過っての綴られたヤビツ峠と丹沢山塊Top
       昨年秋の「丹沢主稜・主脈・甲相尾根」を縦走。その続きとして「東丹沢の東端の東の山域」からまず入山する。

      東丹沢山塊.東端の山々・・相州大山.三峰山.鍋嵐周辺
     不動ノ峰付近より
      不動ノ峰付近より西面の仏果山と重なる鍋嵐.大山三峰.右よりが大山. 下った窪みがヤビツ峠・・2008.10.31/7:17

         大山・鍋嵐周辺
       2009年02月. 大山北尾根からネクタイ尾根―唐沢峠から三峰山不動沢左岸尾根・・煤ヶ谷bs
       2009年02月. 大山北尾根13号鉄塔尾根と大ノ沢右岸尾根.及び三峰本峰竹ノ沢右岸尾根と七沢山郡界派生尾根・・七沢温泉入口
       2009年03月. 士山峠から宮ケ瀬尾根.熊ノ爪周辺を探索―物見峠堤川を取り囲む尾根を周回・・辺室山越える
       2009年03月. 鍋嵐北尾根を経て.物見沢右岸尾根下降―三峰北峰小唐沢川右岸尾根から鳥屋待沢左岸尾根・・煤ヶ谷bs
       2010年03月. 滝ノ沢左岸尾根から鍋嵐一宮沢左岸尾根を下降―唐沢林道から物見峠越え・・煤ヶ谷bs
         ・・東丹沢の東端地域から入山.その後は東丹沢から丹沢.西丹沢へと山中湖湖畔まで.長い山の旅路が始まる。

       本格的な丹沢山域の入山に合わせ.先ず東丹沢の東端を集中的に歩む。・・相州大山と大山三峰

   第一弾は懐かしく子供達と歩んだヤビツ峠から大山北尾根へ
     蓑毛から大山.石尊沢左岸尾根を下り唐沢峠―大山三峰山を経て不動沢左岸尾根から谷太郎林道.煤ヶ谷. 2009年02月02日.単独

      イタツミ尾根から大山北尾根の石尊沢左岸尾根(ネクタイ尾根)・・懐かしいヤビツ峠・相模灘
      唐沢峠から三峰山と不動沢左岸尾根・・山ビル

   初めて表丹沢に入ったのは45年前の高校時代.30年前には子供達と葛葉川本谷遡行しヤビツ峠にでている。
     それ以降は昨年の山行まで大分途切れた。改めて丹沢の山並みを知ろうと鍋割山稜から始まり.最後は西丹沢の西端.三国山稜まで歩む積りでいる。

   今回は昔懐かしいヤビツ峠を訪れ.東丹沢の東に聳える大山・三峰山を尋ねたいと思っている。今日は私の誕生日.再び山に登り始めて4年目になる。
     再び入山できたことに感謝し.昔何度か訪れたことのあるヤビツ峠から東丹沢の東端の低山を歩む。そこはまだ知らぬ好奇心をそそる山域でもだった。

   2つ玉低気圧が通過するも丹沢では降雪にならなかった。2日続きの降雨も途切れ.昨夜は蒼空が仰がれた。
     ただ予報は外れ.山は厚い層雲に覆われ崩れ気味.霜柱を踏み続けた山になる。黄昏時.下山してから煤ヶ谷(すずかや)で漸く陽が射し出した。

      大山と三峰山・鍋嵐
   相州大山.三峰.鍋嵐の山々は東丹沢のその又東端の低山で.宮ケ瀬湖の湖畔に入り込む中津川藤熊川の源流に構えているのがヤビツ峠。
     南北に分水嶺を成す南側は表丹沢側の水無川金目川の流域で.まずは懐かしいヤビツ峠から入山することを第一の目的とした。
     峠越えの旧道.蓑毛(みのげ)から入山し.大山.三峰の新たな山域を目指す。

   大山はヤビツ峠の東に聳え.奥多摩からはピラミット形の小さな山容をなし.雨降山(あぶり)とも呼ばれ.古くから庶民の信仰を集めている。
     江戸時代には大山講で栄えていた。又奇峰絡む三峰山は大山の北方に位置し.丹沢三ッ峰と区別する為大山三峰と呼ばれている。
     古くは八菅神社の修行場であったと云われ.鎖やロープが多く.標高の低いわりに剣山の深みを味わえる山だった。

   更に北側の鍋嵐は藪山で.熊が支配する領域になる。大山を源流とする唐沢川がこれらの山々を回り込ぬよう宮ケ瀬湖へ流れ込んでいる。
     この小さな山地に初めてヤビツ峠から訪れる。

   切っ掛けは昨年11月に表丹沢から甲相尾根へ丹沢山塊を横断している。その折.PCのお世話になってからになる。
     丹沢主脈.主稜.甲相尾根を調べているうち.大森誠氏のHP「誰も知らぬ丹沢」から大山北尾根の支尾根群に興味がそそわれ知るようになる。

   大山北尾根を南下して戻り5号鉄塔尾根を登り.唐沢峠を経て七滝沢温泉へ下る計画を立てている。ただ後に北尾根末端から作業用モノレールが.
     設置されていることを知る。まだ人工的なものに対する好奇心は弱く.後半は変更し唐沢峠から下山せず,大山三峰を越えることにした。

      蓑毛からヤビツ峠―大山へ
   2月02日(月)曇
     jr御徒町4:44=神田=5:18小田急新宿¥630,急:31=6:37秦野渋沢.神奈川中央交通バス:45=7:10蓑毛bs
     一8:15ヤビツ峠一9:30大山北尾根:55

   新宿駅を発った小田急線はまだ闇に中.厚木付近で東空が白みを帯び.夜明けの兆しを示しだしていた。
     どんよりした空模様が相模川の鉄橋から広く開かれ望まれる。厚い層雲に覆われた雲の割れ目に淡い陽光が漏れ始めていた。

