草津生活 2009年06月.07月・12年06月.11月・13年04月・14年04月.08月・15年06月 16年05月.12月・17年02月・21年10月・22年10月・23年7月 北軽生活.二度上峠から浅間隠山と池ノ平周辺・・上州二度上峠Top 上州角落山塊の浅間隠山と上信の国境の高峰高原の池ノ平 初めて北軽井沢に入り.起点にとして二度上峠から上州浅間隠山―翌日は地蔵峠から高峰高原・池ノ平周辺を周回 2008年07月20〜21日 L見城.m鈴木.黒岩.松村 7.20.二度上峠から上州浅間隠山 7.21.地蔵峠から池ノ平 見城先輩から仕事関係の知り合いから北軽井沢の別荘が借りられたので浅間隠山.湯ノ丸高原へハイク・ぼうと連絡が入る。 早速同期鈴木と東上線若葉駅で待ち合わせ.マイカーで二度上峠にでて浅間隠山をピストン。翌日は北軽から湯ノ丸高原を散策する。 浅間隠山 浅間隠山は高崎から烏川流域に入る角落(つのおち)山塊に属し.その最高峰は浅間隠山1757mで上州東吾妻町と長野原町の町界尾根に位置し. 地元では「矢筈山」と呼ばれ.山頂部は2つのコブに分かれる双耳峰。 遠望すると円錐形の美しい山で.東吾妻町や長野原町からは山蔭で浅間山が見えないことから浅間隠山と名が付けられていた。 別名「川浦富士」とも呼ばれ.江戸時代の絵図には「御巣鷹山」と記入されているという。 昨日気象庁から関東上信越地方は梅雨開けが発表された。ただ台風7号が中国から北朝鮮を横断.日本に南風をもたらしていた。 上信越地方は天気がくずずき気味.向かいの上信越国境は霞み.おぼろな展望しかは得られなかった。 浅間隠山〜二度上峠 浅間高原の天女山より天丸山に挟まれた谷間は熊川源流で緩やかな丘のような起伏が広がり.その広大な台地には3つのゴルフ場がある。 北側の軽井沢高原ゴルフ倶楽部は二度上峠から北軽に下る長野原倉淵線の熊川と並行して走っていた。 又上流側には太平洋クラブ軽井沢とブレジデントカントリークラブがある。 上州浅間隠山ピストン 二度上峠より.11:22二度上峠から上州浅間隠山ピストン・・残念ながら上越国境のパノラマは望められず。 7月20日.曇 池袋東武東上線5:45=6:30若葉.Sと合流=高崎IC=二度上峠⇔北軽井沢S邸. 二度上峠10:50⇔わらび平分岐一11:30小:40一12:00浅間隠山:45. 一13:40二度上峠=北軽S邸hc 猛暑の入山 東上線若葉駅で鈴木と待ち合わせ.二度上峠で見城先輩と合流する手筈だった。何故か先の北軽井沢まで下り.迎えることになる。 先輩の幼馴染K嬢も参加.滝島先輩からの差し入れのトマトを抜き取り.持参したキューリと共に結飯の付け合わせで昼食を摂るころにした。 後は冷凍缶ビールを忘れず持参した。 登山口は二度上峠から高崎方面に1kほど戻った所にあり.小さな涸沢沿いの緩やかな小径が登り口。 落葉松林を抜けること10分.尾根らしくなり岩淵山と安高山の鞍部にでる。 盛夏の緑深い樹葉が小径を塞ぎ.綴る径に汗が滴る。木洩れ日の径.やはり汗がでると蒸し風呂に居るよう酷くなる。 少し登ると体も落ち着き平坦地にでて.北軽井沢からの小径と合わさった。道標が見当たらないところを見ると疎らに通る踏み跡のようだ。 その先にも北軽井沢からの小径が合わさっていた。 棒抗に「第4地点」と記された所でコースは二分した。どちらも時間的には変わらないらしい。急登を越え南方の開けた場所にでる。 先導の先輩から背後に対峙する奇岩は珍しい形を創る鼻曲山で,望められる筈だと語るも霞みの中だった。 やがて広々とした場所にでてわらび平分岐に至る。ここはわらび平森林公園からの林道一倉線になり.下れば烏川からの山径と合わさった。 今朝登ってきた県道に通じている。少し下り低木の尾根が開かれると浅間隠山の本峰と南峰が臨められ.カヤトの笹原の斜面を少し登れば頂にでる。 落葉松からツツジ.雑木林と変わり.