平成24年度RHC一年秋合宿・・雲取山石尾根 雲取山と石尾根Top

   鴨沢の登り尾根から奥多摩小屋のキャンプ場へと詰め.雲取山石尾根をピストンしr奥多摩駅に下る・・2つの三角点標石と銃に追われた鹿
     2012年10月13〜14日 L原賀sL坂田m羽太(2年)小野.田畑(1年).田島(s48卒).松村(s43卒).見城(s41卒)

    秋合宿
     今年5月のRHC総会で学生と酒を交わし,ふとした切っ掛けが現役と山に登ることになった。
   現役に付随するのではなく,後輩田島君からの仲介で.現役の実力も分からぬま間々.何故か? 山行の企画を任されている。
   要望は何処でもよいとのこと。繋ぎの伝言に要望を得ず.決める手筈の基準も分らない。一番オーソドックスな天幕による一泊山行を企画した。

     見城先輩と後輩の田島と私.OB3名は現役5名と共に40年振りに山に入る。山行は現役が主となる秋合宿を企画・参加した。
   鴨沢から七ッ石山登り尾根を経て.奥多摩小屋で天張り雲取山をピストン。翌日石尾根を末端まで下りjr奥多摩駅にでるオーソドックスな山行。

     雲取山は4年前に「雪が降っている!」と初めて入り.その年の秋にも先輩の下見山行で出向いている。
   私の現役時代は東京近郊の山々を敬遠していた。山域は奥秩父中部以西から八ケ岳.アルプスへと殆どが飛んいる。

     それが2005年の半ばから再び山に登り始めると東京近郊の山々を主にし山へ入るようなる。
   本来なら八ケ岳がよいのだがあくまでも現役を主に考えてみた。現役の実力と一泊山行を限度に.雲取山に決めている。
   私は今回で3度目の雲取山になった。・・現役合宿を企画した経緯

   10月13日曇
     jr御徒町6:00=6:04神田特快:07=6:48立川7:05=8:28奥多摩.丹波行9:30=10:07鴨沢bs.

     jr山手線の遅れから坂田君が一列車遅れ.奥多摩駅発の路線バスは次の丹波行9時半発まで待たなければならなかった。
   バスは異常な混み合いだった。終点.鴨沢 まで行く登山者が多く.臨時便がでている。その為鴨沢からの歩き始めは10時を楽に過ぎている。

    登り尾根末端の800m圏コブと鴨沢地区
   留浦浮橋より・・2021.11.15/8:21
    左端の針葉樹に向かい登山道が登っている。又見ずらいが林道が横切る。

    七ッ石山登り尾根
      鴨沢bs10:20一10:05小:15一11:55水場大12:15一12:55小13:05一13:55ブナ平14:05一14:35奥多摩小屋Ts.

     登り尾根には2008年の積雪期に往復し今度で3度目.黄葉にはまだまだ早々だが緑豊かな山並に入山している。
   過って雪積もる登り尾根の途中にあった「H20」の看板を見付けている。やはり水場の印だった。
   当時は入山の前々日からの新雪を重ね.鴨沢の取付きから真新しいトレースを辿り.途中の立木に古い小さな看板「H2O」が掲げられていた。

     今は「H2O」から「水場」に書き直された2つの大きな看板が目に付く。ここで昼食を摂っている。
   現役は若い割には軽食の部員が多く.昼飯を忘れてきた後輩にも驚かされている。
   分け合って昼食を摂るがドカ弁と云う言葉は今ここに居る若者には誰も当てはまらなかった。これで山に登れるのだろうか?

    2年生の坂田君をトップにリーダーは原賀君.学生の列の後ろにOBが付く。彼等は私達のテントと食糧を担いでくれている。
   陽射しは雲に閉ざされているものの程良い陽気に汗は滴り.高度を稼いで行く。下半は登り尾根のほぼ右側沿いを絡んでいた。

   鴨沢からの登り尾根.12:21

    鹿害防御用テープ
     小袖川側に鹿防御用に紫.青.白のテープが杉林の幹に巻かれ.ひとまとめに集められた所に付け加えられていた。
   紫のテープは初めて見るタイプ。色々と混ぜて標されているところを見ると試験的な色合いとも受け取れる。
   最近鹿棚のない所では色々な色,形のテープが幹に巻かれて目立つようなった。それほど鹿害は目に見えて多くなっている。

     山梨県北杜市のある私有地の檜の森には人の色濃い衣類を直接幹に巻き付け.見上げると異常な風景にもなっていた。
   当の本人は鹿害にはよい防ぎ方だと云う。人の匂いがあるせいか.被害は今のところ鉄条網や鹿棚と違い.以外となくなったと断言していた。
   ・・2012.10.24のテレビ朝日「ナニコレ珍百景」より.