   それは伊勢原.鶴巻温泉.秦野へと丹沢山地に近ずくにつれ刻一刻と夜明けの兆しは明るさを増させ.雲天の中に日の出を迎えている。
     秦野駅に下車したのは子供達と来て以来.何十年振りだろう。外見は余り変わっていないよう思われた。

   路線バスに乗車.秦野駅前の短い大通りを抜けると水無川にぶち当たる。流れる中央の両岸はヨシと堰で上手く構成され.
     街の中を流れる河川としては見栄えのよい渓相に造られている。ヘチからヨシが茂り.流心はうねり人工の手を上手く取り入れていた。
     暖かくなれば緑多い渓流美を目でも楽しむことができるだろう。

   7.8年前まではこの下流葛葉川と合流する金目川で.釣会主催のヤマベ競技を毎年のように催され参加している。
     この川は漁業権がなく相模川の大河の荒れに任せる河川で.釣会の競技では上流側で竿を出さなかったが試釣でこの付近まで来ていた。

   路線バスには老人と私と2人だけが乗車し.路線バスは.水無川を渡り東丹沢の里へと回り込む。
     本来なら土.日曜日は朝早くからヤビツ峠へ乗合バスがでているが.今回は多くの登山者を避け.蓑毛から旧道を歩こうと思っている。

   バス路線はまだ山陰に隠れる道中だが見上げる尾根の遠方は朝焼けする赤い朝陽に照らされていた。
     ただ好天を思わす陽射しも.その奥の山々は厚い雲に隠れ望めないでいた。

   バス停5つ目を過ぎると私1人になる。後部座席に陣取り.変わりゆく車窓の景色を眺め.今日歩む道標のない径に心を弾ましていた。
     乗合バスは金目川本流左岸沿いへとエンジンを轟かせ春岳沢の懐へと遡る。

    春岳沢と浅間山
   蓑毛バス停より柏原新道に入る.7:22

   車窓から大山前衛の浅間山が見上げられ.その左に見える大山南尾根を詰めれば大山表参道に合わさり大山南山稜にでる。
     左奥が大山イタツミ尾根. 870m圏から延びる尾根は春岳沢中流径路で綴られていた。

   バス終点蓑毛から春岳沢左岸沿いの柏原林道を歩みだすと直ぐ舗装された林道は狭まり.右手に蓑毛越に至る大山裏参道を分けた。
     分岐には石灯篭が立ち.「20年10月.熊が出没! 注意!」の張り紙がぶっきら棒に立木に掲げられていた。
     裏参道に入れば25丁目で表参道と合わさり.右下に分ける16丁目で大山ケーブルカーと結ばれ.そこには阿夫利神社下社が建立されていている。

   新道は落葉舞う杉並木. 地形図「大山」に記されている黒1本線の道を抜けると水道局集水所にでていた。
     全国名水百選と名乗る湧水があり.この辺は広く秦野盆地湧水群清水地に指定され.春岳川を渡ると林道は山道と狭くなりヤビツ峠へ。
     小尾根が幾つも絡むようなり.高度を上げながら南面の山腹を巻き込めば以外と早くヤビツ峠にでた。

    懐かしいヤビツ峠
   少々高台のヤビツ山荘より.8:26
    昔の原型を留めていた広場のような峠路

      ヤビツ山荘
   ヤビツ峠から少し高みのヤビツ山荘横を通る。2人の小屋番が屋根に乗り.伸び被さる立木の枝木を鋸で落としていた。
     ヤビツ山荘は昔秦野市観光協会が所有し.チョコレート色に塗られた完全な丸太小屋。
     少し稜線上にあるため好天ならば峠より少し高みにあり.相模灘一帯が一望できる所にある。

   昭和57年9月の台風で被害を受け老朽化も進み.廃止が決定し原小屋.葛葉山荘と共に残念ながら姿を消すことになった。
     その後この山荘も平成22年12月に解体工事が行われている。

      ヤビツ峠
   昭和の初めに丹沢林道の開通と共に現ヤビツ峠に移り.路線バスが運行するようなる。峠路は峠越えをして藤熊川の札掛の部落へ抜けている。
     金目川側は上流側の蓑毛橋を右岸に渡り.西方へ山の中腹を横切り秦野にでている。 現在の峠道の秦野清川線を合わせた県道70号線。
     若い時はデトロ調の乗合バスに乗り.ルートは同じでも凸凹の丹沢林道で新ヤビツ峠にでている。今朝は蓑毛から旧道を歩み入山した。

   泊まったことはなかったが食料持参が原則の時代で素泊まり¥360。昔も山荘の直ぐ下のヤビツ峠まで.登山ブームに乗り.秦野駅からは
     乗合バスが登っている。秦野へは50分. 50年前に入山した時の料金は運賃¥80の登山バスだった。

   ここからヤビツ峠を見下ろすと昔と同じような輪郭に思える広場があり.当時は乗合バスがUターンしていた広い裸土の空地の峠を想いだす。
     左手にある小陣まりと観光組合の簡易建物の売店には過って駄菓子屋さんを大きくしたような売店があり.同じ場所に建てられていた。

   向かい側には広い駐車場と立派な公衆トイレ・屋根付きの半円形にベンチが今は新たに設けられていた。
     20年ほど前は道路と言うか裸土の広場で家屋は売店のみ.売店の向かいには大きな立木の下にバス停があった。

   小学校下級生だった末っ子が葛葉川遡行後.ここでバスが来るまで何度も売店とその間の裸土を通っていた。
     バス待ちに飽きに飽きた子供が時間を持て余し,小銭を渡しては売店に通っていたことを想いだす。
     建物は全て新たに建て直されたが峠の外形は昔と変わらず.自然の間々の姿は壊れされていなかった。

