温泉で行われた。
   それ以後1981年2月まで春期ツァー合宿は宗川旅館を起点に催されている。五色温泉での最後の主将を務めた山本君は「避難小屋にスキーをデポし
   一切経山に登り.「21年間続いた吾妻連峰での春合宿はこれで閉ざされた。」と語り.その当時の状況を綴った手紙を過って頂いている。

     私は創立6年を迎えて入部.現役4年間は当然.一軒しかない宿「宗川旅館」に宿り.交渉では宿泊費.1泊¥300.外泊¥200と記されている。
   拠点にし始めた初期は鉢森山ツァーを目標に目指し苦難の末.乗り越えている。それから高倉山へ.家形ヒュッ泊まりで家形山・一切経山へ。
   更に東大嶺縦走に東吾妻山へと行動範囲の広がりを見せていた。

     又女子の技術向上は家形ヒュッテへと。家形ヒュッテを高湯温泉観光協会.後藤氏と共同管理を行い.家形ヒュッテの修理.維持も行うようなる。
   今では家形ヒュッテは雪崩で崩壊し避難小屋に変わり.その避難小屋も建て替える時期になっている。
   我々の1つのシンボル化しつつある回想の五色「宗川旅館」に今日はOB・OG達が集う。詳細は五色温泉のトップを参照.

   佐野ACより.11:36
    見城.滝島.鈴木.松村は9月6日東上線若葉駅に集合. 解散後は池田.同一行動を取る

     9月6日(土)曇後高曇
   jr御徒町¥165. 6:45=7:04池袋東武東上線.¥515. 急行7:15=7:56若葉.全員集合.
   若葉8:00=9:05羽生IC.¥3760=佐野PA.朝食佐野ラーメン11:35=12:20福島西IC.高湯街道=果物園=13:00信夫高湯「ひげの家」
   一13:10高湯第一堰堤. ⇔13:25清水観音.「貴福茶屋」昼食蕎麦14:20=14:45「スーパーいちい」.広域農道=14:54国道.中野銅交差点
   =15:00東栗子隧道=15:18jr板谷駅:28=15:33五色温泉.

   

    五色温泉へのアプローチ
     東上線若葉駅に8時に何時ものメンバーが全員が集合.今回は下の一般道を通り.東北自動車道.羽生ICから北上する。
   都幾川(ときかわ).市野川.荒川を越す。荒川では川幅が日本一と称する看板標識が設置されていた。
   東松山鴻巣線から鴻巣線羽生線を経て羽生ICへ抜けている。

     利根川を渡り佐野PAで朝食.佐野ラーメンを食べ.西面の山並を望み一気に東北道を北上。大谷付近で同期大川に連絡するも
   今日は研修とのこと。今回は五色温泉に入る前に信夫高湯「ひげの家」とjr板谷駅に寄る積りでいる。

     福島に入り福島裏磐梯線(高湯街道)を遡る。途中で瞬の果物をほうばり小休止.桃に梨.林檎を吟味する。
   桃は終わりに近ずき.林檎はまだ早いとのこと。梨は瑞々しく美味かった。再び走りだすと左手店並びに佐藤果実園を見付けている。
   林家の実家か? 先週梨が送られてきた。この地区に同名の果実園が2軒あると後に知る。

    信夫高湯.新「ひげの家」
   登り方面から直ぐ左手に並行するのが高湯街道.13:00
    高湯街道(福島=高湯)の先が吾妻スカイライン

   新築された「ひげの家」玄関

    「ひげの家」
     吾妻山の東麓.吾妻スカイライン.高湯街道の急坂を唸りを上げ登れば信夫温泉にでて高湯にでる。
   大きなヘヤピンカーブを回り込むと目洗川(めあらいがわ)を渡る手前で.左手に枝道が分かれ本道と並行するよう延びていた。

     その真中付近に「ひげの家」の宿があった。2011年9月にK先輩と白布高湯から吾妻連峰を南下している。
   その折.浄土平からの帰路.バスの車窓からチラリと「ひげの家」の看板を見ている。