    小橋を渡った後の窪み沿いの桟橋は最近改修されてらしく.大きくガッチリした丸太に改修されていた。
   今日のコースのほぼ中間地点.灌木林に囲まれた小さな平坦地.堂平に着く。左前方の細い踏み跡は水道局の水源巡視路。

     ここから片倉谷側に回り込み.再び小袖川沿いに入り込むと.並行する赤指尾根(あかざす)を見下ろすようになる。
   右頭上には梢越しに石尾根の稜が望められ.その上に高曇の明るい空が広がりを見せていた。
   ただ小袖川を越えた背には鶴峠方面の山並は望められる筈だが灰色のガスに霞み閉ざされている。

    石尾根ブナ坂の落葉松林
     14:0

    ブナ坂
     七ッ石小屋への分岐を過ぎブナ坂(ブナダワ)へ.尾根筋の左山腹をトラバースする。根曲りが多くなり雨が降れば嫌な巻径に入る。
   足元には衰退する枯スズタケが山腹道から深く谷間に広がりを見せている。枯落とした茎だけが薄汚く朽れ.大きな斜面を占めていた。
   その茂みのコブに隠れるようモノレールの軌道が見え隠れしていた。モーターの音を聞く。

     又雑木林の枝越えの遠方には奥秩父の主稜へ続く.三ッ山が眺められるようなるとブナ坂にでる。
   防火帯は雪原だった尾根が.今では草原の帯に変わっていた。落葉松林の高木に寄り添うようブナ坂の分岐にでて1本取った。
   十字路の警告板には向かいの唐松谷林道を下る日原への登山道は明後日から桟橋架替工事の為.通行止になると取付きの看板が告げていた。

       雲取山石尾根
     落葉松の高木に寄り添うよう.木蔭に身を寄せ.ブナ坂で1本取っている。時折撫ぜるよう谷風が流れ.溢れでる汗を和ましている。
   10月中旬とはいえ.樹冠を見上げるとまだまだ蒼空に被さるよう緑茂る台地が支配していた。

     ここからは左に折れ防火帯の石尾根に入る。防火帯には小径が綴られ.日当たりよい左手縁にはワラビが群生し,
   程よく伸びた茎の葉は枯れ始めていた。立派なワラビだと直ぐ目に付き.先輩が声を掛けている。

     小さな起伏を幾度か越え,「女ノ木」を左に巻き込んで.五十人平にあるヘリポートにでる。この上が奥多摩小屋のテントサイド。
   小屋は右手の落葉松林の中に埋まるようあった。トイレは落とし込み。水場は反対側の南面を5分程下った所にある。味は癖がなく美味い水.

    「女の木」
     鴨沢から登りブナ坂にでて,防火帯の稜線を10分ほど登ると広い防火帯の真中に曲がりくねり立つ,たった1本の落葉松がある。
   この立木は多く通う人の気を惹きつけていた。2008年の2月に.この年2度目の大雪にな.幼馴染に誘われ雲取山に登っていた。
   その折彼から「女と名乗る1本の木」があることを教えてもらっている。

     それから短い間に往復を含め5度訪れたことになる。通う都度.四季それぞれの違った装いを想い起こさせるのが.この「女の木」にだった。
   元青梅警察署山岳救助隊副隊長だった金氏は「この唐松の容姿は浮世絵.菱川師宣の『見返り美人』の女の姿だと述べている。

     落葉松の幹は柔らかい女体のように.根元からS状に伸び.枝は円錐形に配され.腰の辺りの枝が帯と長い振る袖のよう翻る。
   先端の方は徐々に短い枝となり長い黒髪の頭がザッと振り返っている。」と表現している。
   私もその名を知ってからはこの1本の目立つ落葉松を.共に登る仲間達に「見返り美人」だと語るようなった。・・奥多摩」第31号より

    奥多摩小屋
     奥多摩小屋は1959年に東京都の国体があり.山岳競技のため建てられている。通年収容70名.自炊¥3500.幕営料¥400,
   その後奥多摩町に寄贈され.現在は雲取山荘の荒井新太郎氏に管理は委託されていた。

     雲取山荘の小屋番,皆川さんから数年前聞いた話によると.自炊はうどんナベがよいと。
   朝食は梅入り結飯を1個持参すれば残り汁でおじやができ.囲炉裏があり.荷は軽くなる。

     ただ雪山の煙突から煙が緩やかに昇る風情とは異なり.無雪期に改めて訪れてみるとイメージは大分異なっていた。
   尾根の窪みに寄り添うよう建ち.水はけが悪くジメジメとした印象を受けている。

     追伸・・施設の老朽に伴い1年て開け平成31年3月31日で閉鎖された。又テント泊及びトイレの利用もできなくなる。閉鎖後は未定.
   七ツ石小屋のテントサイドの利用は混雑が予想される「指定日」はテント泊も予約制に変わっていた。

    防火帯両脇のテントサイド
   右奥の落葉松林の中に埋まるよう平屋小屋がある.15:26

     今日は奥多摩小屋までの登り,五十人平で幕営生活を楽しむ。
   そして遅れた入山は雲取山のピストンを明日に変え.幕営地に戻ってから石尾根を末端まで下り.jr奥多摩駅に戻ることにした。

    天幕
     彼等は6人天と5人天を背負ってきた。我々OBが厄介になるのは5人天.テントの愛称は袋に「金次郎」とある。
   設営すると難問が起きた。ホールの袋には金次郎とあるが中身は異なる長いポールが納められていた。下準備が安易過ぎたようだ。
   組み合わせるとテントがツンツルテンになる。ポールを伸ばすと1本分強長い。

     今日は雨が降ることはあるまいと.1本折ったまま.不格好だが工夫し天幕を張っている。床が少し浮いていたがま〜よいか?
   上にシートを張れば外見は誤魔化しが利く。又風に対する冷たさも如何にか我慢できていた。
   雲取山荘では10/8日現在.最高気温11.2℃.最低気温3.7℃.9日朝8時半で5.6℃.