   旧ヤビツ峠は表尾根の1つコブを越した岳ノ台899mの脇にあり,東南約500m離れた所にヤビツ峠がある。
     武田信玄と小田原の北条氏康との激戦の場でもあり,その後餓える戦士の伝えから「餓鬼道」とも呼ばれ
     又ヤビツ峠は「矢櫃」と書き,矢の櫃が後に発見されたことから名付けられていた。

   旧峠は札掛だけでなく相州から甲州へ抜ける近道であったと云われている。金目川左岸丘陵にある蓑毛の集落の中を綴るのが旧道で
     当時のルートは蓑毛の集落を綴り.大日堂西側から山裾に取付き.旧ヤビツ峠にでている。今は東電の新多摩線8号鉄塔が建てられている。

    イタツミ尾根の抉れた登山道
   霜柱の山道が続く.9:24

   春岳山での展望を求め,休むことなく大山イタツミ尾根を登りだす。
     幅広くなだらかな尾根.枝尾根よりやや明るさを増し確りした尾根道を踏んでいる。

   暫くは右側に並行して延びる鹿棚を見つつ歩む。大分古くくたびれた鹿棚で.錆は酷く網の中間は鉄条網が添えられていた。
     鉄条網は古くても見ていてよいものではなかった。ジッと見詰めていると痛々しく不快になってくる。

    表尾根ニノ塔・三ノ塔
   ヤビツ峠と新多摩線11号〜12号鉄塔.9:29
    ニノ塔・三ノ塔の間に流れるのが葛葉川

    銅製の大鳥居
   表参道27丁目.右脇に「御中道」の石柱ある.9:34

      南山稜と合流
   やや両側と窪んだ霜柱の山道が続く。枝木の茂みも上を被い視界は悪い。とぼとぼ歩めば25丁目.阿天利神社下社からの表参道と合流。
     アッという間に27丁目.銅製の大鳥居を潜っている。脇に「御中道」の石柱が立ち鳥居を挟む両山腹に頂を回り込む踏み跡が綴られていた。
     頂南東側から東側へ.見晴台に向かい雷ノ峰尾根に入る手前で南側を巻く踏み跡があり.金毘羅尾根の取付きにでて鳥居に戻っている。

   鳥居からは左側になる金毘羅尾根(諸戸尾根)が延び.ヤビツ峠北側の藤熊川沿いにあるカンスコロバシ沢出合に没している。
     檜沢を下り返せば12号鉄塔にでて.端には諸戸神社が祀られ道標のない山道が綴られていた。

   鳥居を過ぎれば28丁目.相州大山に立つ。大山は丹沢山塊の東端に位置する霊峰。
     別名「雨乞山」と呼ばれ.均等のとれたピラミダルな山容は東京圏からもよく目立ち,眺められる信仰の山。
     今から2200年前の創建と伝えられ.修行僧などにより開かれた。それ故.大山講と共に丹沢山域は仏教に馴染む山名が多い。

   山頂の28丁目には大山阿天利神社上社.奥ノ院が祀られている。ただ明治に入り神仏分離により.阿天利神社の上社は山頂に残され.
     大山寺は阿天利神社下社麓に移されている。又時期がらか? 頂には見晴台に売店・休憩社・トイレとあるも.全てシャッターで閉されていた。

   昨年3月に先輩池田氏に同行し下見山行として表参道から入山し梅ノ木尾根を下る手筈になっていた。ただ大雨で中止した経緯がある。
     初めて大山に立つ。以前は高尾山付近から丹沢山塊の一番左端に聳える小さいながら均等の取れた円錐形の山として望んでいた。
     頂でお茶を飲もうとマイカーを飛ばし.妻と並んで眺めていたことを想いだしていた。

    大山
   阿天利神社奥院.9:40

   大山山頂の三等三角点は再設されている。以前の山頂近くから4.5m東に移設。標高は1247.98m.基準点は「大山」.

      大山道
   大山道は大山山頂に至る多くある大山道の総称で.各地から大山に祀られた阿不利神社を目指していた講道をいう。
     律令時代より東海道の本道にあたり.「足柄道」とも呼ばれていた。

   鎌倉時代に箱根峠越えの「湯坂道」(鎌倉古道.江戸時代以降は東海道の本道)が開かれるまで官道として機能している。
     江戸中期以降になると大山講が盛んになり.またの名を雨降山(あふりやま)とも呼ばれ.大山講が急増したと言われた。

   主な大山道として江戸と矢倉沢(南足柄市)との間を結んでいた「矢倉沢往還」がある。途中に大山があり.「大山路」.「青山通り大山道」と呼ばれ,
     神奈川県内の区間は大正時代になるとに県道1号線に指定され.後に国道246号線となっている。

   大山講は主に青山道.戸田道.田村道(藤沢宿四ッ谷から大山に向かう道,又江の島に通じ.又の名を「御花講道」がる。
     青山道.の起点は赤坂御門から牛鳴坂で旧大山街道.(東京青山通りのルーツ)
     当時は宿が整備され.赤坂見附をでて荏田宿か下鶴宿で一泊して.大山に向かい宿坊で一泊していた。

   帰りに田村道を通り.江の島に寄る。そして藤沢宿で一泊して遊んで帰ったと云われている。江の島は富士講を含め一大歓楽地だったらしい。
     その歓楽地を頂から見下ろしている。幼い頃数年の間.石越に住み七里浜・東浜でよく遊んでいた場所でもある。

    大山山頂からの展望
   南東に広がる相模湾.9:48
    右手二宮の手前が伊勢原市.秦野市になり又大歓楽街だった江ノ島が左端に海岸から突き出して眺められ.遥か先には微かに房総半島を望む。

   鳥居を潜ると大山山頂の一角にたどり着く。左に売店があるが閉ざされていた。正面に立つブナは二代目の神木。
     眼下には相模湾に至るまでの広々した海岸線が広がりを見せている。

