柳沢峠重川左岸尾根から源次郎岳を越える。日川尾根と下部.甲府盆地東側縁に続く長い尾根・・大菩薩周辺Top

   冬木の上日川峠から日川尾根を南下し.源次郎岳から北洞沢右岸尾根にでて更に南下.恩若ノ峰南西尾根を経てjr勝沼ぶどう郷
     上日川峠はまだ冬木の世界.源次郎岳を越え芽生え始めた中半からは北洞沢右岸尾根を進み.下部は若葉萌える南西尾根に変貌する。
                                                 2010年05月02日.単独
    上日川峠から冬木林の日川尾根を南下・・冬木の世界
     寂峰の源次郎岳と恩若ノ峰
    若葉萌える恩若ノ峰南西尾根

     大菩薩嶺から南方へ長い2本の長尾根を派生させ.日川を挟んで東側は国中と郡内を分ける境界の小金沢連嶺へと続き.
   西側は日川尾根になる。上日川峠.砥山.中日川峠.下日川峠.牛奥峠.愛宕山から甲州高尾山へと南下する尾根。
   今回は日川尾根の嵯峨塩鉱泉分岐から日川西面の長い支尾根に入り.源次郎岳から恩若ノ峰の南西尾根に乗り.重川左岸尾根を下る。

     一昨年の初冬.K先輩と大菩薩牛ノ寝通り松姫峠へ下っている。その折り裂石から入山し.第一展望台から甲府盆地に広がる街並みを見下ろしていた。
   雪被る南アルプス連峰を背にモザイク模様のようなに道路や街並が甲府盆地に描かれ埋め尽くされていた。

     そして塩山盆地の左端には日川尾根から続く源次郎岳を頂とする支尾根の末端が.恩若ノ峰から塩山市内に深く食い込むよう延び眺められた。
   その突き出しの西尾根が塩山盆地に没する姿が.私の脳裏に印象的に残されている。

     昨年.大菩薩嶺北尾根に入った折にも丸川峠からの眺めで.塩山盆地に落ちるこの1本の支尾根に改めて好奇心を抱かせられていた。
   年を越し陽春を迎え綴ってみることにした。又重川左岸尾根として.大きな地形的概念からみて.も上日川峠からがよかろうと下ることにした。


    大菩薩嶺・・丸川峠と砥山日川尾根
   185号鉄塔基部より・・2016.06.26/9:09
    中央の窪みが上日川峠・・送電線は砥山西尾根から日川尾根を越えている。

     中央の窪みが上日川峠・・送電線は砥山西尾根から日川尾根を越えている。
   重川右岸の室床川中間尾根に建つ送電線西群馬幹線の185号鉄塔基部より撮影した。
   185号鉄塔先の送電線は室床川右俣を渡り.正面が上日川峠戸倉沢で左岸尾根に186号鉄塔を乗せている。

     487号鉄塔はみそぎ沢右岸尾根に建ち.越えた所の真下が丸川峠への登山口。送電線はここから砥山日川尾根に登る。
   尾根上右の鉄塔が中日川峠に乗る193号鉄塔。

    大菩薩湖(上湖)
     昔1960年頃.高校時代の同級生と初めて大菩薩山に入り,小金沢連嶺を下っていた。
   国鉄が夜行「大菩薩号」を出していた第2登山ブームの時代に当たる。裂石から懐中電灯を頼りに雪道を歩み.石丸峠にでて夜明けを迎えた。
   乗客は私達4人を含め7.8人で.ストレートに山に向かい登ったのは若い我々だけだった。寒さは当たり前と考え.若さがあったのだろう。

     その時は大菩薩嶺ではなく.反対の小金沢連嶺(石丸峠から湯ノ沢峠)を縦走し.膝下のラッセルを交互に漕ぎ.常に日川尾根を見つつ南下した。
   そして笹子川真木川右岸の湯ノ沢径路を下り国鉄初狩に下りている。清々しい気分で雪面を切っていた覚えがある。

     大菩薩湖はまだ日川本流には存在せぬ時代だった。日川の源流々域は一面の春雪に覆われ雪原化していた。
   その大菩薩湖を今回は日川峠から対岸の日川尾根を南下しながら見下ろしている。重川左岸尾根を最後まで綴り.jr勝沼ぶどう郷駅に下りている。