     1960年代後半.「ひげの家」の後藤氏は高湯温泉観光協会の会長に就任していた。その折我がクラブと家形ヒュッテの共同管理を行っている。
   RHCが一丸となりヒュッテの修理をしていた。外壁の張替はコールタールの厚いボールから替えている。煙突に割れたガラスの張替.屋根のペンキ塗り.
   汚物の処理等。薪造りは伐採のため営林署員に入山して貰き.立木に印を付けてもらい.晩秋には春合宿の準備と薪造りに励んでいた。

     それ故,「ひげの家」には何度もお世話になっている。OBになってからも.見城先輩と寄って朝食も御馳走になった。
   「吹雪そうだから戻り寄るよう!」言われたが合宿中の家形ヒュッテに向かい.野宿する羽目になったこともある。

     滝島先輩が古い「ひげの家」は本道沿いにあったと.一回りするが古い荒廃とした宿跡は違う人の持ち主だった。
   尋ねて改めて昔の場所に新築してたと知らされる。立派な現代風の館に建て替えられていた。
   泉質は酸性・含硫黄(アルミニウム・カルシウム硫山酸塩温泉.42℃〜51℃の白濁の湯。

    ひげさん(1917〜2005)
     山を愛し.高湯温泉を愛した当館の創始者。おだやかなまざなしに立派な髭をたくわえたその姿から(ひげさん)の愛称で親しまれました。
   「ひげの家」は(ひげさん)の飾らぬ人柄に惹かれた人々の宿として.磐梯吾妻スカイラインが開通した1960年.この地に開業しました。
   以来.半世紀。変わらぬこころでみなさまをお迎いしています。当時私は「親父さん!」と呼ばさせていただいていた。
                                              旅館「ひげの家」ハンプレットから
    高湯第一堰堤
   目洗川を渡る橋より.13:11

    堰堤
     「ひげの家」から一軒隔てた古い木造家屋跡の先が.高湯街道で目洗川(須川高湯沢)が流れ込んでいる。
   その橋から高湯第一堰堤(高湯ダム公園)が明るい森の谷間を築き望められた。

     一切経山.吾妻富士等の山々を源に持ち.積雪多い冬期の噴火を予想して.高湯街道と温泉街を土砂災害から守るための砂防ダム。
   主ダム工.堤高13m堤長585m+副ダム工+垂直壁工の三重構造.対空標識「SU1」. 2001年03月〜03年01月竣工。以前は自然その間々だった。
   高湯地区で唯一温泉の流れていない河川で尺イワナがいると散策し.イワナを見付けた見城先輩と鈴木が口を揃え語っていた。

     2014年12月12日.吾妻山大穴火口で34分にわたり火山性微動が発生し,マグマ.水蒸気噴火の恐れあり.噴火警戒レベル2に引き上げる。
   今年に入り6/3日草津白根山.11/20日阿蘇山はレベル2に引き上げられ.9/27日には木曽御嶽山噴火.甚大な被害をもたらしている。
   蔵王でも兆候がでてきた。更に12/16日には十勝岳がレベル2に引き上げられた。吾妻山地震情報

     磐梯吾妻道路.通称吾妻スカイラインは高湯温泉から浄土平を経て.土湯峠に至る全長28.7qの山岳観光道路で1959年(s34年)11月開通
   通行料金¥1570は料金徴収の満了に伴い.2011年07月16日の限定無料開放に続き.13年07月に恒久的に無料開放され一般道路に移行された。

   第二磐梯吾妻道路(磐梯吾妻レークライン)と吾妻山有料道路(磐梯山ゴールドライン)もう同時に解放される。
   又来春には400年の歴史を持つ高湯の湯に.市営の日帰り共同風呂が営業を開始するらしい。

    待った昼食
     往路を戻り.蕎麦を食べようと果物街道(広域農道庭坂新井線)を左に入り.清水観音堂.「貴福茶屋」で昼食を摂る。
   1時半.今日最後の客.暖簾を潜ると直ぐ外された。運がよいのか悪いのか? ざる蕎麦を頼むが食い終えるまで1時間弱待たされた。

     蕎麦定食が多く,順番にひとテーブルずつ料理し.終えて又作る仕草。最後の客はざるだが最後まで待たされる。
   十割蕎麦でタレも美味い.座席から炊事場は目の前.見詰め待つ身は長かった。


     「スーパーいちい」でビールを購入.広域農道からT字路の銅屋交差点を左折して.米沢と福島を結ぶ国道13号(万世大路.栗子道路)に入る。
   前川左岸の高台の山腹を巻くよう渓谷と隧道が続く。国道の北側には東北中央自動車道の工事線が点々と続いている。
   特に工事中の隧道が点々と口を開け.鉄橋はまだ殆ど架けられていなかった。米沢北ICと福島飯坂IC手前に繋がる長い工事区間が続いている。

     葡萄沢山813mの南側を潜る東栗子トンネルを抜ける。途中で片側交互通行規制にあう。
   数年前の笹子トンネル落盤事故を受け.同じ構造で昨年に天井板撤去工事を行っている。その名残だろうか?