      海原の眺望
   逆光の相模平野. 秦野に流れる相模川が一線を引き見下ろされ.その沖彼方には晴れていれば大島が望まれた。
     眺望のよい筈の大山の頂も霞む雲で閉ざされているが陽光が大きな雲群を切り.時折射し込み海原だけを煌めかせ反射させている。
     すると相模平野の海岸線が浮き出され.小田原から二宮・大磯・平塚・茅ヶ崎・西浜へと海岸線が続き.左端の彼方には微かに江ノ島が見る。

   曇天に煌く海原, 海ではないようで湖でもない。この下は相模トラフと呼ばれ.昔から幾度となく大地震を起した震源地が眠っている。
     水深は1600mもある深海は大陸棚の少ない海岸からは小船で1時間も掛からずして,水深1000m以上の深海に至る海溝を築いている。

   通年深海魚が釣れる海域で上層ではワラサが育ちカツオも沿岸に回り込む。今はヤリイカのシーズンを終えた時期になろうか。
     三浦半島は予想できるが場所は判らなかった。相模湾に陰る長い雲が帯のよう望まれ.伊豆半島との区別ができずにいる。

    北東面に横切る唐沢峠越えの大山三峰と背は相州アルプス
   北東面.9:53

      大山
   東側に回り込み展望広場で大休止する。結局ここまで蓑毛より休まず歩いてきたことになる。
     家をでる時シーチュウを軽く食べ.バスで結飯を1個.それでも空腹感があり頂ではソーセイジ半分に栗プリン.ビスを摂っている。
     アンパンはまだ道中が長く念のため食べずに残した。何時もより多く食べているがそれでも満足感は薄い。久し振り飢える私.まだ9時半である。

     新たに歩みだした山々
   ここから反対側の下る北尾根の山並みは望められぬが真向かいに群がる山々は大山三峰に連なる境界尾根。
     左奥が物見峠を下り返しての辺室山. 中央の北三峰.本峰と直ぐ横の七沢山(杉ノ沢の頭,西峰)が聳えている。
     手前に下れば唐沢の頭.底の窪みが唐沢峠になる。これから後半に出向く峰々が見下ろされていた。

   七沢山からは右へ長く境界尾根が谷太郎川左岸沿いへ延び.尾根陰で見えぬ裏側には宝尾根がある。
     唐沢峠の尾根は左右に唐沢と谷太郎川源流とに挟まれられ.その右の端欠けている山は鐘ヶ嶽とその北尾根。

   これから大山の北尾根経由で唐沢川源流を渡り.唐沢峠から大山三峰の裏尾根を歩む積りでいる。
     翌17日には北尾根経由で左の尾根.杉ノ沢右岸尾根を直登し.七沢山から2本目の境界派生尾根を下り谷太郎川の上流へ下りている。

   奥側の山波は相州アルプスと呼ばれれていた。県道伊勢原津久井線.小鮎川を隔てて高取山.仏果山へと続いている。
     大きく窪んだ所には半原越がある。その右は境界尾根に平行して.経ヶ岳に華厳山。高取山の大きな採石場も見られた。

   背の裾野からは霞む相模原市.多摩市の広大な街並みが開かれている。
     昨日の突風の中.強行して入山していれば関東平野の全てが見渡された筈だった。

    東丹沢の核心地域
   御中道.アンテナのある広場より北西側

   大山の北尾根より鉄塔付近は茂みが強く.眺望は左側の丹沢山寄りに限られていた。
     中津川源流藤熊川を隔て手前から14号鉄塔支尾根.ヨモギ尾根.長尾尾根.天王寺尾根に丹波三峰。
     額外の三ノ塔の左上には富嶽とその裾野が望める筈だった。塔ヶ岳は如何にか判る程度。

   丹沢三峰との間の主稜は雲に隠れ朝から望むことはできずにいる。
     大山の裾.藤熊川側沿いに14号鉄塔尾根とその左枝尾根が降りる先に13号鉄塔が望まれていた。

   次回の山行はこの13号鉄塔尾根から北尾根を詰めている。その時の大山,NHK中継局広場からの撮影写真・・2/17日.10:09
     大山からは再び北尾根を下り.大沢右岸尾根から大山三峰に登り返している。

    大山北尾根全景
  

    大山北尾根上部・・大山・西沢ノ頭・ミズヒノ頭・16号鉄塔
   裏側の鍋嵐直下より・・2010,03,13/10:30
    支流の唐沢と藤熊川源流流域. 裏側の鍋嵐の風穴沢右岸尾根から撮影

     大山と北尾根上部が綺麗に望まれている。目立つ鉄塔の裏側が見えぬヤビツ峠。右手に登り三ノ塔ヨモギ尾根.新大日長尾尾根。右端が塔ヶ岳
   唐沢川と藤熊川を隔てる大山北尾根にミズヒノ頭と新多摩線16号鉄塔ピークが建ち望まれる。写真の枠外下.一ノ沢峠を過ぎるとで送電線が横切っている。
   大山山頂の左手の谷側.唐沢に向い北尾根の支尾根を幾つも落としている。その2番目の支尾根が石尊沢左岸尾根。

     大山北尾根
       石尊沢左岸尾根(ネクタイ尾根)を下り唐沢峠から大山三峰へ
    9:30大山北尾根:55一10:25石尊沢左岸尾根一11:00南大山沢.石尊沢出合一11:10唐沢峠.大:45.