やがて見晴らしのよい頂に立った。 落葉松の森 真夏の深い緑の森.11:26蒸す中.強い陽射しもなく.真夏としては恵まれた天候。 歩き初めから深い緑の茂み径. 車の便利さを痛感するも,ただ足は重く.だるさだけが増し惰性で登り着く。 浅間隠山々頂 12:21浅間隠山 頂には小さな石祠と二等三角点が設けられ.360度の大眺望が開ける筈だった。向かいの手近な上越国境の山々は重い霞みに遮られている。 赤石山や白砂山の山々.草津白根山.横手山からの上信越国境の山々もガスの中に霞んでいた。 期待するも一瞬の切れ目とも巡り合わうことはなかった。浅間隠山から大きく望める筈の浅間山も。 翌年10月に登ることになった特徴ある鼻曲山の眺めもなく.背後の妙義山は尚更分らなかった。 意外と訪れることの少なかった上州の山々。鳥沢は下流にある射撃場周辺はヤマベ釣りの大会で何度か訪れているが。 ただ上流のましてこの源流周辺の山域は私の全く分らぬ空白部になっている。 上信越国境の山々を囲むよう遠望される筈だが諦めざる得なかった。これから幾らでも来れると慰める先輩.ここは彼の地元になる。 北軽井沢に1泊お世話になるにはよい山だった。程好い運動が下山してからも体を軽やかにさせている。 登山道は二度上峠からとは別の北側の吾妻川の支流.温川沿いにある浅間隠温泉郷からシャクナゲ尾根を登るコースがある。 北麓には3つの湯宿(薬師温泉.温川温泉.鳩の湯温泉)に浅間隠温泉郷があり.薬師を除く2軒は古く一軒宿と聞く。 又5月の頃には浅間隠山全体がシャクナゲに被われ.鮮やかなピンクの花で飾り立てられると云う。これからの楽みが増えている。 浅間隠温泉郷から清水=JR中之条.関越交通バス50分. 二度上峠へはわらび平森林公園キャンプ場.「はまゆう荘」17分=権田1時間半=jr高崎.高崎市代替バス.11〜3月運休. 浅間隠山 別名矢筈山と呼ばれ2つの峰がある.12:54角落山塊 二度上峠より烏川を隔て.13:52左端が1295ッ峰で中央が角落山1393mと右は剣ケ峰1429.6m. 峠と渓流釣り 二度上峠への復路は遥か左前方に烏川源流(からすがわ)をコの字に囲むよう角落山塊の主峰が連なり望まれている。 凹凸激しい山稜はおぼろに霞む天空に激しい起伏を描き.顕著な輪郭を現われている。主峰は烏川源流を隔てた浅間隠山より.何故か低い。 ただ二度上峠から望む角落主稜とは対照的で北側の浅間隠山は丸みをもつ穏やかな山容を持ち連ねている。 烏川沿いの県道は上流に多くのスピンカーブをもち.下流で鏑川と合わさり.高崎から利根川本流に流れ込んでいる。 烏川中流々域は1990年代後半から台東区を中心とした若波釣友会.浅草帽釣会.浅草釣友会の競技でヤマベ釣りに度々訪れている。 川床は枝沢を含め岩盤が多く占め.瀬を走るヤマベ釣りの醍醐味は他の流域に比べ抜群に優れていた。 ただ鏑川と同様に雑魚でも入渓料は常に徴収されている。又東京に居座る川鵜はここまで襲来し.根こそぎ食い荒らし.被害はアユと共に多い。 近年は川鵜により被害が多く.川鵜の遠征は群をなし静岡県内の河川を総なめにし.鮒のみならず.最近群馬県内の遠征も珍しくなくなっている。 1本づつ河川を襲う貪欲な川鵜は死の河川を生み.河川を1本づつ順番に関東周辺の河川を総なめさせている。 又知恵もあり.最近では禁漁区に群で休んでいる。若鮎を守るための漁業組合で放す花火は密漁ではなく.鵜を近寄らせないための手段でもある。 鼻曲山と浅間隠山その間の峠.二度上峠を越えると熊沢の下りに変わり.北軽井沢の高原はなだらかな傾斜で下りている。 今日はこの浅間隠山の裾野.西側の北軽井沢の森に宿る。 浅間隠山〜二度上峠 浅間高原より.2008.10軽井沢方面から臨む浅間隠山と右端の窪地が二度上峠 二度上峠(にどあげ) 昔は新軽井沢から草津温泉まで「草軽軽便鉄道」というトロッコ電車がこの峠を走っている。 