     鎌沢に架かる板谷大橋を渡ると板谷との分岐にでる。本道を分け県道154号.桧原板谷線に入れば板谷になる。
   国道13号分岐から板谷集落.五色温泉を結ぶ道路で.谷間へ下るとjr板谷の駅舎が姿を現わした。
   旧国道13号の栗子隧道は現在落盤で閉塞されている。又関根小学校分校は2007年07月.休校となり.米沢市内の学校へ鉄道通学になる。

    旧板谷駅スノージェート
   峠駅側のスイッチバック引上線.15:26

     昔松川の吊橋を渡り合宿に望んだ時.線路を横断した地点より撮影。スイッチバック引上線.1899年(m32年)竣工.15:26
    旧スノージェートの出口先に真新しいスノージェート内の新駅に変わり覗まれた。背が旧板谷駅

     前川の谷間に降りT字路にでる。左手の桧原板谷線を分け.右折して板谷街道に入ると直ぐ小学校板谷分校跡前を通る。
   直進すれば大沢への道。左に折れ前川左岸の踏切を越えるとその先に昔の間々のスノージェートが現れた。潜った所で車道は途切れている。
   その奥(峠駅側)に真新しいスノージェートとその中に新板谷駅が造られていた。

     旧スノージェートは古いレールを使用した小屋組みになっている。スイッチバック時代の名残で.豪雪からポイントを守るため造られていた。
   このスノージェートの右上.山側には県道232号.旧奥羽街道(板谷街道.米沢街道.板谷米沢堤車線)が通っている。
   米沢市板谷から奥羽山脈板谷峠越えをし.米沢市大沢を結ぶ旧街道になる。

     当時.車道は豪雪に埋まり.歩いて五色温泉へ出向いている。ルートは駅前通りからスノージェートを回り込んで.前川に架かる吊橋を渡っている。
   ここは高倉山から北東に延びる尾根の末端で.電灯線に沿い2時間ほど登れば五色温泉のスキー場末端にでる。急斜面に豪雪が積り.
   ラッセルに凍雪.融雪と荷揚げから合宿は始まり.ツァーには谷越えをして鉢森山へ.更に峠から栂森へと何度も通ったルートだった。
   ・・スノージェートとスイッチバック

    新スノージュットが被るjr新板谷駅
   手前がログハウス風の新板谷駅待合室
    新板谷駅は旧スノージェートの更に西側に造られていた。

   1899年(m32年)05月15日.国鉄板谷駅開業.
   1990年(h02年)山形新幹線建設工事の一環として.本線上の駅移転が決定。板谷峠区間の赤岩駅.峠駅.大沢駅のスイチバックも廃止。
         現在の位置.新スノージュット内に移転されている。新幹線は奥羽本線と共に福島.山形間が標準軌道化される。
   2001年の統計では25人/日.降車客含まず。米沢駅管理の無人駅.

    スピード化
     初めて板谷駅を訪れたのは1966年02月.上野駅から夜行鈍行列車に乗り.列車は除雪した雪盛りを過ぎ.スイッチバックして板谷駅に停車した。
   運行時間は8時間20分. ホームは新雪で埋め尽くされ.車窓からホームの雪盛りに荷を投げ降ろしていた。・・春合宿T

     その後合宿.ヒュッテへと何年か通い.72年02月に西吾妻山に出向いている。その時は特急列車で4時間足らずで米沢に着き.
   早さに驚かされていた。国鉄からJRに変わり更にスピード化は進む。2011年10月.吾妻連峰を南下している。
   その折は上野から新幹線で2時間40分間の乗車だった。今は2時間10分ほどに短縮されている。

   新たに峠駅側に造られたスノージュット内の新駅ホーム。

     スノージェート内に造られ相対式ホーム2面2線.現在の板谷駅の停車は一日6本.
   五色温泉・・要予約の送迎バスあり約25分. 栗子国際スキー場・・送迎バスあり約5分.