       10:14
      頂の脚立と北尾根のはしり        脚立の足元より

   大山山頂から唐沢川と藤熊川の間に延びる稜線を大山北尾根と呼んでいる。地図が読めることが必要な丹沢のバリエーション入門コース。
     NHKの無線中継局脇を抜け.鹿除けに囲まれた獣棚に備えられたアルミ脚立を登り返すと大山北尾根に入る。単独者が下から登ってきた。
     私に何処へ行くか問われ.唐沢峠へと告げると道が間違っていると言い出した。大山に戻るよう勧められる。

   改めて「支尾根を唐沢川へ下り.峠に立つ!」と伝えると生々しく驚く顔が覗まれた。彼も地図上では難路を歩んでいた。
     もう少し地形の読解力さえあれば彼も下り.地図を読む楽しさを覚えるだろう。その違いは自分で決心できるかに掛かっている。

     石尊沢左岸尾根                     ネクタイ尾根取付き
    
    14号鉄塔尾根ツメより北尾根南下する林業作業用モノレール軌道.10:22  右は通称「ネクタイ尾根」とバックの間が大山三峰.10:38

   窪ん経路を下りやや穏やかになると左から14号鉄塔尾根が合さる。 
     そしてモノレール軌道沿いに登り切るとカーブして尾根筋の左沿いを下って行く。
     5分も下ると水源標識「115」が足元に認められ.「114.113」と続く。そこはモノレール軌道の引き込み線にもなっていた。

   「112」を過ぎても支尾根の下りを示す目印は見当たらなかった。大山北尾根には道標はない。
     ただ不思議なことに「レールについての注意!」や神奈川県水源地協定林の「山林管理標.名諸戸氏」と立派な標識が立てられている。
     これは管理者と地権者だけが公に知らしる標識のようだが立派な目印になっている。

   探し回ること7.8分 石尊沢左岸尾根の合流点で目印の白いテープを見る。白く細いビニール紐はモノレール用に多く使われている。
     その近くの立木に地味なネクタイが幹に1本吊るされていた。何故か判らぬがそれ故通称「ネクタイ尾根」と呼ばれている。

    ネクタイ尾根上部
   顧みる北尾根,10:49

      石尊沢左岸尾根
   急な斜面を下ると尾根らしくなり.緩やかになると植生の囲い棚を迎えている。2つに派出するコブは右側の尾根を下ればよい。
     よく見ると時折霜柱を踏み.地表の崩れた黒くぬかるんだ踏み跡を見る。

   尾根の踏み跡は傾斜伝いに荒れた地表や起伏もなく.灌木の密生した藪も少ない歩き易い尾根沿いになっている。又石片がないのも心地よかった。
     道標はないが注意深く歩めば問題はなく.外れても高が知れている。ただ尾根上を忠実に右尾根に下ればよかった。

   石尊沢の沢音を聞くようなると中端下より.再び鹿棚伝いになり作業道にでる。
     自然と石尊沢左岸沿いのガレ場から南大岳沢出合の少し下にでられた。予想より楽で歩き易い尾根。ツメだけは急だがなだらかな尾根になる。

   難ルートを予想していただけに.散策的な心地よさを感じさせられた。特に藪が根を張るような絡む尾根ではなかった。
     暖かくなり青葉が茂れば地肌は柔らかく愉しい下り尾根になる。そしてそう遠からずしてガイド地図には難路として記されるだろう。

    大ノ沢右岸尾根末端
   河原から派出した右尾根末端.11:11

   唐沢川源流部堰提上の広い河原に立つ。支流には流れがあるもゴーロ状で伏流する唐沢川に流心は見られなかった。
     対岸の尾根取付きにはケルンと枝に缶カラがぶる下がっている。そこが唐沢峠への登り口。

   10分程の登りだが落葉が足首まで埋まりルートは判らず。見上げる先に作業道の縁が見え.強引に30m程突進した。
     立入禁止のロープを潜れば唐沢峠.東屋にでる。

    大山北尾根と三峰山周辺
  
谷太郎川左岸沿いの尾根群


七沢山南面郡境線横断ルート












北面から見た北尾根全景写真

丹沢山塊概念図 鍋嵐周辺のルート


      送電線新多摩線
   新多摩線は新秦野線(新富士変電所〜新秦野変電所.57基.)から繋がる超高圧の送電線
     500KV×2.鉄塔91基を持ち.新秦野変電所と新多摩変電所とが結ばれている。

   秦野駅近くの新秦野変電所からヤビツ峠を越え大山北尾根の西側の各支尾根を支えに唐沢沿いに北上し宮ヶ瀬湖.津久井湖を跨ぐ。
     更に景信山東肩から新多摩変電所に抜ける総延長39.9kmの送電線

   今回初めて大山に入山した。その流れから宮ヶ瀬湖に至るまで周辺の山々を2ヶ月間掛け4度歩むことになる。
     そして送電線との係り合いも深く持つようになった。

    16号鉄塔の尾根は北尾根913mPから地獄谷出合間の破線道
    14号鉄塔尾根は初め北尾根を下って登り返し.石尊沢左岸尾根を下る予定でいた。
    13月鉄塔尾根は今年の2/17日に入山した破線ルート

       13号・14号鉄塔
    12〜15号鉄塔間は国土地理院地形図によると内左の送電線黒線で記載されているが.本来は右の破線上を敷線されていると思われる。
    13号鉄塔は実際13号鉄塔尾根を登ってみると北側に派生した尾根に建てられていた。

    800m付近に記載されているが誤記で.100m程上の破線上900m付近に建てられていた。
      破線が送電線の位置。又14号鉄塔も更に尾根上.890m付近あり。12〜13号鉄塔間の尾根は金比羅尾根になる。
    ネクタイ尾根末端
  
石尊沢左岸尾根は赤線,想像より遥かに楽なルート
大ノ沢右岸尾根は当日の予備ルート
  2/17日に北尾根を横断した破線ルート

唐沢峠より南大山沢.石尊沢出合下から.11:55

      唐沢峠
   昨年の早春に奥多摩周辺の笹尾根を何度か歩み.低山の静かな尾根に愉しみを覚え始めていた。
     今回は初めて大山に入り,古い作業道の杣道.経路の道に目覚めだしている。道標のないが手軽な尾根の作業道は幾らでもある。
     大山北尾根.三峰.鍋嵐周辺は変化に富み.その逃げ道には唐沢峠が適していた。