   現役5人での設営風景

     先輩が新たにシュラフを購入.量も小さければ暖かさもある。田島君はその倍.学生時代の古いシュラフ。私は内緒の羽毛のシュラフ.
   夕食後の酒宴が利いたのか? 朝方まで3人共にぐっすり眠っていた。夜半は珍しく.誰も起きることがなかったようだ。

    
    NHK第2の天気図を作る坂田君.16:09          炊事中の小野.羽太.田畑君

   一年生の小野君と田畑君.15:27

    炊事風景
     坂田君がラジオを点け.NHK第2の天気予報を聞き天気図を付けている。昔はラジオ関東に耳を傾けていた。
   テント越しに各観測地点からの天気.気圧.風力を伝える電波が聞こえてきた。

     程よい距離で炊事する姿を見ながらの夕暮れの一時.ラジの快調な音色と共に懐かしいラジオ放送を耳にした。
   床シートに横になり,聞くともなく聞く電波の声に.コンロの音色.囲む後輩の会話が混ざり.居心地よい響きおとして聞こえてくる。

     気象通報は現役の1年,春合宿から付け始めている。天気図予報の時間になると炊事中だろうが行動中でも一人留まり天気図を付けていた。
   それが再び山に登り始めた頃はもう手が放送に追い付かず.天気図を作るのを諦めた覚えがある。そてにしても懐かしさが募っていた。

     1年の炊事班は地面を均しコンロを置き.4合ほどの無水米を筒形の大きなコッヘルで焚き始めている。
   コッヘルが大き過ぎてコンロとのバランスが取れず.焚き終わるまでコッヘルを両手で誰かが支えていなければならい.不思議な光景を見ている。
   彼等は気にもせず,通例のこととして.その間両手は塞がれた間々の姿勢で耐えていた。慣れているようにも思える。
    
     斜めに傾く地面でもコンロが安定するよう三又を付けるなり.コンロの受け台を大きくするなど工夫が必要だった。
   又飯盒を使わなくとも飯の量に合せた小さなコッヘルに替える必要もある。コッヘルが大きいのに2度目を焚くこと自体が不可思議だった。

     食事はレトルトカレーで米を炊き.カレーを温めればできあがる。これが山での普通の献立らしい。便利だがレトルトが常道とは。
   工夫すればもっと愉しい炊事の一時を楽しめる筈。時間的には短縮できるとはいえ.炊事に当たる下級生には勿体ない時間の使い方をしていた。

    ヨモギノ頭
   夕日も山陰に落ちる.16:55
    夕飯はレトルトのカレーライスと質素

    食事代
     出費は全部払うので贅沢な夕飯にするよう入山前に念を押しておいた。当然スキヤキなり.それに類するものと考えていた。
   田島君も炊事の仕方までは聞いていなかったのだろう。レトルトが常道で.朝食はコーンスープに食パンを付けて食べている。
   又昼食はクリームとチョコ系の細くねじった棒状の味付けパン。2個のみで飲物は真水とは。量.質と共に質素過ぎる献立が作られていた。

     レトルトの量や重さを考えると多人数の場合は料理しても.料理の時間だけが省け.荷は余り変わらぬと思われる。
   私達の時代と何かが違っている。山での大切な炊事中の時間が失われているようだった。岩登りと異にし.それを省いている。
   美味しい炊事を考え.その時の雑談や摘み食いが下級生には愉しい時間になる筈なのだが。その時間が失われている。

     昼食にはコンロを使用しないなら粉末の素を何種類か持参すればよい。
   又魚肉ソーセイジが半分あっても予算はそれほど変わらぬと思われる。この間々でも山の生活,特に炊事をもっと大切に。
   工夫と下級生同期の雑談が又発散にもなり.自然と憩いの場を設けたことにも繋がってゆく筈なのだが。

    霞む牛寝通りに楢ノ木尾根
   テントサイドより.15:40

    学生生活
     まだまだ1年生は酒に弱い。それでも愉しむ小野君. 田畑君が学生生活を語る。
   基礎授業では4回欠席すると授業を放棄したと見なされるそうだ。殆どの授業は出席が必要で.クラブの山行は土・日曜日に限られる。

     田畑君は月曜は5次元で9時から17時までビッシリあると語っている。それも高崎から新幹線通学. 小野君は茨城の桜町からと聞けば
   例年春期にフナ釣り競技大会を開催していた所だった。その彼に聞くも.聞くほどに私達の時代とは大分異なっている。

     ゆとり生活の影響か? 授業と云い,クラブ活動から就職と私達とは全く違う世界になってしまっていた。
   昔は代弁も利き.授業を抜けだして.静かな平日のゆとりある山行を続けていた。それ故合宿は当然.授業に優先する強制的だった。