1919年(t8年)には吾妻までが開通し二度上駅も開業。昭和02年発行の地形図には草軽の軌道と二度上駅舎が記入されている。 ちなみに隣りの国境平駅はまだ記載されていなかったようだ。 電化を進め社名を「草軽電気鉄道」と改め.15年後の大正15年にようやく新軽井沢=草津温泉間55.5kmが全線開通した。 草軽電鉄の車輌は特徴あるL形の鉱山用電気機関車.同機は全長4.729o自重11.5tで37kwの電動機を2個装備。 「四千尺高原の遊覧列車」としてオープンデッキの「展望客車あさま号」を牽引していた。今流行のトロッコ列車のはしりになる。 軽井沢と北軽井沢との間には3つのスイッチバックがあり.その1つが二度上峠。このことから名付けられたと云う説もあるが.その以前に名付けられている。 草軽電鉄は沿線町村の活性化に重要な役割を果たし続けてきたが.吾妻線と云う新たな交通機関が開業し.台風による度々の吾妻川橋梁の 流失が拍車を掛け.1962年(s37年)に全線が廃止した。全線単線.21駅.直流600V. 今はこの二度上峠は県道406号.長野原倉渕線(高崎市倉淵=北軽井沢間)が峠道として横断している。 倉淵からのつづら道はローリングロードとして人気があり.今朝の登りでも幾つものブレーキ跡が強く交わり路面に刻まれていた。 TV 2011年05月22日.CATVヒストリーチャンネルで「レールのあった町」と題する軌道のなくなった昔の草軽鉄道を辿る画像が放映された。 明治後.日本政府は民間資本による鉄道事業の推進を図り.全国的に軽便鉄道ブームを盛り上げていた。 そんな時代背景の中で前記の如く.大正4年に新軽井沢〜小瀬(小瀬温泉)間に小型蒸気機関車を走らせ開業している。 鉄道は建設費用を抑える為.軌間は762oと極端で狭く.トンネルもなく.スイッチバック方式で二度上峠を越え昔から学者村だった北軽井沢へ。 更に上州三原へ延び.昭和30年代までには新軽井沢から草津温泉までスイッチバックを利用してトロッコ電車を走らせている。 総延長55.5qを走破するのに2時間半から3時間.ゆったりした時速15kで走っているた。 登りは更に緩く.トロッコから飛び降り野花を摘んで再び乗れたとの事こと。故脱線しても人を集めれば元に戻っていた。 嬬恋.六合村.長野原町の農産物に硫黄鉱.草津温泉の食糧等を運んでいた。又観光では東急系となり.スイスの登山鉄道に着想がされている。 電化に伴い長いパンタグラスの機関車(米国製)がカブトムシの愛称で浅間山麓の高原地を走り.遊覧列車は人気があったようだ。 昭和30年代半ばまで.半世紀にわたって多くの観光客や湯治客を運んでいた。 その後.赤字に転落.台風の多大な被害を暫し受け,国鉄バスの大型化や吾妻線の開通が上州三原から軽井沢に掛け徐々に事業を縮小させ. 1962年02月には全線廃線された。5月には枕木,レール.柱と全ての撤去工事が行われている。 その廃線跡はその用途でそれぞれ形を変え,今ではその痕跡をたどるのも困難になったが,以外と道として面影を残している所も多い。 古き田舎道に草地.舗装された道路に裸土の道。スイッチバックの形が残されている道もあれば閉ざされた藪道も。 高原や山村を背にテレビは昔を忍ぶ映像で綴られていた。 我々も浅間隠山々行の翌日.嬬恋から地蔵峠へ道を走らせた。その痕跡を辿る道も含んでいると云う。 ラストシーンは草津温泉駅跡の小さな公園に残る草津温泉駅の記念碑。その下には当時のレールが残されている。 今も残る吾妻川橋梁の橋台. 旧北軽井沢駅舎はS邸からも近く.一部部材を用いてほぼ新築され登録有形文化財として登録され. 廃線からの当時の記録映像は「草軽電鉄Web博物館」で見ることができる。今日はその北軽に宿る。 北軽井沢S邸 17:42先輩に任し延々と続くバーベキュー.そして懐かしの山歌が響く. 日没過ぎても夜半まで続く.7月20日20:46長野原草津 下山後.