    旧スノージェートと本線
   撮影した背が新板谷駅
   旧スノージェートは引上線.その潜った先に踏切があり旧板谷駅がある。右側が本線.山形新幹線と奥羽本線の供用軌道。新駅との間から撮る。

    駅舎を失った旧板谷駅跡
   旧板谷駅広場と駅前通り.15:27
    先は赤岩駅方面

    旧板谷駅
     左の台地が駅前広場で.その左手には木造造りの実に趣のある堂々たる旧々駅舎が建てられていた。
   その先に旧ホームと茂みに錆びたレールが延びている。まだ木造旅行列車が走り.私が五色温泉へ通っていた時代だった。

     冬になれば降雪に全てが埋もれ.道路は人が交差できるだけの狭い雪径のトレースだけだった。
   その後はプレハブ式の鋼鉄の小さな駅舎に替わり.スイッチバックの時代を終えている。現在は地元の集合所として残されていた。

     駅前には五色温泉の集荷所.詰所があり.合宿中の生活物質を用意して頂いていた。
   番人は何時もニコニコした叔母さんで.常にお茶を御馳走になっていた。吐く息は白く.温かいお茶を両手で支え.その味が美味かったこと。
   今はその面影もなくなっている。

   1966年02月24日・・初めての板谷駅周辺風情
   国鉄板谷駅からの経緯
   第1回.春期スキー合宿.35年とその後の板谷周辺

    奥羽山脈鉢森山
   五色への道で.15:41
    鉢森山1003.6mの東斜面が栗子国際スキー場

    鉢森山
   新たに高圧送電線が加わり並行している

     鉢森山の手前の小さな鉄塔群は送電線伝いに鉢森山へのツァールートがある。その脇の更に大きな鉄塔は東北電力の
   275KV送電線.吾妻幹線(米沢変電所一福島変電所)が新たに架けられていた。s47年12着工

    五色へ
     旧板谷駅の駅前通りから桧原板谷線に右折し,前川を渡ると国有林の深い森林帯に入る。
   そして起伏のやや粗い高野原から南西に延びる窪地を詰めていた。

     初めて車で入る五色.道路標識もなく.何処を走るのか分からぬが1本道が綴られていた。
   途中で左手から幾つか入ってくる道は板谷鉱山から四郎右エ門沢へ抜ける道になろう。

     鉢森山南麓を横切る2つの送電線をここで潜り.エンジンを轟かせジグザグ道を登ると丘陵台地にでる。
   帰路.この辺で野猿の大軍団に出偶している。走る道筋に点々と群がっていた。バラバラであるようで纏まっているようにも思えた。

     以前.後輩高畑が夕方五色へこの道を1人.歩き訪れている。その折.この猿軍団に遭遇したらしい。恐ろしかったと語っている。
   朝方だが目が遇えば怖さが想像できる群団だった。長い距離を点々と同一行動で休み休み移動していた。

     北側の茂みの切れ目で奥羽山脈の雄大な山並が望められた。どんよりした層雲が大地を覆い.
   目立つ高山が懐かしい鉢森山になる。もう五色「宗川旅館」は近い。

    2020年9月30日.マタより宗川旅館閉鎖のメールが届く
     「ようやく秋らしい爽やかな気候になりました。お変わりなくお元気のことと思います。
   メールをしたのは宗川旅館が近く廃業するということを聞いたものですのでお知らせしようと思った次第です。

     あるいはすでにお聞きになった方もいらっしゃるかも。とも思いますが同期のみなさんにとりあえずお知らせと思いました。
   だから何かということはありませんが我々にとって宗川旅館は沢山の思い出がある青春のハイマートといった場所です。
   いつか機会があればもう一度訪れたいと思っていました。残念ですね。」・・2020年9月30日

   2018年1月に日本秘境を守る会を休会・20年9月30日現在.宗川旅館のHPは閉鎖されている。

     信夫高湯温泉「ひげノ湯」とjr板谷駅・・家型ヒュッテ管理と五色の里.「板谷」
     五色温泉「宗川旅館」