    雲取山奥多摩小屋
     昭和34年に建設された奥多摩小屋は施設の老朽に伴い.平成31年3月31日で閉鎖.それに伴いテント泊・トイレも閉鎖。
   平成30年4月1日から管理人は不在・・奥多摩町観光産業課.ビジターセンターのチラシより

    10月14日.曇
   朝食はコーンスープに食パン

      雲取山ピストン・・奥多摩小屋Ts5:40⇔6:25雲取山. 一7:10
    起床
     1つ先のテントは3.4.5で起き,隣の現役のテントからの声として聞こえてきた。
   慌てて我々も起きるが如何も可笑しい。4.5.6の筈である。巻いたシュラフを再び開き.寝床に逆戻りする。

     昨日以上に重い曇天で夜明けを迎える。谷間は少しも動かぬガスに被い包まれている。
   己のパッキングは早く終え天幕をカラッポにするも.如何も現役との絡み合いが合わなかった。朝食の支度をしているのか?
   テントを畳んでしまうのか? 何時.雲取山へピストンするのか? 分からないことが多過ぎる。

     何時も遅いと嘆くリーダー。彼がはっきり決断しないのが一番悪い。
   湯を沸かし食パン2枚を食べ終わるまで2時間半を費やしている。5時40分.雲取山へ空身でピストンする。

    雲取山々頂
   それぞれの県境に山名標がある.6:32
   秩父三峰から雲取山石尾根を経て赤指尾根から峰谷・・下見山行.2008.09.

    原三角点と等級石
   原三角測点標と新たに作られた由来の石標
    左.原三角点は四角錐台の標石で高さ40cm.表面は一辺15cmの正方形で設置されている。
    右の一等三角点標石はかなり大きく標石が拡大されたコンクリートと鋲で設けられていた。標高2017.09m.基準点は「雲取山」.

     雲取山ピストン
      朝の一歩,ヨモギノ頭までの高度差50mがきつかった。右手は落葉松林.左は雑木の広い防火帯が頂まで続いている。
   尾根筋に従い右に折れると緩やかな起伏になり.右手から野陣尾根に乗る富田新道と合わさる。

     赤味掛かった転石が登山道に混ざり見られた。これは確か海底火山が噴火し.その砂礫の残骸だったと記憶している。
   この周辺は真新しい丸太が運ばれ.青苔谷川の路肩の改修工事が行われていた。
   昨日は五十人平.テント脇のヘリポートでも崩壊改修工事が行われている。何処も冬に備えての工事のようだ。

     頂最後のツメ.防火帯の急斜面は前回は雪壁のようだったが今はガラ場でジグザグに径が刻まれていた。
   そこを詰めれば避難小屋が現れ.雲取山に立つ。

     眺望は悪い。富士山を始め大菩薩に南アルプスのほぼ全山に奥秩父・隣の北側には和名倉山が望められる筈だった。
   更にその右手には浅間山から上信の山々が。石尾根を挟んでは奥多摩の山々の先には関東平野と。全てがガスに包まれ覆われている。
   先週谷川岳に出向いた見城先輩は又もや悪条件で眺望は得られぬと嘆いている。

     一瞬ガスの流れる切れ目に富士山から奥秩父に面する眺望が開かれる。それが頂にいる間の最初で最後の一瞬の展望だった。
   後輩達は見過ごさず眺めただろうか? こうなれば長居は無用と早めに頂を後にする。
   頂には山荘に宿ったツァー客が何パーティも集っていたものの.何も見えぬ風景に我々だけが残されていた。


     雲取山の広い頂には一等三角点標と.もう1つ原三角測点標がある。
   後者は地図作成と地殻変動計測のための明治時代陸軍参謀本部陸地測量部が一等三角点設置の測量を始めるより以前に.
   明治11年(1878年)に内務省地理局が測量し設置されたのが「原三角点」になる。

     一等三角点標と交代された中で.現在,奥多摩の雲取山.越後の米山.西上州の白髪山の3ケ所だけに.その存在が確認されていた。
   前2山は一等三角点之山で原三角点は四角錐台の標石で高さ40cm.正面一辺15cmの正方形で.一等三角点標と比べると大きい。
   全国三角点測量を開始し.関東周辺を中心に100ケ所の選定を終え.約50の標石を設置したとの記録がある。これが内務省三角点になる。

     原三角点3ケ所の中で移動されずそのまま現存しているのが白髪岩の原三角点。
   ただ残念ながら白髪岩の成果は使用されず.御荷鉾スーパー林道の東側にある赤久縄山の一等三角点が使用されている。

    三角点標
     以後明治17年には参謀本部陸地測量部が三角点を設置することになり,測量部が埋設したものは一等三角点として現存している。
   三角点標石は原則として香川県小豆島産の花崗岩を使用することになっていた。

     四等三角点が設置されるようなった戦後から金属標やコンクリート製の軽量標識を使用するようなった。
   三角点の大きさは1等は一辺18cm.二等・三等は一辺15cm.四等は12cmの表面が正方形の柱石となっている。

     表面には+が刻まれていて,その中心が三角点の位置であり,高さとされている。
   一等三角点は設置のため必要な盤石と標石を合わせると135kgの重さがあり.標石だけでも90kgある。又二等.三等の標石は64kg。