     距離を歩むことになろう。ただ資料が少なく.その過程と時間との計算ができずにいた。
   恩若ノ峰にでて時間がまだ早ければ重川左岸尾根を最後まで綴り.恩若ノ峰南西尾根から勝沼へ下ることも試みたいと思っている。
   裂石からのアプローチは長過ぎ諦めていた処.日川沿いに市営バスが運行したことを知る。ならばと大祭の下準備と天候を睨み山へ入る。

     又出発2日前に,出版社に頼んでおいた「静かなる尾根歩き」松浦隆康著が送られてきた。
   添え書きが付け加えられた「『静かな尾根歩き』をお買い上げありがとうございます。松村様の楽しい山行のお役に立てば幸いです。
   今後とも新ハイキングをよろしくお願いします。」とあった。

     その本文の中に「恩若ノ峰南西尾根も捨てがたい魅力を持っている。特に新緑に覆われてミツワツツジ.アオダモ,オトコヨウゾメ.ミヤマシグレハルリンドウなどの
   野草で百花繚乱となる4月下旬から5月上旬頃が最適である。」と述べていた。
   文章は魅了される新緑を詠い.その素晴らしさを坦々と絶唱していた。時期合いもよく.南西尾根に入らなければなるまい。

    5月02日快晴
      jr御徒町.¥1.890. 4:59=神田5:07=16:16八王子.始発松本行.:35=7:39甲斐大和¥1.000. 8:10=9:10上日川峠bs.

     jr甲斐大和駅発の始発バスに間に合うよう家をでる。夜明け前の白みも薄れ明るさが増しだしている。
   jr御徒町駅に向かう街路樹の花壇には満開のツツジが白や赤紫色の華麗な花を咲かせていた。
   5月になると急に天候も安定し.日も長くなり四季を感じるような季節になった。

    朝陽を浴び西西側を向くjr甲斐大和駅玄関口
   丘の上は2回線の送電線笛駒線と甲州市営バス.7:40

    jr初狩の鉄塔群
     列車が初狩の駅ホームに入線すると右手の車窓から500KV送電線の大きな鉄塔群が南大菩薩連嶺を越え.南方へ下りてくるのが望まれた。
   葛野川線で大菩薩湖を上湖とした真新しい揚水式葛野川発電所(160万KW)から発電された電力は送電線葛野川線から東山梨変電所傍の
   西群馬幹線の220号分岐鉄塔に入線されている。リニアモーターカーの動力源にも利用されるらしい。

     同発電所と西群馬幹線を結ぶ全長約19kmの送電線で平成10年10月に完成。33基
   真新しい送電線は建設資機材輸送手段にも大型モノレールを活用することによる運搬費の低減等で建設費を5%削減させている。

     その高圧架線下を潜る笹子川沿いの送電線は2回線のjr大-勝線。
   又その下に並行するようジグザグに小尾根を細かく綴っている送電線は笹子川沿いの発電所から発電された1回線の送電線になる。
   それら重なり合う送電線網が1つの額の中に望まれていた。最近は昔と異なり.大きな鉄塔を見ると直ぐ反応するようなった。

    jr甲斐大和の鉄塔群
     下車した駅前からは北側の線路越しに並行し延びる尾根の各コブに.送電線笛駒線の鉄塔群が屏風のよう立ち綴られていた。
   葛野川線の巨大鉄塔と比べるとすこぶる小さい鉄塔だが歴史は古い。

     この送電線は大和駅前から日川右岸を遡り.門井沢出合付近から大鹿峠越をし.初狩から大月の駒橋発電所に受電され東京に送電されている。
   翌年3月には日川尾根末端を馬蹄形に周回し.古部の集落でこの送電線下を潜っている。送電線笛駒線

     右奥の谷間.日川左岸沿い尾根上の大きな鉄塔群は500KVの西群馬幹線。
   日川尾根から日川沿いに一直線に南下している。今日はその日川尾根を越える192号鉄塔の基部を通ろうと思っている。
   南側は笹子雁ケ腹摺山の支尾根を越え東山梨変電所へ経由されている。甲斐大和駅は又この笹子雁ケ腹摺山の北斜面に背負い抱いていた。

     jr大勝線はこの山の南面から西方へ抱き込むよう笹子峠の直ぐ北側を越え.11基の送電鉄塔を添えて小路沢左岸尾根を下っている。
   そして日影の集落を横切り.日川の左岸沿いを綴り.jr勝沼変電所と結ばれていた。
   1903年(m36年)02月.国鉄中央本線大月〜当駅間が開通と同時に「初鹿野」駅として開業.1993年04月に「甲斐大和」と改名される。