バーベキュー用の食材確保に出向く。別荘から5分で着いた街道沿いのスパー大丸は閉店。次の農協コーポも閉鎖されていた。 先輩の決断は早い。長野原草津のスパーへ.14kの距離を車で往復する。 キャンプファイヤー 焚火の場所が決まるや明るい内に隣地の工事現場より座り心地の良さそうな太目の板切れを人数分選び運んでいる。 燃やす木材は幾らでもあった。何しろ別荘新築現場である。乾いた板切れはアッという間に燃えるが残材は山のようある。 食材用のテーブルも傍に備え.鈴木が器用に薪を組み.火を点けると直ぐさま炎を上げている。 先輩は彼女の指図で何かと動いている。私は準備に何か落ち度がないか雑用的に人数分の椅子をテラスから用意した。 まだ陽は高い。ビールがでると男どもは焚火から動かなくなった。燻る炎は燃え上がり.白煙となり中庭にあるカシの高木に昇る。 キャンプファイヤーは愉しい。何年振りだろう。昔は山に入ると何処でも焚火をしていた。無積雪期は登山の条件の1つになっている。 炎を見詰めていると心を和ませ.仲間との会話は弾む。テントでも野宿でも殆ど焚火を欠かすことはなかった。 今日はビールから始まった。一升ビンもある。闇になるも薪がなくなるまで炎は閉ざさず.燃やし続けている。 網に野菜を乗せ.肉を焼く。K嬢が持参した岩魚の骨酒もある。食べて呑み語る。口がよく動き.居心地のよさがファイヤーを長びかす。 S邸は照月湖の湖畔西側にあたりカシの高木の森にある。先輩が世話した知人の別荘で新たにもう一棟建築中。 4月に土台を造り.2ケ月強でログハウス風の家屋が完成.電線を入れるだけになっていた。 旧家は30年前に築いたカナダ産木材を利用したログハウス。テラスは後から増築.陽の通さぬ木漏れの深い森の中にある。 ・・上信越地蔵峠Top 7月21日.上信国境・・北軽から地蔵峠にでて.高峰高原周辺の池ノ平高原を散策 小鳥が多くさえずる森.朝方サンダルを引っ掛け照月湖まで散策する。陽を通さぬ深い森と開拓村の境に別荘はあった。 近年照月湖は個人所有に代わり公から外され.街道の道路道標からも姿を消していた。 上信湯ノ丸高原 菅平.根子岳しか知らなかった私.それも昔の話。この辺は全く初めて入る山域で.嬬恋から上信県境の吾妻側の懐へ。 別荘より鳥居峠への道を走ると右手に大きな山容を誇る四阿山が望まれた。今朝は霞み包まれるも時折切れだしていた。 壮大に広がる高原のキャベツ畑が嬬恋村を潤している。キャベツ畑の丘を幾つも越え.鹿沢温泉から湯ノ丸山地蔵峠へ車を走らせた。 池ノ平歩道 7月21日10:34薄曇 北軽井沢S邸9:30=嬬恋高原=10:05地蔵峠⇔池ノ平.三方ヶ峰分岐.一10:50苔森:11:00一11:50池ノ平雲上の丘広場12:00 一12:30大13:00一13:36地蔵峠=14:15北軽井沢S邸15:00.(R146=大笹北軽井沢線=浅間広域農道=東御嬬恋線=地蔵峠). 広く開けた地蔵峠に駐車場も広く.強い陽射しが照り付け盛夏の陽気を取り戻している。ただ峰々の霞みはまだ強い。 地蔵峠よりスキー場のリストが両主尾根に幾つも延び.ゲレンデを持つ幅広い尾根が足元一杯に広がりを見せている。 池ノ平へは地蔵峠に車を停め.湯ノ丸スキー場の中央を抜ける池ノ平歩道を歩む。湯ノ丸・高峰林道沿いに登る小径. 湯ノ丸スキー場のリフトの間を抜け.木洩れ日の落葉松林に熊笹のなだらかな斜面。丘の上に丘が続いている。 地蔵峠へは千曲バスで(しなの鉄道佐久平=湯の丸)1時間. 湯ノ丸・高峰林道(地蔵峠=車坂峠間)の開通期間は4/下旬〜11/20日.7〜17時。池ノ平P有料 夏期(7/上旬〜8/土日祭)マイカー規制。シャトルバス運行.協力金大人¥50含み片道¥600. 烏帽子岳.湯ノ丸山と湧き上がる入道雲 湯ノ丸スキー場.第2リフト上から.10:52地蔵峠を隔てた向かいに第1リフトがあり.左奥の尖がりが烏帽子岳. 地蔵峠から左に2本.