    水準点
     三角点が緯度や経度の基準になるのに対し.高さの基準になるのが水準点になる。
   水準点にも一等から三等まであり.又日本国内の測量の高さの基準になるものとして「日本水準原点」が設置されている。
   これは東京都千代田区永田町1-1の尾崎記念館の中にある。

     明治政府は約6年間.東京湾で潮の満ち干きを計測し.その平均を0として.日本水準原点を定めている。
   日本の山々や土地など全ての高さは東京湾の平均海面からの高さと云うことになる。

     又潮時表の標準点0とは異なり厳密にいえば日により誤差が生じ,.準点は各地により違い.潮時・潮高は1〜数年の実測資料から求めている。
   東京港では芝浦標準から2018年より東京晴海標準に変わっている。又航路関係では海上保安庁の基準に乗っとり厳密に行われている。

    キャンプ場と五十人平のヘリポート
   避難小屋,幕営地を見下ろす.7:09
    左上が七ッ石山登り尾根

    猟師
     登った往道の石尾根を戻る。先ほどのハイカー達を追い付き越しつつ下る。
   小雲取山を越え雲取山荘への巻き道さし掛かった。このコースは東京都内で唯一残された亜熱帯地帯の植林が茂っている。
   風雨が直接山腹に当たり苔類に倒木の多い原生林が広がり.ハイカーの往来は少なくヒカリゴケが育つ場所でもある。

     巻き道は左後方から合わさり.過ぎる辺りで日原川側の谷間から.4発のライフル銃の発射音が響いてきた。
   猟師は1人のようだ。そして間を開け.やや大きくなった発射音を更に続けて3発耳にする。

     発射音の聞こえた谷間を見下ろして.大鹿が真近を走り去るのを見る。上に向け発砲したようだ。縦走路には大勢のハイカーがいた。
   獲物の鹿が見える範囲は樹林帯では狭い。そこで撃つ度胸と云うか.無鉄砲さに恐ろしさを感じさせられていた。昨日小屋に泊まった猟師だろう。

     テント撤収から出発まで1時間を費やす。その間に偽金次郎の天幕を我々も撤収している。待つ方が長い。
   そしてヘリポートに猟師が現れた。我々が設営したテントはヘリポートの脇だった。この猟師は現場監督のようだった。
   今日はヘリを着陸させると人夫に伝えている。

      雲取山石尾根
    奥多摩小屋Ts8:10一8:45七ッ石山一8:54七ッ石山分岐一9:10赤指尾根分岐:30一10:05巳ノ戸ノ大クビレ:15
    一10:40鷹ノ巣山大11:30一12:25小:35一12:55六ッ石山分岐一13:35小:45一14:30木戸方面分岐一14:52林道
    一15:15羽黒三田神社一15:40jr奥多摩16:04.

     高丸山付近の巻き道
   右手が赤指尾根,尾根を跨ぐ北側が高丸山ツバノ尾根・・2016.06

    石尾根を東進
     8時10分.ブナ坂に戻り.七ッ石山から防火帯を外れ.石尾根の南側の山腹道に寄り添うよう下る。
   登り尾根,赤指尾根の分岐を過ぎ.細くなった尾根筋脇の巻道を辿る。前回の先輩のツァー下見山行で.ここから峰谷橋へ下りている。
   雑木に覆われ起伏の失った平坦な主尾根の巻道が続き.森林浴に酔う癒しの小径が続いていた。

     高丸山・日陰名栗峰と巻いた為.北側の尾根の取付きは分からなかった。日陰名栗峰の巻き道には日陰名栗峰南尾根への取付き地点があり,
   赤いテープの目印が右脇の立木に付けられていた。モケボ谷と坊主谷に挟まれた尾根。

     葉々を落とした枯れスズタケ帯が1つの谷を隔て大きく広がっている。スズタケの衰退期が始まっているのだろうか?
   面としては1つ1つが広い範囲になっている。そして一線を越えれば再び緑溢れる笹原に戻されていた。その繰り返しになっている。

     この先で尾根伝いに下ってきた高丸山からの作業道と巻道が合わさり.名栗日陰山との鞍部にでる。
   ここの道標には「歩道整備工事」の看板が立てられていたが周辺はまだ工事中の跡は何処も見られなかった。

    巳ノ戸ノ大クビレ
   日陰名栗峰と鷹ノ巣山との鞍部.10:12

   日陰名栗峰北面の雑木林.10:12
    日陰名栗峰ケヤト尾根から鷹ノ巣山南面経路を経て水根沢林道.2015.11

     巳ノ戸ノ大クビレで尾根に上がり1本取る。北側の斜面は尾根自体の構成が分からぬほどビッシリ雑木に覆われている。
   ここは積雪期以外は入れぬのだろうか? 又廃道になっている巳ノ戸林道の取付き地点は分からなかった。

     巳ノ戸林道は大クビレから北斜面をトラバースし.鷹ノ巣尾根.鞘口ノクビレを越えている。巳ノ戸林道,
   ツメのトラバースは崩落で廃道化し山腹斜面が厳しくガレ落ち.越えられれば鞘口ノビレの分岐にでる。そこからは鷹ノ巣川沿いの林道から日原へ。