     この中央東線の電力源は遠く越後より清水峠を越え.154KVのJR送電線(千手信濃川一新鶴見線)からjr武蔵境交流変電所に送電されている。
   ここで66KVに減圧され各系統へ送電されたjr送電線。jr大-勝線もその1つになる。
   武蔵境から八王子.大月.甲府方面に送電されている。朝方武蔵境付近の右手の車窓から伺えた大きな変電所がjr武蔵境変電所になる。

    送電線jr大月勝沼線と上野原大月線
     山梨県のJR変電所は上野原.大月.勝沼.酒折の4ケ所の基幹的変電所と分線として染川.笹子.山梨市の変電所.計7つの変電所から
   JR線に給電が行われている。JRの発電能力圏は甲府以東。又鉄塔の一番上が赤く塗られているのは近くの変電所と連絡する鉄塔。

    日川周辺の林道
     県営林道日川線は起点甲州市塩山大字牛奥.林道焼山沢真木線から入り.県道215号線.日川ダム北側の日川峠に至る林道。
   延長6.464m/ダート5.400m.完全舗装で幅員4.0m.開放的な林道で上日川峠=一ノ平林道交点間は12/10〜4/中旬冬季閉鎖。

     県営林道砥山線は日川ダムの西側を半周し.起点も終点も嵯峨塩裂石線にある林道。
   延長8.100m/ダート6.610m.幅員2.8〜4.0m.12/10〜4/25不可

     県営林道土室川線は嵯峨塩裂石線から入るダート.延長2753mのピストン林道。短いが開放的.
   林道嵯峨塩裂石線は日川ダムを経由し塩山市内に至る林道。14km/ダート1.1km.幅員4.0〜5.0m.通年

     林道菱山深沢線は勝沼町から菱山地区を結ぶ完全舗装の林道。延長12.607m.幅員4.0〜6.0m.
   中盤で御岳山系と甲府盆地を一望する。

     県営嵯峨塩深沢線は起点勝沼町大字深沢の菱山深沢線から終点の甲州市塩山大字牛奥,県道大菩薩初鹿野線に接続している。
   延長8.941m.完全舗装.幅員4.0m.塩山市裂石と大和村景徳院とを結ぶ林道で最近県道に昇格した。谷側は開け眺望はよい。

     日川尾根南下
       上日川峠bs一9:20砥山峠一9:50中日川峠一10:05砥山道.山径:15一10:40林道一11:05尾根径一11:15小平地コブ
       一11:25NNTパラホラ中継地.林道一12:00嵯峨塩(源次郎岳)分岐.大:25.
    入山
     甲斐大和駅前には甲州市営バスが待ち受け,駅舎前広場は朝方から暖かい陽射しに恵まれた。
   昨年度より4月第4土曜から11月第4土曜.休日にjr甲斐大和駅から路線バスが運行されるようなった。
   大菩薩上日川線(県道大菩薩初鹿野線)の小型バスは28人乗り.この日は下り列車から降りたハイカーでほぼ満杯になっていた。

     その後上り列車が入線,臨時のバスは3台に増発された。そのバスの乗客に源次郎岳や日川尾根に入いる者はいなかった。
   誰もが本峰を目指し.マイカー族も同じように本峰へ向かっている。駐車場からは私1人が逆方向の日川尾根へと擦れ違っていた。

    紺碧に染まる上日川峠
   砥山登山口の最初で最後の立派な道標.9:07
   ミヤコザサで埋まる日川尾根.上日川峠を起点に南下す

     上日川峠から延びる日川尾根は「山と高原地図」では点線コース。尾根を忠実に歩むと藪道もあり.まだまだ歩む人は少ないようだ。
   神部岩に発源する日川の右岸に並行する尾根を日川尾根と呼び.一般的には上日川峠から源次郎岳東方のジャンクションピークまでを云うよだ。
   その先の尾根は深沢川を隔て大きく回り込み2つの末端に分かれている。

     ジャンクションピーク.境沢ノ頭から古部山を経て日川左岸沿いに最後まで綴ると勝沼尾根。又境沢ノ頭から愛宕山を経て高尾山から柏尾山に至る。
   共に尾根末端は日川の支流.深沢川の出合.勝沼大橋に互い向かい合っている。

    日川の名称
     昔と異なる呼び名が定着しているものとして「日川」の河川名と峠名がある。戦前の文献には共に「みっかわ」となっている。
   いつの間にか河川名は「ひかわ」.峠名は「にっかわ」が一般的な呼称になった。又日川に面した崖淵に「土屋惣蔵昌恒片手千人斬り」の石碑が立つ。