   唐沢峠.12:03

   唐沢峠は唐沢川を遡る古道が越える由緒ある峠だが唐沢川側の道は廃道となっている。ただ唐沢峠北側には大山山頂からの登山道があり
     不動尻へ進み.南の893m峰から東の尾根を通れば大沢分岐.山神隧道を経て.林道から広沢寺温泉(こうたくじ)・七滝温泉にでられる。
     昔から鹿対策としての作業道も多く.唐沢峠は里道に繋ぐ峠でもある。

      コンロ
   東屋を1人で陣取りテーブルにザックを広げる。東空の風は冷たく強かった。
     ジャケットを被り.テーブルを風の陰にしてベンチにコンロを置き点す。補助の布袋を両手で持ち炎のカバーにもした。

   このコンロはラジュウス.ホエーブスの時代が長く過ぎ.個人装備としては4代目になる。
     昔の大きな初代キャンピングコンロは量が大きく使いずらいが懐かしく.昨年奥鬼怒山で使用している。久し振りに使用したコンロ。

   一度使用せねばと嵩張るが大きなコッヘルと共に持参した。ガスのため火力は強かった。
     2.3代目は家の何処かで紛失。コンロとボンベが別れるスタイルのコンロ。家の何処かにある筈だが子供が使用したのか判らない。

   今回最小のプリムスP-153を購入した。自分で持参した初めての使用になる。
     仲間のものは何度も使用しているが自分のコンロに嬉しさは隠せない。何かが違う。火力が強い為だろうか?

   コッヘル替わりにステンレスの大き目の食器2つ.皿1つを用意した。1つの食器で餅とラーメンの具を煮,る
     別の食器には昔の復活版チキンラーメンを入れる。そして沸騰した食器に具入りラーメンを注ぐ。

   皿をフタにして待つこと3分.後は食べるのみ。自賛するしかないが温かく美味い。
     ただ今回は何処でも満腹感が欠けていた。食べても食べても食欲は治まらなかった。残るアンパンは三峰山まで我慢しよう。
     大山で3パーティに出会う。他はヤビツ峠下で1人.北尾根で1人,ここ峠で大休止して1人と擦れ違っている。

    大ノ沢右岸尾根
   唐沢峠東屋より.11:13

      11:10唐沢峠,大:45一12:50三峰山13:10一14:00八丁径路分岐:10一14:50水ノ尻沢右岸林道一15:00谷太郎林道
      一15:10煤ヶ谷bs16:05.

   休んだ筈なのに体が重い。足も腿も息さえも中途半端なだるさを感じだしている。
     何時もなら2時頃から疲れる筈が何処となく重くなる。正月休みで動かず呑み過ぎた為だろうか?

   それに引き換え.暮れの御正体山は一週間前の大菩薩牛寝通りがトレーニングとなり,楽過ぎる山行だった。
     たった1ケ月後の山行が間を空かせバテさせていた。体調は悪くない.食欲もあるが体は惰性生活でか? 弛んでいる。
     一人旅で気が引き締まっていないだけではなさそうだ。焦ることはないが騙し騙し登るしかなかった。
  谷太郎川左岸沿いの尾根群
    鍋嵐周辺のルート


  三峰山南面郡境線の横断ルート 谷太郎川右岸の尾根群の全景
左上.赤線は鍋嵐山塊.堤川周辺を綴る
  堤川左岸尾根.宮ヶ瀬尾根と辺室山



破線.煤ヶ谷への登山道
  滝ノ沢左岸尾根より一宮沢左岸尾根


赤線
,不動沢左岸尾根.八丁経路
  中央が予定していた
惣久径路


破線.鳥屋待沢左岸尾根.惣久経路
  鍋嵐北尾根より物見沢右岸尾根と
  小唐沢川右岸尾根


宝尾根は七沢山(西峰.竹ノ沢の頭)
  予定して迷い.境界派生尾根へ





宝尾根南の境界尾根
  杉ノ沢右岸尾根と七沢山境界派生尾根




      三峰三山
   丹沢には「三峰」が2つある。一つは主峰の丹沢山から宮ケ瀬を結ぶコース上の山々で「丹沢三峰」と呼ばれている。
     一方.大山から唐沢峠を経て北東に延びる稜線上に続くもう1つの小さな三峰は「大山三峰」と呼ばれていた。
     標高は低いが桟橋や鎖場が連続し峻険な山で昔の修行道だった。

   この先ルート上には石祠・石碑を目にするが.これは八菅神社から半原越・土山峠・辺室山・大山三山・唐沢峠を経て大山雨降神社に登拝した。
     過っての「信仰の道」その古道の名残でもある。

   下りは古くからの作業道.惣久径路を下ろうと思っている。
     三峰北峰北側よりの鳥屋持沢と不動沢を挟む尾根, 616m峰と415m峰を越え谷太郎林道へ。
     浅い踏み跡を探り尾根を下る。気が湧き立つが取付きに近ずくも.尾根元の取付きが藪で分かりずらかった。

   大山北尾根から唐沢右岸の主尾根を北上
     唐沢峠で昼食後.尾根沿いに大山三峰山に立つ―不動沢左岸尾根(八丁経路)を経て谷太郎林道から煤ヶ谷

   難路とされている幅広くなった三峰山手前の尾根を抜ける.12:39

      再び破線の径
   唐沢の頭を越えると不動尻への分岐となり.北上する尾根は破線路になっている。確りした幅広い尾根.崩れる足場はない。
     ただ急に広がりだした尾根筋は疎林で見晴らしがよく.却ってコースを間違え易い場所だった。
     私も唐沢川側に寄りすぎ一時踏み跡径を失った。戻りこれが破線路になっていると思った。ただ静かな山旅を味わえる尾根。