    ヨモギノ頭と小雲取山
   鷹ノ巣山の肩より.10:38

     歩き始めて直ぐ鷹ノ巣山避難小屋に着く。小平地の森に囲まれ台地には確りした丸太小屋が構え.外のテーブルも確りし贅沢だった。
   小屋の前には大きな石尾根周辺の絵図が立てられている。
   奥の高所集落へ下る浅間尾根を右手に分け.山腹道を分けると再び防火帯に入り.鷹ノ巣山への最後の登り急斜面に入る。

     一気に鷹ノ巣山の肩まででると.ここから朝方のテントサイド.五十人平ヘリポートが丁度良い案配で見下ろされた。
   2時間半ほど石尾根伝いに下ってきたが.地図を見ても高度は殆ど変っていなかった。

    鷹ノ巣山
     鷹ノ巣山に立ち大休止. 山頂の北面はダケカンバ.カラマツ混ざりのブナの原生林。
   対照的に南面は明るいカヤトの斜面が広がり.石尾根唯一の大展望が開かれている。
   榧ノ木尾根の先には奥多摩三山がその右奥には秀麗たる富士山。更に右手奥には大菩薩連稜が望める筈だった。

     ここから大パノラマが南面を主に望めた筈だが陽炎のような強いガスに覆われ,遠方は霞み望めず。
   如何にか望める奥多摩三山も.今年の4月に2度目の山頂に立ち.場所を知って分かる程度にガスは濃い。
   又日原側の裏側.稲村岩尾根の肩から見詰めてみるも.やはり浅間山方面も望めないでいる。

    昼食
     頂での昼食には味付けパンがでる。飲物は真水のみと聞き,後輩に各コンロをださせ湯を沸かす。コンロを持ち使わぬのも不思議な話。
   田島君がコーヒーと味噌汁を持参し.各々に選択させ,好みの温かいものを飲んでもらっている。
   喜ぶ後輩達. 贅沢な昼食が摂れると聞き.改めて驚くのは私達OB3人だった。

     チョッとした工夫が食欲を上げ.美食だけに酔うのではなく.まずレトルトだけではもなく俎板を持参し.摘み食いをすることから始めるべきだ。
   時代と普段の生活が少しずつズレ.食物に対する愛着や気持ちが山では少し安易になり過ぎているよう思われた。

   鷹ノ巣山から南面の展望・・2011.08 2013年02月10日

    六ッ石山からトホノクボ
   榧ノ木尾根分岐へ防火帯を綴る.11:30

     遥か遠方に霞む大岳山とは御前山・・ここから再び防火帯を歩むようなるが正確な尾根伝いから.小径は少し外れた防火帯のコースを取る。
   北側に延びる各尾根の頭. カラ沢ノ頭や将門馬場のコブは少しずれ南側を巻いている。

    水根山へ延びる防火帯
   南に延びる榧ノ木尾根.11:31
    稲村岩尾根から榧ノ木尾根を経て.倉山南西尾根から女ノ湯.2014,03
    ネズミサス沢右岸尾根.カラ沢尾根から榧ノ木尾根.倉戸山東尾根.2015.04
    巳ノ戸林道から鷹ノ巣山を経て.入奥沢中腹道と奥沢林道.2015.11

     高曇の層雲が切れ.その間から鱗雲が顔をだし.防火帯を明るく照らすも.再び層雲に閉ざされる。
   石尾根中盤は長閑な幅広い防火帯が続き.ジグザクに切り下りている。

    もう1つのノボリ尾根
     水根山から南方に延びる尾根の榧ノ木山からは.榧ノ木尾根ともう1つ.西寄りに「ノボリ尾根」を派生させている。
   昨日登った鎌沢からの「登り尾根」は小袖川と峰谷川とを隔て.共に尾根末端は奥多摩湖に没している。
   因果関係は分からぬが同じ山域に2つの同名の尾根がある。共に猟師の通った尾根のようだ。・・ネズミサス右岸尾根から榧ノ木尾根.2012.04

    鷹ノ巣山東面
   水根山脇より振り返る
    巳ノ戸尾根,鷹ノ巣尾根から濃霧でタル沢尾根に下れず.石尾根を末端へ下る・・2015.08.

     この鷹ノ巣山肩の憩いの場は四季それぞれの自然の雰囲気をよく現わし.私の心にも伝えてくれている。
   新雪にラッセルし.瑞々しい新緑に覆われ.幻想的な濃霧に掛ることもあれば雪解けの裸土で昼食を摂ったこともある。

     少し下れば水根山.ここで幾度か天候に合わせ先へ進む方向を変えたこともあった。
   日原に没する北尾根や榧ノ木尾根.奥沢林道に入ることもあれば.ノボリ尾根を詰めたこともある。前後して日没と競争し水根林道も下っている。
   巳ノ戸林道やツバノ尾根.ヤケト尾根からの下山道でもあった。コツコツと通い続けた尾根.今回は再び尾根末端へ下っている。

   左下アップ.我がパーティ.11:38

    狩倉山(不老山)付近の小コブを巻く
   この尾根反対側(北面)が広大な農大の演習場
    狩倉山山の神尾根からハンノ木尾根(むかし道).2011.08.