     武田勝頼の家臣で追ってくる敵をこの場所で切り,河川が三日間も血で染まったことから.この川を「三日血川.みっかち」と称し
   それが「三日川.みっか」となり.さらに「日川みっかわ」に転じている。

   ウラジオモミの森とミヤコザサ.9:10

    日川尾根南下
     9時を過ぎ登山口から辿ると「学術参考林」と記されていた薄暗いウラジオモミの黒木の森に入る。
   砥山への境界見出標柱沿いに歩むと足元は一面のミヤコザサに覆われ反射板のある1610mのコブにでる。

     地形図での破線路は左に2つのコブを見るよう綴っていたが.私は樹林を透し.ずっと湖畔を臨みながら綴っている。
   山径は1610m圏のコブに挟まれた鞍部を通っていた。砥山峠に入るまでには色々なコースがあるようだ。
   南側にある1610mコブを捲くようにして進むと2つのコブの窪みは.砥山西尾根の合流点で.やや低い所にあった。

   小金沢山と牛奥ノ雁ケ腹摺山.9:21

    小金沢連嶺と大菩薩湖
   尾根の東山腹を歩む.9:27
    垣間見られる小金沢連嶺.牛奥ノ雁ケ腹摺山と川胡桃沢ノ頭

     深い笹で踏み跡は見ずらく薄くなる。尾根のコブを忠実に南下.左側から近ずいてきた砥山林道が並行して走るのを
   脇下の足元に見ている。山腹の樹林下には大菩薩湖(上日川ダム)の湖面が見下ろされた。
   大菩薩湖は揚水発電所.葛野川発電所の上池に当たる。

     富士川と相模川とに跨る2つの河川を結ぶ珍しい地形に造られていた。写真中央付近からの送水管は小金沢連嶺を潜り
   葛野川発電所を経て.松姫湖(下湖)へ落ちている。一度林道に出るも踏み跡を見付け戻るようになった。
   余り通う人がいないようだ。1637mコブを小さく捲き.喘ぎ上り返せば深い笹原のコブ南部にでる。

    遠望に霞む日川尾根
   青梅街道「大菩薩の湯」付近より撮影・・013.11.14:15

    下日川林道口広場
   中日川峠の少し北側.9:44

     広い笹原にでるも道標読めず。確りした道標が立つも,風雨にさらされ古く読むことはできなかった。
   重川側から入り込む林道のゲートは閉ざされている。ここは又南東へ広く眺望が開かれていた。
   春の陽光を十分に受けている。ただ眺望は朝方の逆光と霞み濃く.おぼろに漠然として望められなかった。

    下日川林道
     ゲートの手前は砥山林道, ゲートを抜けた重川側が下日川林道になる。
   西側の山腹を巻きながら北上すると直ぐ踏み跡脇に191号鉄塔が建ち.1637m峰の西尾根を越える。
   砥山峠は砥山西尾根(190号鉄塔あり)を越え.砥山の北側に巻き.ゲートからは上日川峠に抜けていた。

   右端上が西側の西群馬幹線192号鉄塔.9:30

    
   送電線192号鉄塔                       重川塩山北部と対岸を越して扇山と小倉山.9:54

     9時50分.西群馬幹線192号鉄塔の基部に立つ。窪んだ重川の谷間ツメからは大久保平.裂石へ綴られてきた青梅街道が見下ろされた。
   この辺は左側の日川側に通る砥山林道を歩む人が多いようだ。そのため踏み跡が綴られているものの殆ど踏まれぬ道。
   深いクッションの落葉と棘絡む藪を少し漕げば鉄塔にでる。谷裏のプレートから「鉄塔番号192号」と読めた。

   大菩薩嶺と日川尾根
   182号鉄塔から日川尾根に建つ192号鉄塔方面を望む

     風変わりな方向から眺める送電線からの日川尾根(尾根越えは小金沢連山).
   この送電線は上州川上方面から甲府木賊峠付近を抜け.この日川尾根に至っている。

     そして大蔵高丸.大蔵沢右岸尾根に乗り.東山梨変電所へと結ばれている。東山梨変電所からは本社ケ丸付近の御坂山塊北部を越え.
   先月登った鹿溜山北尾根.244号鉄塔の尾根から御正体山方面へ綴られている。

   日川尾根に乗る送電線鉄塔. 背は日川尾根〜恩若峰間.2枚・・青梅街道.大菩薩ノ湯付近から望む2013,11.