右手に1本の長いリフトが延びている。刈り払われたスキー場の南斜面に繋がる長いリフトの上にでる。 尾根上の深いブナ林を抜けるとシャクナゲ等灌木帯の登りに変わった。 第3リフトを過ぎたブナ林へ K氏の言葉「天然のクーラー」が体を潤す.11:03広い尾根上の丘を抜ける小径は枯葉の堆肥した土壌に.苔が被うブナの森に覆われた。空かさず1本取った。 頭上を仰ぐとブナの高さが深い。樹冠を覆う枝々の葉が陽を閉ざし.地上までの広い空間に日陰を造っている。 その樹間を抜ける熱風がそよ風に変わり頬を撫ぜている。周りを柔らかく包む程好い湿気が心地よく.冷蔵庫の中にいるよう心地よい。静かだった。 茹だる直射を浴びてきただけに.ここは誰もが天国と思う場所だった。動くのが嫌になる。 林道を左に見下ろす池の平歩道 陽が入り込むコメツガの樹林の中を進む.10:57西籠ノ登山 ハクサンフウロのお花畑から.11:39穏やかな尾根にコメツガ林の樹間が広がると陽が射し込み.周りは明るさが増してきる。所々で高木が日陰を造っていた。 平坦になりつつある尾根筋はコメツガの巨木林茂る森になり.ここは又ブナと林層に変え.明るく程よく木蔭を作る森に変えている。 更に低い灌木が多く占め蒼空が望めだすと,開花した白色やピンクのハクサンシャクナゲが見られるようなる。そこを下れば池ノ平駐車場にでた。 左に折れれば籠ノ登山(はこのとやま).右折すれれば晴見岳. 籠ノ登山や池ノ平への登山口になっている。 兎平.見晴遊歩道は綺麗に整備され.確りした尾根筋の登山道になっている。 直ぐ灌木帯にでて森林限界を越えるとガスも切れ.籠ノ登山の2つのコブが望まれた。 車で乗りつけ.弁当を持ち.ピクニックするにはよい場所だった。子供達の喜ぶ顔が浮かぶ。 ただ池ノ平まで車で入れるが.ここは地蔵峠から歩くのもよく.それに尽きる。地元の人しか判らぬ隠れた小径を知るかも。 程好い登りと高原を横切る風が清々しい。何度か通わなければ車で通り過ぎてしまう場所のようだった。 見下ろす池ノ平湿原.11:542013.02.第2リフトからスノーシュを履き湯ノ丸高峰林道経由で雪原化した左下に下りている。 池ノ平の湿原を覗き見る。緑濃い森に囲まれ湿原の存在を大きく示している。 先輩に云わせると湿原の退化は甚だしく.20年前の面影は全く失われてしまったそうだ。 草原化した湿原は右下に鏡池が隠れるよう残されている。三方歩道の半分.左の白い径はチップ舗装にされてしまっていた。 薄日が照り付け汗が滴りだすと清水に浸けた冷用タオルが首を冷やし心地よい。・・スノーシュを履き池ノ平湿原へ,2013.02 烏帽岳.湯ノ丸山と角間山.鍋蓋山 ![]() 2012.02.輪カンジキで湯ノ丸山.スノーシュで烏帽子岳に登る 湯ノ丸高原.雲上ノ丘より.12:01 雲が上昇気流に乗り蒼空が覗きだす。層雲が大きく割れ積雲が高々と膨らみ.大きく湧き上がれば入道雲が立つ。 陽射しは更に強さを増しだした。烏帽子岳から湯ノ丸山.四阿山の峰々が確り姿を現し始めている。 コマクサ 池ノ平.見晴のコマクサ保護区域は厳重な囲いで被われていた。壁のような高い柵に鉄条網がある。 鉄条網にここまでしなくてもよいと思うも.良人ばかりではなさそうだ。便利に車で直ぐ入れるのが悪いのか? ロ-プでは越えてしまうハイカーが多く.更なる保護が必要とか。 次第に頑丈に作られ.動物園の檻に囲まれているようだった。便がよくなることはここまでしなければならないのだろうか? 情けない風景になっている。可細いコマクサと獣が飼えるような頑丈な檻.このアンバランスは可笑しい。 観光業者は怒るだろうがコマクサが見えぬ方向に変え.入域禁止にした方がよい。獣棚より.人を意識して頑固な檻にする方が可笑しい。 三方見晴歩道 彼女の握った美味い白結飯.12:52三方から見晴歩道を下る。見晴岳から離れると人気も薄れ.静かな森の中に小径が綴られていた。 