     尾根の右側に立つ六ッ石山は一年生の希望もなくピストンは中止。小松ケタワからの狩倉山は防火帯を巻き,
   三ノ木戸山(さぬきど)の北面の急坂から尾根上の防火帯と分かれ.小径になり.左山腹を綴ると再び雑木の中を綴るようなる。
   六ッ石山,狩倉山から石尾根末端ルート地形図

   桃ノ木ノ頭付近を一気に下る.12:09

    三ノ木戸分岐
   大平山(丸山)手前鞍部の分岐.13:20

    分岐を右に折れれば三ノ木戸山の南裾を巻き.三ノ木を経て.榛ノ木尾根に乗れば境集落にでる。
   或いは終点の三ノ木戸林道から下り.不老林道を合わせ羽黒三田神社にでて氷川へ。又城山の旧道から羽黒三田神社に至る。

    道標
     狩倉山からの急激に落ちる防火帯から大平山(三ノ木戸山の西側)との鞍部に達すると確りした大きな道標がある。
   「←石尾根縦走路六ッ石山・鷹ノ巣山. 絹笠をへて奥多摩駅→」.「 三ノ木戸林道をへて奥多摩駅↓」とあるが
   立派な道標だが初めての者には分かりずらい先の道。

     三ノ木戸経由は右手に折れ.大きく南側に回り込む登山道。地形図「奥多摩湖」には確りした山道にも係らず.破線さえ記されていず。
   三ノ木戸林道の終点から城集落を経て南尾根を経て檜村か.旧道から縫笠(きのかさ)の旧集落と結ばれている。
   林道をそのまま進めば不老林道と合さり羽黒三田神社にでて氷川の街並みに入る。又城山の旧道からも羽黒三田神社に至る。

     又縦走路を直進は縫笠への小径。ただ初めて知る地名で.そこが何処にあるのか位置も分からないでいた。地図を開き.道標より地形を重視する。
   尾根末端の山道を選び直進した。下山後の調べでは正しいコースだった。絹笠は今は廃集落になっている。
   ・・縫笠の地名は他では飯能市内と近鉄の縫笠駅がある。

    秋の実
     三ノ木戸林道への分岐を右手に分け.三ノ木戸山北面の山腹を回り込み.雑木から落葉松林の緩やかな登山道を辿るとジゴボウを見付けた。
   既に茸シーズンは終わり掛けているが.道を外さなくとも探り出すほどに数が採れた。喜ぶのは先輩に後輩の坂田君。

     更に山栗に囲まれた尾根径が続いている。踏み場がないほどイガ栗がまとまり落ちていた。この栗林も又長い。
   小さな栗殻を踏み潰しつつ歩む。1本取るにも.途切れのない栗尾根が続く。

   日原川下流の奥多摩工業と栃久保地区.14:46
      右上が日原線鉄塔.その右下がjr奥多摩駅

    廃村.絹笠(きのかた)・・2016.07
     三ノ木戸山は北側の山腹を回り込み.再び石尾根に乗ると峰畑峠が近づき.右手に旧城集落からの峠路と合わさっている。
   又峰畑峠北側に突き上げる峰畑沢沿いの将門神社や峰畑の集落は荒廃し廃墟で.寺地と繋がる山道も廃道化が進んでいる。

     暫くして縦走路の左肩の石垣上に浅間神社が祀られていた。ここは廃村になった昔の絹笠集落の最上部にあり,
   登山道の両側に石垣が積まれ,緩やかな尾根に沿って.一段に一軒ずつ平に造成され.防風林に家屋が建てられていた。
   上水を配給する貯水槽が残されており.7つに分水されている.ことから家屋は7軒と推測されている。

     昭和50年代までは実際に住民がをり.10年程前までは廃屋が残されていたようだ。
   敷地跡の石垣と杉の防風林は今でも確り残されている。ただ廃村になってから杉がビッシリ植林植されている。峰畑沢沿いの経路は廃道化.

      林道小中沢線,或いは三ノ木戸線
    林道の上部は城を経て三ノ木戸へ至る林道.14:52

     田島君が長い下り坂で足の皿を痛め.サポーターを付ける。春先の白毛門でも似たような状況を示していた。
   ペースは落ちるが老兵にムチ打ち頑張っている。鷹ノ巣山から3時間半程で簡易舗装の林道三ノ木戸線(小中沢線)に降りた。

     右上が城の集落から三ノ木戸に繋がるピストン林道. 先程の大きな道標を右に折れれば.大きく回り込み.ここへ繋がれている筈だった。
   旧三ノ木戸へのむかし道. 三ノ木戸から小中沢を渡り.ハンノ木尾根の山腹を巻きながら境の集落とも結ばれている。

     三ノ木戸のモノレールの先には小中沢沿いの経路が複雑に絡みあっている。
   昨年8月に小中沢右岸の山葵畑にたどり着いた時は.鹿棚のジャングルに迷い込み.囲まれ野宿しようかと思った場所でもある。

     当時は右岸の薄い山腹道で579m点を踏み.窪溝を下りて境集落の東端にでている。旧三木戸むかし道? 本来は榛ノ木尾根の末端から境にでる。
   今回は登山道伝えに絹笠,農指(のうざす)と下り.旧奥多摩水沢貨物線の廃鉄橋を潜って.南氷川の集落から青梅街道にでた。