   10:01
   砥山林道の道標と随所に源次郎岳への道しるべがある.(塩山山の会)

     薄い踏み跡を探し探しコブの南側ヘチを下ると裸土の砥山林道にでる。下った処右手の林道脇には再び193号鉄塔が建ち脇を通っている。
   ここから林道を300mも進むと林道右脇に赤テープの破れ契れた残骸が残されていた。そこに踏み跡口がある。標識類はない。

     余り踏まれていないルート。歩き易い処を探し探し乗っ越すと広い笹原で被われた平坦地,中日川峠にでる。
   一般コースは尾根上を捲き.最初に出合った林道を通っているようだった。ここで合流している。

     中日川峠の直ぐ先に砥山林道から尾根上にでる小径が綴られていた。裸土の径中央に腰を降ろし1本取る。
   静かだ。小鳥のさえずりもなく擦れ違う人もいなかった。丁度陽溜まりの良い場所だった。
   1621mコブからはやや道縁の崩れ易い所を山腹の左側を巻きながら綴っている。意外と長い踏み跡の小道.コブは全て東側を巻いている。

   再び山道口.11:06

    621m点のコブ
   1621m点コブの右尾根が西に延びる1317m点尾根.11:09

     日川尾根を南進し笹の急登で1621m点のコフを越える。小笹に落葉松が混じる地形が広がっていた。
   下日川山16.1mは左山腹を巻いてNTT無線中継所にでている。

   中木林の落葉松.11:18

     パラポラのあるNTT無線中継所の東側を通ると地形図上の黒線1本の細い林道に至る。歩き易い裸土の道
   再び林道歩きになるとヘヤピンカーブの所から再び小径に入る。先は浅い踏み跡の藪径が続いていた。

   下日川峠.山径への入り口.11:32

     日川無線中継地から幅広い道になり.ゲートの先で右に折れると「源次郎岳」の道標があった。25分程でここ下日川峠にでている。
   黒線1本の道だが道幅は広い立派な林道にでた割りには距離は短かった。直ぐ藪径に変わり続く。

   疎らになった笹も見られなくなる,11:18

     確り踏み固められた小径が続くと赤テープのマーキングが多くなる。
   コブを越して左手の尾根斜面が緩やかに開かれる場所にでた。上日川峠から続いていたミヤコザサの覆う風景も途切れだしている。

      ブナの巨樹
      11:50

     潅木帯を潜り抜けると突然明るい日差しの下にでる。西側は疎らな雑木帯に変わり.陽をサンサンと頭上に受ける。
   藪は途切れ.変わってブナが現われた。緩やかな幅広い尾根を綴り.1510m圏のコブを越した。
   この辺は新緑の頃が一番素晴らしいだろう。まだまだ樹林は冬の装いを示していた。

      11:55

     周辺のブナの立木はまだ裸林だが新緑の頃は美しさに誰もが魅了される所所らしい。期待を持ち訪れたがまだその味わい知ることはできなかった。
   残念ながら時期早々.枯葉の落ちた木々は何処を見ても.まだ裸の枝々が絡み合い.土壌も乾き索漠とした大地になっている。
   それだけ日当たりのよい台地にもなっていた。

     風はここに来て春の温かみを少し感じ取っていた。ひと雨降れば急に環境が変わり.大地は潤い緑の姿を現わしている筈。
   周りは少し荒れ気味の灌木林に覆われていた。木洩れ日の所が広がる明るい所で「嵯峨塩温泉」への道を分けていた。
   鉱泉からの嵯峨塩深沢林道に入り.小金沢連嶺に富嶽の展望を望むとゲートの手前に1477m圏に源次郎岳への登山口があった。

     先の話さが翌年の夏には日下部警察署の熊による警告書が立木に付けられた。「平成13年8月14日.源次郎岳から恩若ノ峰に至る登山道で
   登山者が夢魔に襲われ負傷する事故が発生しました。十分に注意して登山してください。」とある。

     前半の日川尾根を丁寧に回り込み.歩んで来たツケが今現われだしていた。意外と時間をロスした。
   丁度正午,腹を満たし昼食を摂る。今日はテルモスを持参した。オニオンスープに妻の自家製サンドイッチをほうばる。食糧は十分ある。
   ただ今回は菓子やパン類が多く.後に飽きだしていた。

      日川尾根全景写真・・石丸峠より.2010.11
      日川尾根〜恩若ノ峰写真4・・大菩薩峠より.2013.11

      上日川峠から冬木の日川尾根を南下・・冬木の世界
      寂峰の源次郎岳と恩若ノ峰
      若葉萌える恩若ノ峰南西尾根