登りコースと比べると急坂だが.樹葉のさざ波や香りと擦れ違う人が少ないのがよい。それではと道を塞ぎ昼食を摂る。 質素だが白米だけの結飯.それが美味い。昨日から彼女には食事を含め随分世話になっている。 手際よい料理に味付けも抜群だった。ただ量が少々多いのが私には難点かも。 粗食の私には? 勧められても程々しか食べられなかった。持参した漬物と肉煮.今日も贅沢なご馳走になった。 落葉松林と熊笹の下り径.13:17下りは歩き難き径を下る。石ゴロ混ざりの下り径。登りに分けた池ノ平への分岐にでて.再び落葉松林を縫う小径にでて.周回してきたことになる。 北面に広がる緩やかな傾斜の森.見渡す限り落葉松林に下草が綺麗に生い茂っている。 千曲川.吾妻川と共に下界に広がる裾野を見定められるチャンスはなかった。ただ程好い汗が私の体を和ませている。 北軽井沢への帰路.大笹北軽井沢線に入り.真向かいに山波が望められた。その右端に昨日登っ浅間隠山を霞み見る。 地形図「嬬恋田代」「車坂峠」. 嬬恋のキャベツ畑と100円キャベツ.13:5414:15北軽井S邸15:00=16:30八木原K邸=渋川IC=鶴ヶ島IC=17:45東武東上線若葉.解散:57=池袋.車400k. 山荘でシャワーを浴び.下りは昨日買出しにでた長野原経由で榛名山の北麓を巻き.車2台に分乗.吾妻川を下る。 黒岩邸に寄り渋川ICから鶴ヶ島ICに戻る。・・北軽井沢=軽井沢間.草軽バス40分.北軽井沢=JR長野原草津口30分.休日運休 八ッ場ダム(やんば) 途中で吾妻川(あがつま)中流部.川原湯地先では八ッ場ダムの建設が進められていた。 2015年度(平成27年)に完成予定の多目的ダム. 完成すれば神奈川県を除く関東1都5県の水がめとして9番目のダムになる。 重力式コンクリートダム.堤高131.0m.まだダム本体の工事までは進んでいなかった。 私にとって八ッ場ダムは聞き忘れた響きを持っていた。昔何度となく建設を聞き.強酸性の河川で中止されたダムと思っていた。 白砂川における六合ダムと温川における品木ダムの完成。草津中和工場の設置は猛烈な反対運動を収束させたことになる。 そして利根川の八木沢ダム.神流川の下久保ダムに次ぎ.規模では1億トン級のダムとして事業が発表されていた。 2001年06月には水没する住民と国土交通省の間で補償基準が妥結された。 国道145号.長野街道から頭上高くアゴをだす鉄塔が峡谷を跨ぎ何本も望まれた。彼女から説明を受ける。 ダム建設に伴って全水没地区である川原湯・川原畑と代替地や離郷. 勿論美しい吾妻川渓谷やこの国道145号も水没する。 彼女の指差す先の高台にjr吾妻線の付け替え工事.建設が進められていたる。 ダムの湖岸には片側に地域高規格道路として新しい八ッ場バイパスが.又対岸には県道が建設されつつある。 まだ反対も多いと聞く。2年後はこの峡谷も4月に両神山中津川渓谷で見た秩父滝川ダムと同じ運命で沈むことになろう。 2009年08月の総選挙で民主党はマニフェストに八ッ場ダム中止を盛り込み.政権交代し与党になるとダムの建設中止を決定した。 ダム建設に関わっている公益法人7つと民間企業13. また事業の基本方針を決定した検討委員会も全てに天下りが関与し, 箱もの行政のあり方.無駄な公共事業として批判されている。如何転ぶにしろ長い闘争が続いた後のダム。後の処置が大変となる。 2011年.与党民主党は何故か再工事を決定。まだダム本体の工事も始まっていず.上流では品木ダムの老齢化.強酸性の漏水. 大規模土石流の安易な計算見積もりが表面化した。難問が続出している。 2014年10月01日.jr東日本の吾妻線,岩島駅から長野原草津駅までの区間は八ッ場ダムの本体工事開始に伴い.新線区間に変更する。 尚全線が東京近郊区間に含まれ.ICカードの使用が延び可能な範囲になる。 7.20.二度上峠から上州浅間隠山 7.21.地蔵峠から池ノ平 |