    下って初めての農指下のの集落
   石尾根末端南氷川の上部の集落

     林道伝いに左に回り込むと直ぐ.左手から林道支線の不老線が合わさり降りてきた。
   不老線は奥3.3kmの所に奥多摩消防ヘリポートがあり.東京農業大学の演習場の農大林道と繋がるピストン林道。
   その演習林地の最高峰が先程通って来た狩野山だった。日陰指尾根から三ノ木戸山に至る東北圏を広く演習地として管理されている。

   絹笠.農指地区・・平石山妙指尾根日原線10号鉄塔基部から見下ろしす。南氷川と登計の集落写真・・林道井戸入線の九竜山末端から。

    登計(とけ)の集落
   遠方は御岳山.手前は農指の集落.15:16
   鋸尾根登計峠(とけ)に突き上げる丘陵の集落.間の谷間には多摩川が横切る.

     コースをわずかに外れるが608.8m点(3等三角点標.羽黒山.農指山)の南側を抜け.林道伝えにUターンして道なりに進むと
   農指の旧集落に入っている。右手に大きな銀杏の木を見て.左手の小さな道標に従い.先へ続く林道の急カーブ地点を省き近回りした。

     直進すれば直ぐ右手に旧道(旧三ノ木道)を分け.旧道に入れば土道になりアシ沢上流を横切ろ旧城の集落にでる。
   その先は今下っている三ノ木戸林道の三ノ木の終点.末端まで続いている。
   左折して林道から外れ.小さな尖っ突きの枝尾根の小径を下ると羽黒三田神社(平将門ゆかりの神社)の裏山から本殿,正門の鳥居にでた。

     参道の石階段を下ると再び大きく巻いてきた先程の林道と合わさり.林道をそのまま何処までも下れば青梅街道へ。
   又林道を横断し小径を下れば「奥多摩むかし道」に入っても青梅街道へでる。

    町界尾根・・鋸尾根と九竜山.江戸小屋尾根
   この風景と尾根末端の地形図
    大沢を囲む山々・・中央の窪地の左端が鋸山林道が走る大ダワ

     そのまま林道に入った。多摩川上流を望むと右岸の支流.大沢を囲む山々が広がり.以外に大きな山並として望まれた。
   今まで見下ろしていた山々が高く聳えるようなった。

     九竜山はjr奥多摩駅前広場からでも.商店街越しに大きく望められる山。
   一昨年.後立連峰に入山する前に猛暑トレーイングで登っている。藪山で猛暑と蜘蛛の巣に悩まされた尾根だった。

    奥多摩.氷川の里
   南氷川と北側栃久保の街並.15:24
    奥多摩むかし道(氷川村南氷川から小河内村に達する旧街道)

     前方には日原川下流沿いに栃久保の街並みが見下ろされた。狭い谷間には丘まで詰まるよう家屋で占められている。
   右奥手前がJRの奥多摩駅になろう。

   旧奥多摩水沢貨物線

    小河内ダム建設時のトロッコの橋桁.今でもレールは奥多摩工業の敷地内から全線残る廃線。
    2011年08月.狩倉山山の神尾根からハンノ木尾根下山。その折.境の集落で「貨物線」沿いを歩んでいる。

     むかし道に従い進むと農大施設への道を左に分け.緩やかに右へカーブして,雑木に隠れがちな旧奥多摩水沢貨物線の陸橋を潜っている。
   その脇左手には元巣の森大杉があり.由来が記してある。折れるポイント毎に奥多摩駅への道しるべがあり.南氷川の集落に入りると
   直ぐ軒下を潜れば青梅街道R411にでた。

     左手に青梅街道に入り.歩む間もなく信号があり.日原街道を左手に分けている。
   栃久保から石尾根北面の街道・林道を綴れば長沢脊稜の大雲取谷に入り.遡れば雲取山北側の大ダワに至る。

     信号の正面が日原川に架かる氷川大橋. 渡って氷川の信号を左折すれば酒場が軒を並べる路地からjr奥多摩駅前の広場にでる。
   全員が奥多摩駅に集合.整理体操を終えると丁度よい具合に.立川行の列車が入線した。

    15:40jr奥多摩16:04¥620=16:39青梅快速:43=17:12立川.「北の家族」快速19:55¥620=20:49お茶ノ水.

     明日の授業の関係で田畑君と羽太君は帰宅. 奥多摩駅から青梅駅で乗り換え.立川駅前の「北の家族」に寄っている。
   先輩がドンドン食べろ.呑めと後輩にハッパを掛けている。この貪欲さを少しでも山で見習えばもっと楽しめることだろう。

     頑張った一年生に中高年の田島君.皆さんご苦労さまでした。気を使ってくれた2年生に感謝しています。
   見城先輩の元気さには感服しました。皆さん楽しい山をありがとう。

   2013年8月.息子が翌月の八ケ岳ウルトラトラスト.100マイルを仕替え.トレーニングとして奥多摩から石尾根往復.激しい雷雨に出遇う.

   石尾根周辺の概略図 
   10/14日.大雪山系旭岳で初冠雪. 地形図「丹波」「雲取山」「奥多摩湖」.山と高原07「奥多摩」・・19.004歩+33.481歩
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