   不動尻の分岐.手前の腕木「煤ヶ谷5.0km.物見峠23km」とある

   先の登山道にでて再び不動尻の分岐にでる。一般登山道となったその先は迷うことはないが踏み跡は悪かった。
     三峰山付近は脆い礫石の侵食を受け.ガレた痩せ尾根で頂前後に鎖場(施設管理標あり)がある。思いもせぬ険しい岩場がある。
     やはり昔の修行の場だった。再び起伏の激しい鎖場を下り.笹藪で囲まれた緩やかな歩き易い尾根径を歩む。そして2っ目の道標を見付けている。

   三峰山への登り.13:26

   最初の鎖場.丸太桟脇に花束が一束添えられていた。理由は想像できるも無言で通過している。
     後日.昨年滑落事故があったと知る。改めて鎖.手すり.チェン等が新規に増設設置されていた。険しく息切れした登りの後.三峰山にでている。

   惣久径路がある鳥屋待沢左岸尾根,13:35

      大山三峰で舞う雪粒
   杉ノ沢の頭を越えた頂は視界は樹林で閉ざされていた。山頂標柱より道標の方が大きく数もある山頂だった。
     標柱の傍にあるのが三等三角点の頭.右側が欠けた標石があり.標高は934.6m.基準点は「三峰」.
     細長い小さな頂には野外卓がもあり1本取っている。最後の頂に立つも.とうとう陽射しは差さなかった。

   重い雲が立ち込める雨雲に中にいた。よく見ると小さな白い粒が舞いだし.氷の結晶を見ている。
     今年は全国的に積雪量がまだ少なく.東北地方などでは雪合戦.吹雪ツァー等.雪に関する行事が雪不足で中止になっていた。

   大山周辺は1月中は積雪に恵まれたが全て溶けてしまっている。頂でお会いした人の話によると1/10.三峰山〜大山は積雪あり
     ヤビツ峠からのバスは凍結で不通に.1/14雪残る。1/25,三峰山に積雪あり。

   丁度頂に立った時.昨年一緒に雲取山に登った幼馴染長塩から電話が入る。今雲取山にいるが一昨日に続き.今日も本降りの雨だと。
     積雪は小雲取山から上でしか認められなかとも。ここ三峰山では気持ちだけの雪粒が舞い始めていた。
     昨年は同じ時期.「雪が降ったぞ!」と合言葉のように.鴨沢から雪面を踏み締め友と雲取山に登っていた。

   三峰山の下り.14:10

   道標の裏側は幅広くロープで閉ざされている踏み跡があるも惣久経路として確認はできずにいた。下調べではっきりせず弱腰過ぎていた。
     悠著し歩みを止め.何度も考えるも堂々巡りして確信が持てず。入径は諦めざるえなかった。
     更に物見峠方面に下った北側の尾根で八丁径路を見いだしている。それで先程の場所が改めて惣久径路であったと確信した。

      不動沢左岸尾根(八丁経路)
   この先の頂稜の尾根径も長閑な歩き易い散策路になっている。静かな尾根径で落葉の蹴る音色がよく聞こえている。
     物見峠の手前で再び道標裏側に踏み跡を見付け.縦走路を分け右に折れ八丁径路を下ることにした。

   北峰取付き口.道標から10分程下った所で.道標(←三峰山,煤ヶ谷→)に小さく黒のマジックで八丁経路と付け加えられていた。
     1本取り偵察する。ススタケ藪を潜ると確りした踏み跡が続き.地図を見ても下れる尾根だった。
     赤いテープを見付け無意識に手袋をはめている。不動沢左岸尾根の下降を決める。踏み跡を失い迷っても日没前に下りられるだろう。

   八丁経路から頂稜を振り返る.14:39

    不動沢左岸尾根
   巨木と傾斜が落ち始めた尾根を下る.14:39

   以外と強い傾斜が初めから続いていた。踏み跡はネクタイ尾根より浅く長い。右に不動沢.左側には水ノ尻沢を確認して一歩一歩下る。
     中端で樅の巨樹に出偶した。探すと2本.3本と所々尾根上に乱立していた。

   目印は忘れる頃に白いテープが小枝に掛かり.又落ちていた。テープなどのマーキングはネクタイ尾根より少なかった。
     安堵と同時.枝々を掴む支えの回数も少なくなっている。

    鹿棚絡む尾根
   鹿棚の閉じれぬ棚口.下の柵で.14:57

   尾根後半は入山時と同じ鉄条網の古い鹿棚が尾根沿いに平行して設けられていた。
     左に反れ並び下ると.その左側にも鹿棚となり.両側から迫る形でV字の鹿棚に挟まれ下りだしている。

   暗い木陰下の長い鹿柵で挟まれたカヤトの径。平行して走る鹿棚はドン詰まりで閉ざされていることはないだろう? 不安は募る。
     ボンボン下ると突き当たり手前の水ノ尻沢側に棚扉があり.左に潜れば古い伐採作業道にでられた。

   ここから北面の谷間の窪地を選び下るようなる。杉の間伐された伐採帯に入っている。
     枯葉.枯枝が幾十にも重なり積もれ.径は薄暗くなり時折失われていた。再び棚扉にでる。
     前の棚と同じく扉はあるものの古過ぎ錆び.試すも閉じることはできなかった。

   尾根筋を外れ.ジグザグに荒れた杉の植林帯を綴る作業道. ここは日が暮れだすと下る判断が判らなくなりそうだ。
     赤い目印のテープはボロボロだが漏れ日の明るさで如何にか分かった。まだ明るさは留まっている。道を探るには助かっていた。

    旧水ノ尻沢林道
   林道とは思えぬ荒れ崩れた右岸の旧水ノ尻沢林道.15:02

      水ノ尻沢
   明るくなるも束の間,水ノ尻沢にでる。右岸沿いに崩れ落ちた林道が朽廃され残されていた。
     土壌は盛り上がり割れ崩れ.側壁の跡だけが林道であったことを示している。そして暫くして周りに合わぬ真新しい堰提に出偶した。

   水ノ尻沢下流の巨大な砂防ダム.15:07

   ダム中央に細く沢底まで切り込まれたU字の放流口があり.桁違いの深みを持つ高い堰堤にでる。水ノ尻沢2号ダム(h15.08)で
     先々まで長く土砂防止として活用される堰堤, 大岩を止め小石.土砂を流すよう工夫がされていた。
     奥多摩高水山の登山口.平溝川を塞ぐ高い砂防ダムと同じ構造になっている。

   ここの沢底から始まる新水ノ尻沢林道のドン詰まりは「煤ヶ谷平成の森」の標識と大きな石碑があるだけの何もない場所だった。
     下った河原にも.他には何の造形物もなかった。これからの計画があるのだろうか? 名だけの立派に舗装された林道が1本通っている。

   この道は直ぐ谷太郎川左岸沿いの谷太郎林道.弥太郎と合わさった。
     谷太郎という地名は「清川村地名抄」によると鐘ケ岳に棲む大きな青大将を「ヤタロウ」と呼んだことから谷太郎という地名ができたと記されている。

   不動沢左岸尾根はネクタイ尾根に比べると一回り大きく又変化に富む尾根だった。
     この数日間は殆ど歩んだ者はあるまい。鹿棚が多く私に強い印象をもたらしている。

    谷戸の集落
   水ノ尻沢林道の下りで.15:15
    谷太郎林道にでると直ぐ.県道64号線と合わさり.煤ケ谷バス停に着く

        15:10煤ヶ谷bs16:05=16:40小田急本厚木:53=17:50jr新宿
      尾根後半
   後日調べたところ.下の鹿棚で少し悠著し.左に棚口を見つけ伐採帯に入ってしまっている。
     右寄りに下ると確りした作業道があったようだ。更に続く柵の径を尾根末端まで忠実に下れば三峰山登山口にでて谷太郎林道に直接下りられた。

   入口には「煤ヶ谷平成の森」と書かれた真新しい丸太標識があり.この作業道に入れば大分時間も短縮できただろう。
     私の通った末端の尾根は廃道で苦い経験を味わされたが.下山すれば1つのエピソードとなり.又違った所の探索の欠片を掴んだようだった。

   林道は物見峠.札掛(ふだかけ)への登山道が乗る1748m地から派生する東方の尾根末端を横切るとその先が物見山登山口
     小沢沿いに道が合わさり.集落に入れば外れた庭先に満開にほころびた白梅が咲き競っていた。
     小さな可憐な花が溢れるよう満ちている。

   新水ノ尻沢林道の起点.T字路の右手に「しげのや橋」.があり,舗装された谷太郎林道と合わさる。
     そして下れば直ぐ直進し起点の県道64号線にでる。左角が酒屋.右に谷太郎川に架かる橋を渡った所が煤ヶ谷バス停だった。
     又煤ヶ谷と同地名の所は大山北尾根を越えた裏側の藤熊川沿いの札掛にもある。

    隠れる太陽
   街道橋端で.15:44
   逆光の北三峰の稜と辺室山

      煤ヶ谷
   煤ヶ谷バス停からの路線バスは5分違いで出てしまっている。次の本厚木行は1時間待ち。
     寒いが缶ビールを買い込み.県道の橋のたもとで.独りで見え隠れする日差しと日向ぼっ子している。雲の切れ目から差す弱い光はまだ残されていた。
     ザックから残っている食料を漁った。あられピーナツにチョコ残り半分にソーセイジを食べると黒砂糖とガムのみが残された。

   土山峠へ登る県道はダンプの流れがが途切れなく続いている。土砂を宮ヶ瀬湖方面へ運ばれている。
     築堤整備と中津川左岸道路工事で県道はダンプ街道化していた。
     帰りのバスも空いていた。このバス停で乗車したのは私1人. 飯山温泉経由本厚木行バスに.私を含め3パーティ6人が乗車した。

    山ビル
   バス停脇の壁に貼ってあったヒル注意書・・3月15日16:59

   昨年5月連休に入山した人の話によると山ビルの被害に遭っている。湿った作業道の標高250m位までの範囲。
     下りの惣久径路では乾いていたので被害には遭わなかったものの帰路バスの運転手より「煤ヶ谷から乗った登山者の方
     足回りや首筋にヒルが付いていませんか?」とマイクで流されたらしい。東丹沢ならではの会話になる。 丹沢主稜の水ヒル 煤ヶ谷の山ヒルU

      初めての誕生日山行?
   昨年の今頃,奥多摩の三頭山笹尾根を上下して改めて質素な山径を想い.両神山の杣径を歩み.新たな山登りに目覚めだしていた。
     昔は春の藪山や猛烈な藪を求め越後等へ出向いたものである。

   先輩に怒鳴なれ合宿を催したこともあった。目の向けることのなかった丹沢大山に出向き.改めて支尾根.枝尾根の素晴らしさを知る。
     擦れ違うハイカーと会うことも少なく.手頃な行程の藪山が多いのに気が付く。再び道標のない私本来の径を求め始めていた。

   コンロ.イワタニプリムスP-153.グリーンライフ@7.800.ステンレス食器2.皿1.水500cc×2.軽アイゼン.ストック.
   ・・地形図「大山」.「厚木」.山と高原08「丹沢」

     丹沢山塊概念図, 鍋嵐周辺ルート図

     イタツミ尾根から大山北尾根の石尊沢左岸尾根・・懐かしいヤビツ峠・相模灘
     唐沢峠から三峰山と不動沢左岸尾根・・山ビル